「どこで読んだのか」がわからない。
武谷三男の文章で、科学はその時点でわかっていることもあるけれど、まだわからないことをもっているので、将来はわかることも予想してなんでも考えなくてはならないというような趣旨の文章だったと思うのだが、それが何で読んだのかわからない。
実際にこういう風に書かれてあったわけではないが、私の解釈は上に書いたことである。
徳島科学史会のS先生の勧めで、11月に徳島である、日本科学史学会の西日本大会の発表を申し込んだのだが、それが「武谷三男は科学至上主義者か」というタイトルである。
いや実はこれは私の考えではなく、朝日新聞の記者Nさんから私たちへの問いである。もっとも、これはエコロジストたちの見解であったのかもしれない。
その文脈を知らないのだが、最近、宇宙物理学者の池内了さんが宗教学者の島薗さんとの対談でも武谷は(自然)科学至上主義者だとでもいうようなことを言われているらしい。
対談なので、池内さんも口が滑ったのかもしれないが、私自身はそうではないと考えている。武谷は科学至上主義者ともとられるような文章を書いたりしているので、そうとられる恐れは十分あるが、科学至上主義者ではないと思う。
そのことがよく表れているのが、彼の著書『原水爆実験』(岩波新書)である。彼は合理主義者であるが、がちがちの合理主義者ではない。
『原水爆実験』は興味深い書ではあるが、武谷三男著作集にも収められていないし、武谷三男現代論集にも収められていない。そういう理由で武谷の重要な側面が見落とされているような気がする。
それは『武谷三男の生物学思想』を書かれた、伊藤康彦さんもそうではないかと思う。彼の書には、武谷三男著作集や武谷三男現代論集への言及はあるが、『原水爆実験』への言及はほとんどないように思う。
もっとも『原水爆実験』はそれほど読みやすいわけではない。