物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

コーシー・リーマンの関係

2018-04-13 11:17:09 | 数学

というものが複素解析にあるが、これは複素関数 f が変数 z の共役複素数z*での偏微分した\frac{\del f}{\del z*}=0と同値だということを最近知った。

このことは山本直樹『複素関数の基礎』(裳華房)で知ったのだが、最近になってH. カルタン『複素関数論』(岩波書店)にすでに書かれていることを知った。もっともこういう書を図書館で借りてでも読もうと思ったことはいままで思ったこともなかった。

実は私の拘っている分岐点をカルタンがどのように定義しているかということを知りたいと思ってカルタンの本を借りたのである。カルタンぐらいの碩学となれば、普通の数学者とはちがう定義をしているかもしれないという期待からである。

それと「解析接続について彼がどう説明しているか」。これは私がいつも複素解析の書を判断するときの大きな材料である。

およそ複素解析のタネ本は、このカルタンの本か、アルフォースの関数論の本であるらしい。そのどちらの本もいままで読んだことがなかった。


数学教育研究者

2018-04-13 10:44:12 | 日記

を名乗っている、S さんのことを数日前に書いた。

それで、S さんが書いた本が2冊あるので、それを今朝チラッとみたが、彼は数学教育研究者と名乗っているが、またそれにはちがいがないのだが、むしろ数学教育思想家といった方がいいような気がした。

『数楽共育』および『数楽共育 II』との二つの著書があり、また、それ以前に2冊ほどの研究実践書がある。手書きでプリントされたものをまとめて2冊発行している。これは実践記録でもある。だが、2冊の『数楽共育』の方はあまり具体的な実践の報告は多くはなく、ある種の哲学とか思想とかであると思われる。

小学校の先生として36年務められたと、奥付の自己紹介にある。障碍児の教育とかへき地の教育に携わっておられたこともある。

ときどき学習会で彼の見解を聞くが、やはり経験深くて、学ぶべきところがある。

彼は小学校を退職後、小学生とか中学生とかはたまた高校生を塾として自宅で教えられた。そして、学校でまったく数学が分からなかった生徒を数多く救ってきた。そして彼の話を聞いていて彼の成功の秘密の一つが、生徒がわかるまで「時間をかけて待つ」というところにあることを知った。これは私などがとても真似ができそうにないところである。


Wednesdayの由来

2018-04-13 10:21:27 | 外国語

Wednesdayと書いてウェンズデーと発音する。何でこういうふうに言うのかと疑問に思ったことはないだろうか。

MondayとかSundayとかは、太陽とか月とかに関係していそうだとはわかるけれども。その理由をあるときドイツ人の R 氏から聞いたことがある。

水曜日は週の折り返し点で1週間をコの字のように折り返す日だというのである。その証拠にドイツ語でwendenという語があり、これは向きを変えるというような意味がある。このことから週の真ん中の日で向きを変える日というのでwednesdayというとの説明を受けた。

ところがドイツ語では水曜日のことをWednestagとは言わない。Mittwochという。だからドイツ語のwenden(向きを変える)にあたる用語にちなんだ語Wednesdayは英語にしか残っていない。

フランス語ではlundi, mardi, mercredi, jeudi, vendredi,samdi, dimanncheとなっていて、mercrediは水銀か水星のMercuryと関係していそうである。lundi, mardiはそれぞれ月と火星に関係がありそうである。

wendenという語は普通に使う語ではあるが、日常生活のことを知らない、私のようにドイツ語を母語にしない者には普通知っている語としてはanwenden(応用する)とかverwenden(使う)とかの方をよく知っている。というか、私はこっちを先に知った。

私は大学では「応用物理学」という講座名の研究室に長年所属していたが、この応用物理学はドイツ語だとAngewandtphysikという。これは上にあげたanwendenの関連語である。


観察眼

2018-04-12 17:40:21 | 日記

ブログを書く人のかなり部分にある写真を多く載せている人がある。これはなんでもないようだが、やはり緻密な観察眼がないとできないということを知った。なにがおもしろい、珍しい花かとか景色が珍しい人に見せるに値するのかとか矢張り判断が要求される。

私はあまりそういう視覚的な人間ではないので、むしろ聴覚的なところがある。そうはいってもあまり音楽が趣味という訳でもないからますます難しい。

いまのところは耳はそれほど悪くないつもりだが、妻などからはテレビの音声が大きすぎると注意されたりするから年相応に耳が聞こえなくなっているのかもしれない。

毎日、何か細かなところを思いついてそれをもう10年以上つづけてブログに書いてきたわけだが、なかなかそうはいっても人がアッと思って感心してくれるようなことは思いつくものではない。

自分ではあまり何も考えてはないつもりだが、それでも勝手に自分の頭がなにか考えているらしい。どうせくだらないことだとは思うが、そういうものである。

だからやはりモノを見ての観察眼ではないが、なんらかの観察眼が私の場合にも必要であろう。


The paper is mightier than the memory

2018-04-12 10:45:40 | 日記

これはもちろんThe pen is mightier than the sword. (ペンは剣よりも強し)をもじったものである。最近のマスコミをにぎわしている「愛媛県の文書は元首相秘書官の記憶よりも確かだ」ということであろうか。

これなどは多分首相官邸とか他の省庁にも同じ文書があったのかもしれないが、その存在はなかったことにされてソンザイシナイと言い張られている。こうなると誰だって本当のところはと憶測したくもなる。

これは真実がどうであるかよりも一般の人々の関心を呼ぶことだからである。一般の人々がどう思うかまでは強制して一律にすることなどできない相談である。

ジャナーリズムではないから、私どもには真相はわからないが、だからといっていろいろ憶測することを誰かがやめさせること誰にもできない。

これはどんな独裁政権下でも、権力に批判的な世の中の皮肉な冗談までを禁止できないのと同様である。


新学期がはじまる

2018-04-11 17:36:05 | 日記

というのは私にとってであって、一般の小学生や中学生にとって新学期が始まったという意味ではない。もちろん、世間一般でも新学期は始まったのだが、私たちにとっても新学期ということである。

今年は花見に3回も行ったということにたまたまなった。こういうことは私にとっては珍しかった。だいたい、花が咲こうが咲くまいが、「あっしにはかかわりのないことでござんす」というような生活を送ってきている。

だが、私の妻がよくできた妻でそれでは味気ないだろうと勝手に思って配慮してくれた結果なのである。ただ私はその配慮にのお蔭で3回も花見に行くということになった。それも近場での花見もあったが、けっこう遠くの、しまなみ海道に沿った伯方島まで出かけて花見をしたという、ちょっとしたエクスカーションまでしてしまった。

これは車に乗って出かけるのだから、大げさに言うと一日仕事である。それも帰りにつくし摘みにまで行くという行事まであった。もっとも私はつくしを摘むということはしなかった。これはもし一度下にしゃがみ込むと今度は立ち上がるのが大変となるからである。膝がわるいので、こういことが起こる。

これはどうでもいいことだが、ちょっとした考えで数学エッセイの草稿をつくり始めている。これはもともとは量子力学の角運動量の章を読んでちょっと思いついたことを書き留めておきたいと考え出した。実はこのことについては前に書いたエッセイで片がついたかと思っていたのだが。それとあまり関係がないともいえるし、関係があるともいえる。


分数はどう導入すべきか

2018-04-11 11:57:26 | 日記

などというとそんなこともまだしっかりしていないのかと思われるのだろうか。

私にはわからないが、数協教でも遠山先生の権威のために分数の導入のしかたが半端をどう測るかで導入するという風潮があると先日の愛数協の学習会で長老の S さんが嘆いていた。

というか、そのときにもらったプリント資料を後で読んで知ったことだが、S さんは n 等分することで分数を導入すべきだと思っているらしいことがわかった。

 それでちょっと『算数の探検』で分数のことをどう書いているか見てみようと思って本を探したのだが、ここにはもってきていない。ほかに私には小学校の算数についての本は手元にもっていないので、わからない。

直接には S さんは『算数の探検』で分数の導入のしかたを書き換えた方がいいと思っているらしい。

すなわち、操作によって分数を導入するという考えを S さんはもっていると推測される。これについてはちょっと考えてみたいとは思うが、その時間と資料を私がもっているかどうかわからない。

(注)これは『算数の探検』とか『さんすうだいすき』とか、また『数学の広場』がほとんど変わらずに数年前に発行されていることに対する S さんの考えであろう。復刊して発行されることにまで S さんが反対しているわけではないだろうが、その後の研究の成果反映すべきだという考えなのだと思う。それはそうかもしれないが、そうだとするとちょっとした手直しでは収まらず大幅な改定が必要になるだろう。そこら辺のところをどう考えるかということだと思う。


g と j と

2018-04-11 11:50:04 | 日記

フランス語の初歩のときにアルファべを学ぶが、いつまでたってもなかなか慣れないのが、g  と j とである。発音が g はジェであり、j はジである。英語での発音と丁度入れ替わっている。

h とあれば、アシュと発音するとか、e がウと発音されるのは難しいが、それでも覚えられないことはないが、この g と j とはよく間違える。というかなかなか覚えられない。

どうしたらいいのだろか。フランス語の先生、教えてください。


四元数の流行を下火にした人

2018-04-10 14:05:23 | 数学

最近の四元数のブームではかつて四元数の流行を下火にした人がいたなんて、驚きだろうが、いたのである。これはギッブスというアメリカ人の物理学者とヘヴィーサイドというイギリスの電気工学者であったという。

要するに実部(またはスカラー部ともいう)のない四元数の積で出てくる、その四元数の実部と虚部が実は現在ベクトルのスカラー積とベクトル積というモノであり、実は有用なのは四元数そのものではなく、ベクトルの現在スカラー積と言われているものとベクトル積と言われているものとが有用なのだとの深い考察を行って、ベクトルを導入したのがギッブスとへヴィーサイドだと言われている。

そうすると、ハミルトンは四元数を発見した、創造性に富んだすごい人だったが、それを展開して、ベクトルを導入し、かつそのスカラー積とベクトル積とが有用なのだという洞察をすることができた、ギッブスとへヴィーサイドとの役割も大切なのだとわかる。

もちろん、ハミルトンが四元数を発見しなかったら、その後のいわゆるベクトルとその理論は生まれなかったのだが、ギッブスとヘヴィーサイドとはハミルトンとはちがった役割をもっているのだということがわかる。

ギッブスは熱力学でも熱力学ポテンシャルといわれるいくつかの関数を導入して、熱力学の様相を大きく変えたという。ヨーロッパの学者からなかなか認めてもらえなかったが、いまでは優れた物理学者であることが知られている。

(2018.4.28付記)ボイヤーの『数学の歴史』を読んでいると、ギッブスの先駆者としてグラースマンがいるそうだが、グラースマンの数学を学んだことがない。いつだったか藤川和男さんが松山に来られて講義をされたときにグラスマン数のことを話されたことぐらいしか覚えていない。最近では金谷健一さんの『幾何学と代数系』(森北出版)でグラースマンの数学を学ぶことができるだろう。


書類探し

2018-04-10 10:32:47 | 日記

大学に勤務していたころも仕事に必要な書類がどこにあるかわからなくなって一日中探していたということがあった。

退職した後ではそういうことが少なくなったと思っていたが、昨日はほとんど一日を書類探しに費やしたが、求める書類はみつからなかった。

これはHamiltonの四元数に関する論文を探していたのである。今朝このことを妻に言ったら、必要最小限の書類だけで仕事を常にするようにしていないからだと言われた。

だが、私はあまり頭がよくないので、そのために多くの文献を集める傾向にあるし、それはやはり今では一つの私のいい点だと最近は思っていると反論をしておいた。

確かにいつでも最小限の文献で仕事をできるようなら、それはそれでいいとは思うのだが、私は自分ではなにか独自に思いつくような独創的で明敏な頭ではないので、必然的に多くの文献を集めるという結果になるのだと思う。

もっともそのことがいいこともあると思うが、わるいこともある。その利害得失はやはり簡単に言い尽くせるものではない。

前に四元数の本をまとめるときに読んだのはHamiltonの四元数の発見に関するレポートであったが、今回は四元数と剛体とかベクトルの空間回転の記述との関係でHamiltonがどういう論文を書いていたかを知りたいと思っている。これはHamiltonだけではなく、GaussとかEulerだとかRodriguezとかCayleyだとかの四元数とかその他の方法での回転の表現に関係したことにいま関心があるからだ。

(後記)実は今日の午後になってもう一度書棚の中のファイルを調べたら、ハミルトンの四元数関係の論文のコピーが見つかった。昨日もこの書棚のファイルをみたのだが、ここにあるとは思わなかったので、捜索がおざなりになっていた。ということで、財務省の書類がないと思っていたのが出てきたということを笑えない立場となった。もっとも私は書類がないと否定する立場ではなく、あるはずだが見つからないとストレスをためていた。


ダブルデッカー

2018-04-09 10:09:49 | 日記

ダブルデッカーとはいろいろ意味があるだろうが、一番初めに来るのがイギリスの「2階建てバス」のことである。ロンドンの町中等を走っている。

ロンドンでこのバスに乗ったことはないが、あるシンポがサザンプトンであった、その会に出席したとき、ある晩に港内のエクスカーションのクルーズがあり、チャーターされたダブルデッカーに港までと宿舎までの行きかえりに乗った。

サザンプトンとはいっても何も知らないが、このときの数日間だけ滞在した。この後にバーミンガムの知人にところに行って、やはり数日に滞在した。

これも別にバーミンガムの観光をしたわけではなく、数日間滞在しただけである。このときにロンドンの安宿のあるところを紹介されてその後ロンドンに行き、このときにはちょっとロンドン観光を家族とした。イギリスの国会議事堂とかバッキンガム宮殿の衛兵の交代とかを見た。またウエストミンスター寺院を見たりした、その後でネルソン提督の銅像があるトラファルガー広場を見た後で、ある書店でDiracのQuantum Mechanicsの第4版だったかを購入した。

大学の図書館にはこの本があるのは知っていたが、自分ではこの有名な本の原本をもっていなかったからである。その後であったか、大英博物館を見学した。

そのときに、おもちゃのダブルデッカーを2つ妻が購入したらしい。これは私の家は子どもが二人だったので、けんかにならないように配慮したのであろう。このおもちゃのダブルデッカーは私の家の戸棚に残っている。

数年前のことだかが、お隣の小学生が遊び来たときにこのダブルデッカーを欲しがったのだが、普通のことなら寛大な妻も若いときの思い出があるので、「ご免、あげられない」と断ったと後で聞いた。


大谷翔平選手

2018-04-07 13:01:51 | 日記

は強運の持ち主である。投げれば初勝利をとるし、打者として打てば3試合連続ホームランである。

ベーブ・ルース以来の10勝、10本塁打を記録する大リーグの選手として記録に残ることも夢ではなさそうだ。少なくともホームランは10本なんて数字ではないだろう。

その打球の速さが速いと驚嘆されている。先日の記録では時速180キロの打球を打ったとテレビのニュースで知った。もっともこの強運とも思えるものは本当は単なる強運ではなく、自分で人知れず培ったものなのであろう。

その努力の跡を感じさせないで、まことに強運の持ち主であるかの如く振舞うところが心憎い。


今日も続けて

2018-04-07 12:34:20 | 日記

イタリア語のことを書く。イタリア人のAlessi氏は日本語を話すのだが、イタリア語の発想のまま日本語を話す。

彼は話のはじめになんでも「あります」とはじめる。そしてその後ろにあるものが出てくる。それでもこちらには十分わかる。これはイタリア語での  c'e (チェ)とか ci sono (チ ソノ)とか英語で言えば、there is とか there are にあたることばである。

これだと主語となるものが後から出てくる。たしかにthere is だとかthere areだとかで、「何があるのか」は後から出てくる。

もう一つ、Alessi氏とのやり取りで覚えていることはこれは大学の食堂でお昼の時間に出会ったことがあった。その時に、「昼間は何をしているのですか」と日本語で質問したら、彼はこの昼間というを聞いたことがなかったらしく、とまどってしまった。

もし今なら、in giorno(イン ジョルノ)とか言ってあげられたかと思うが、そのときに説明できなくて気まずい思いをした。彼は自分が書きためた分厚いノートを持ち歩いており、それが彼が日本語について勉強したノートであった。

私など音声としての外国語としてはまずはフランス語に触れ、つづいてドイツ語に触れ、その後にイタリア語に触れたわけであるが、そんな分厚いノートなど、どの言語に対してもつくったことがないという不届き者である。

だからという訳でもあるまいが、いつまでたってもなかなか片言のドイツ語とかフランス語しか話せない。


piove molto

2018-04-06 11:26:49 | 日記

piove moltoとかつぶやきながら、仕事場に来た。ピオヴェーとは「雨が降る」というイタリア語であるが、私の知っているというか覚えているイタリア語の数もほんどなくなった。動詞の変化語尾が正しいという保証はない。

感心なことにというか、向こう見ずにというか大学院生のころイタリア人の男性で大学に来ていた人の開いていたイタリア語のコースに半年だけ参加したことがある(注)。

そのはじめに学んだ言葉がこのpiove moltoであった。彼は「家の中には」雨は降らないが、これは単なる口頭練習だからというので、piove molto en casa (ピオヴェー モルト エン カサ)と何度も唱えさせられた。これは「家の中に雨がひどく降る」という意味である。こういうフレーズを口頭練習した覚えがある。

その後、残念ながらあまりイタリア語は勉強したことがないから、この語と「行きましょうか」の意味のAndiamoくらいしかイタリア語では覚えていない。最近ではイタリア語でForza !(がんばれ)をサッカーの応援でいうと知ったけれども。

外国語を学ぶことにロシア語とか中国語とかも含めて大学院ころには少し力を注いだが、その代わりというか高等学校の教師になる資格コースを受けなかった。大学の教師となった人でも意外と高校教員の資格をもった人もある。例えばで、申し訳ないが、私の先生の一人の O さんも高校の教員の免許をおもちだと伺ったことがあった。

もっともロシア語と中国語はイタリア語同様に身につかなかった。

(注)Livio Allesiというイタリア人で彼はトリノの出身であった。


すごい人

2018-04-05 18:02:08 | 日記

以前の私の同僚であった S さんは金属の格子欠陥か何かの専門家であったが、多分7,8年くらいアメリカに住んでいたので、「日本語で文章を書くのは苦手で、いつも英語で書いた方がいい」と言っておられた。

これはたぶん本当にそうなのであろう。その S さんも亡くなってもう数年が経つ。私などはまだ英語で書くのがやさしいなどということなどまったくできない者だが、英語で書きなれて来て、ある程度使える英語の語彙をもてるようになれば、面倒なことなどは関係代名詞や関係副詞をつかって書けば、すっきりとするのは当然なのかもしれない。

だが、そのためにはまず発想法が変わらなくてはいけないだろう。ドイツ語でも関係代名詞や関係副詞は使えるはずだ。だが、発想が残念ながらいつまでたっても日本語的な発想であるので、すっきりした書き方ができない。

ドイツ語の文語にはあまり口語では使わない、冠飾句というのがあってちょっと日本語の形容詞が名詞に係るような面倒な書き方がある。

私が学んだQED(量子電気力学)のテキストはスウェーデン人である、K"allenがドイツ語で書いたQEDの本であったので、彼はドイツ語を母語にはしていないので、分かりやすいドイツ語であった。ところがK"allenのQEDの前にあった量子力学の部分を書いていたのはPauliで彼はドイツ語が母語であるから、こういう冠飾句をけっこう用いている。これではなんだかドイツ語を難しく感じる。冠飾句は大抵の場合には関係代名詞を用いた文章で言い換えることができる。

いつかもこのブログで愚痴ったことがあると思うが、ドイツ語を学んだ初期の学生のころドイツ語がまったくわからなかったのはこの冠飾句の方ではなくて、動詞の枠構造の方であった。そういうhaben(haveに相当する)だとかsein(beに相当する)だとかを助動詞として使うときに本動詞が過去分詞のかたちで文末にくるとか、助動詞構文では本動詞は人称変化せずに文末にくる。

そういうことに気がつかなかったというか、知らなかったから、ドイツ語がわかる人なんてすごい秀才なんだとドイツ語を学び始めてから、数年思い込んでいた。

孫が一昨年生まれたが、彼女が将来ドイツ語を勉強するかどうかはまだわからないが、もし教える機会があれば、まっさきにこの動詞の枠構造のことを教えたいと思っている。