物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

線形代数のテクストの数

2022-08-04 17:26:47 | 本と雑誌
あくまで、ここでは日本語で書かれた線形代数のテクストの数というつもりである。

私の持っている線形代数のテクストだって10冊は越えるかもしれないが、どなたかの書いた線形代数のテクストの序文には日本では80冊を超えるのではないかと書かれてあった。

出版文化が盛んな日本らしいと思う。こういうところが日本の長所なのではないかと思っている。

話しは急に線形代数のテクストの数からはずれるが、いま現在、教師は厳しい職業であり、全国で2000人規模で、教師の数が足りていないとか新聞で読んだ。だが、これがいいはずがない。夜の10時も11時もまで教師が働かなくてもいいようにならなくてはいけない。

教師は忙しい職業となってしまい、夏休みもろくろくないとか聞くとそれではいい教育などできるはずがないと思う。

そして、教育は国の根本をなす大切な事業なのだ。それがわからないとどうせ日本の国などなくなってしまうだろう。

その辺が政治家にもわかっていないらしい。教育とか科学とかが基本になって国ができているのだ。そういう基盤があって、産業がおこる。

国の防衛などといっても守るに値しない国などだれが守るであろうか。だから、これは単に軍備だけをすればいいという話ではない。



案山子

2022-08-04 17:07:56 | 本と雑誌
案山子を英語で何というか。フランス語では、ドイツ語では何というか。

先月の7月24日に調べていた。そのメモが計算した紙の中から、昨夜出てきた。

まず英語ではscarecrawである。これは「カラス脅し」と直訳できるだろうか。つぎにフランス語なら、 'epouvantailである。発音をよく知らないが、エプヴァンタイーユであろうか。

最後に、ドイツ語なら、-e Vogelscheucheである。これは「鳥脅し」とでも直訳できようか。

なぜこんな言葉を調べたのかは今となってはわからない。たぶん、クロスワードパズルにでも出て来たのであろう。

それにしてもいろいろな言い方があるものである。

ソーヤー『線形代数とは何か』

2022-08-04 12:22:04 | 数学
ソーヤー『線形代数とは何か』(岩波書店)は1978年の初版である。この本の原版は1972年であるから、50年も前の本である。

私がこの本の翻訳本を買ったのはもう20年くらい前のことかと思われる。だが、持っているだけで読んだことがなかった。

線形代数に関心が出てきて、書棚から引き出す機会ができたのだが、なかなか細かな注意をして書かれたテクストだということがわかった。

この本の線形代数らしい箇所はまだ読んでいないが、複素数の話でも虚数単位 i が3次方程式の解からその意義が認められたということをさりげなくうまく書いている。

普通のテクストでこういうことを書いてある本はほとんど知らない。いつだったか私も遠山啓の『数学入門』(岩波新書)のある箇所の記述から、虚数単位 i の意義が3次方程式の解から認められたという、エッセイを「数学・物理通信」に書いたが、そういうことを熟知していたのは遠山さんもそうだが、ソーヤーもなかなかの教育者である。

オイラーの公式の導出でもすぐにe^{ix}のテイラー展開からではなくて、e^{x}や\sin xと\cos xのテイラー展開からと順を追っている。

この辺は私など、ここまで丁寧に導入する配慮の余裕はないので、降参である。参りました。

昔から、ソーヤーの本は好きだが、その割にはきちんと読んだことがない。私の親しんだソーヤーの本は『数学のプレリュード』(みすず書房)であるが、これなどもあまり内容がよく分かったとはいえない。もっともこの本に触発されて数学エッセイを書いたことは何度かある。

その一つは、正弦法則からの余弦法則の導出と逆に余弦法則からの正弦法則の導出についての数学エッセイである(「数学・物理通信」5巻1号(2015.3))。

『数学のプレリュード』に書かれていたことで、いまでもよくわからないのは超幾何関数のことである。どういう話かというと普通の高校とか大学の数学科や物理科や工学部などの過程で出てくる関数の95%くらいは超幾何関数で表せると、この本に書いてある。

では後の5%はどういう関数なのかという関心をもっているのだが、それがどういう関数なのかがわからない。この本にはこれらの関数については書かれていない。超幾何関数で表されない関数を書き下すことも、またまったくやさしいと書いてはあるのに。

実はこの『数学のプレリュード』の罪作りなところはそこだと思っている。

今では

y=|x|
とか

y=1,  x>0 
y=0,  x=0
y=-1, x<0

とか

y=[x]

とかが超幾何関数で書き表されない関数ではないかと思いながら、きちんと確かめたことがない。

この点に関しては『数学のプレリュード』の訳者の故宮本敏雄先生もこの箇所になんの訳注もつけておられない。なんの疑問も感じられなかったのだろうか。

数学者にとっては自明のことかもしれないが、そこを解明しておくのは読者に対する訳者の務めではなかったろうか。

それはともかくとして、私の書いた数学エッセイ「超幾何関数1」(2009.12)の続編が書けないのは、この疑問に対する明確な答えがわからないからである。

3冊ほど超幾何関数のことを書いた本を購入したが、ちょっと読んでも、上のことについての解答は得られそうにはない。









ベクトル空間としての複素数や四元数

2022-08-03 17:25:21 | 数学
一気にベクトル空間としての複素数や四元数のことを書いた草稿をつくった。まだ手書きの段階である。latex入力はしていない。

複素数や四元数の全体には内積(スカラー積)を定義できるので、計量ベクトル空間となる。内積の定義を私は天下りで普通に定義していたのだが、ブルーバックス松岡学『数の世界』によれば、\alpha*\bar{\beta}とその複素共役の和の1/2で定義されるいう。この方がいい。ここで、\alpha と\betaは複素数または四元数である。

もちろん、これは線形代数では標準内積といわれるものである。








ベクトル空間の公理化

2022-08-03 10:31:14 | 数学
佐武一郎『行列と行列式』(裳華房)のp.115に短くではあるが、ベクトル空間の公理化についての歴史が書かれている。それによると

ベクトル空間についての基礎概念を最初に確立したのはGrassmannのAusdehnungslehre広域論(1844)であるといわれている。その後Peano(1888)がそれを公理理論的に整理し、1次写像に関する現代的理論を与えた。

Peanoは自然数の公理論的取扱いを始めた人だと思う。このベクトル空間の公理を定式化した人だとは知らなかった。

いまではほとんどの線形代数のテクストにこのべクトル空間の公理が出ている。



いつも不満に思うのだが、

2022-08-02 12:20:23 | 数学
いつも不満に思うのだが、数学の公理とかは私のような凡人には考えつかないと思う。

だが、こういう数学の公理だってやはり人間が考え出したのだから、凡人である私にだって考え出せなければならない。または、これをどういうプロセスでこういう公理にまとめたかとかの説明があってしかるべきではないか。

数学の本は簡潔を旨とするから、そこで簡潔に結論だけが書いてあるのはまあ、いいとしてもその心を説明した文書がどこかに存在しているべきではないか。

そういう不満を持つ人はあまりいないのだろうか。私などが数学とその周辺をけしからんと思うのはそういうところである。

最近、私はベクトル空間の公理を問題にしているのだが、どうしてこういう公理をつくったかの説明をほしいと思う。

昔は、線形代数のテクストにどの本にも必ず、ベクトル空間という章があり、この公理的なベクトル空間論を展開してあるのが、まったく気にくわなかった。反感をもっていたと言ってもいい。

さすがに最近は、四元数とか複素数がベクトルとみなせるということから、この公理にある程度の親近感を抱くようになった。

そして、ベクトル空間の公理は数の体の公理を少し変形したものであるという認識さえもてるようになった。

さてはて、私が四元数に関心を持たなかったら、このベクトル空間の公理に親しみを覚えるようになったのだろうか。たぶん、こういう契機がなかったら、いつも反感しか感じなかったであろう。






体の公理とベクトル空間の公理

2022-08-01 17:44:55 | 数学
体は数の演算のしたがう法則を抽象化したものであり、べクトル空間の公理は平面上のべクトルとか空間内のベクトルのしたがう法則を抽出したという。

ベクトルとしてn個の数の組を集めた数ベクトルがあるが、この数ベクトルの特殊な場合として、成分が1個しかない1次元ベクトルを考えると、これは普通の実数である。

そうすると、この場合には1次元のベクトルは普通の実数と同じなので、ベクトル空間として普通の実数を考えることができる。

ということでこの場合には実数における体の公理とベクトル空間の公理が一致するであろう。

また、複素数とか四元数もベクトルの公理を満たすらしいので、これらもベクトル空間とみなすことができるだろう。そういうことをぜひ小著『四元数の発見』にも書いておくべきだったと今にして思う。

少なくともポントリャーギンはそういうことを知っていて、彼の『数概念の拡張』(森北出版)の四元数の章をベクトル空間の話からはじめたのであろう。それもただのベクトル空間ではなくて、四元数は計量ベクトル空間をなすという、認識がはっきりあった。


『テキスト線形代数』

2022-08-01 11:21:44 | 数学
『テキスト線形代数』(共立出版)という本を読んでいる。

なかなか読んでいて気持ちのいい線形代数の本である。この本のまえがきに小寺平治先生が

「理念は高く 論理は明快 計算は単純

をモットーに、私は、この本を一生懸命にかきました」

と書かれているが、この言葉はお飾りではなさそうだ。

私みたいな探索好きな者から見れば、他にもすこし気になるところはあるけれど、線形代数を学ぶ人の気持ちになって本が書かれている感じがする。

(付記)線形代数の歴史を書いた本がないかと国会図書館のOPACで検索したが、そういうタイトルの本は出版されていなかった。

まったくこれに類したテーマを扱った本がないとは思わないが、『線形代数の歴史』というタイトルであからさまに取り扱った本はないらしい。

今朝ちらっと見た、岩波書店の現代数学シリーズの中の『行列と行列式』(上)の学習の方針だったかのところに、線形代数の歴史をある程度詳しく書いてあったが、それでも十分ではない。

大学に勤めていたころ私の研究室に配属になった学生から教えられた線形代数のテクストが『教養の線形代数』(培風館)である。この本も読みやすいいい本である。多くの大学でテクストとして採用されているのも頷ける。