鶴見俊輔さんは日本を代表する、大哲学者であったことはまちがいがない。
晩年の数年間、私が武谷三男の研究者であるということから、知遇を得た。これはもちろん、彼の武谷三男への信頼によっているものであったろう。
ある年の7月だったかに「愛媛九條を守る会」がその総会で、講演者を募集したことがあり、鶴見さんを人を介して実行委員会に推薦したら、うんよく講演者に決まった。
高齢であるから、京都のお宅まで迎えにあがりますと申し出たのだが、それは恐れ多いとのことで岡山の新幹線の駅まで迎えに行った。
迎えに行ったのだから、カバンぐらい持つのが迎えに行った者の勤めと思ってカバンを持ちましょうといったのだが、当然といった感じで、ご自分で持たれていた。
その車中でいろいろ話をしたのだが、何かの拍子に鶴見さんは(Harvard大学の)理学士の称号をもっておられることがわかった。それでじゃあ私と同じBachelor of Scienceですねといったら、即座に「要するにラテン語が読めないということですよ」と返事された。
哲学をHarvardで学ばれたということだが、彼の指導教官であるクワイン先生は数理論理学者であった。だから学位をBachelor of Scienceでとったのは別に不思議ではない。
だが、それさえもある種の羞恥心をもっておられるのだなと推察できた。卒業論文を鶴見さんが書いておられたときに、彼はFBIか何かにつかまって数か月の留置所生活を余儀なくされた。しかし、アメリカ合衆国政府が好ましからざる人間としても、大学は政府とは独立に鶴見さんの学位論文を認めて、卒業させたのである。
これが逆にもし日本であったならば、たとえば東京大学は時の政府が好ましからざる人間と疑った者に卒業の学位を認めるであろうか。これは大いに疑わしい。
もちろん、大学の歴史のほうが合衆国の建国よりも歴史が古いといったこともあるが、大学の自尊心をというか、国家からの独立性が顕著である。