ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

自民党幹事長が“官邸の機密”を暴露 その情報源は?

2010年10月19日 20時41分45秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
(このエントリーの初投稿日時は2010年10月19日、午後8時半)

 さて、10月1日の所信表明から、衆参代表質問、衆参予算委員会と議案なしの全閣僚出席質疑が続き、NHKでもこの2週間、連日の国会中継となりました。ねじれ国会の中、野党各党は久しぶりの大幅露出で、けっこう実があり、おもしろい質疑を繰り返したと思います。

 参院予算委員長の前田武志さん(民主党)がきょう19日、仙谷由人官房長官を呼び出し、答弁の一部を注意したそうです。ただ、私は前原誠司外相が答弁のはじめに、「その報道は違います~」、「私が主導したわけではありません~」、「あなたの論理の組み立て方はおかしい~」という趣旨の発言で、まず自分の重責をかわしたり、逃れたりするような言い回しで答弁を始めたことが気がかりでした。前原さんは国民の生命と財産を預かる外交・安全保障の重要閣僚として、口先でなく態度で、そして「すべては結果責任」だ、という心構えで取り組んでほしいと思います。

 さて、この議案がかからない自由な討論の場で、10月12日の自民党幹事長、石原伸晃さんの質問で、「政権交代ある二大政党デモクラシーが根付きつつある」ことをうかがわせる興味深い歴史の一場面がありました。

【衆院予算委員会 2010年(平成22年)10月12日】

 予算委の野党トップバッターは9月の役員改選で、自民党幹事長に就任した石原伸晃さん。石原さんはまず、小沢問題から質問。政権交代後、野党・自民党は、かならず小沢・鳩山問題を聞くのですが、あまり多くの時間は割きません。そうやって問題をくすぶりさせ続けて、徐々に民主党支持率を下げようとしているのはみえみえです。が、その作戦は7月の第22回参院選で大成功し、改選第1党になりました。

 さて、石原さんは小沢問題について、このようなパネルを使って、追及しました。

 
[画像]衆院インターネット審議中継から

 「自ら議員辞職の決断を」(朝日)
 「小沢氏は自ら身を引け」(毎日)
 「小沢政治に決別の時だ」(日経)
 
 などと、新聞各紙の見出しを使って与党を追及するという、朝ズバのみのもんたさん状態。野党転落から1年2ヶ月の自民党です。

 しかし、石原さんはテレビの使い方が上手いですから、「この番組を見ている有権者のために」と、オーバーアクションで、質問を繰り広げました。とくに右手を大きく広げて質問しました。なぜ右手かというと、衆院第1委員室では、石原さんの右手方向に、NHK・民放あわせて合計8台以上のテレビカメラがあるからです。

 石原さんは「ネットを見ると、ブレ菅と呼ばれている」とネット上の有権者の不満を、野党第1党幹事長として、総理につないでくれました。どこのネットでしょうか?「2ちゃんねる」でしょうか?

 そのうえで、「官邸の中には総理が2人いる」という驚くべき国家機密を暴露しました。なんでも石原質問によると、首相官邸の中では、菅直人さん以外に、もう一人、仙谷由人さんという首相もいるらしいのです。で、暴露の情報源として、石原さんは、「という噂が週刊誌に載っていた。今の(2人の)答弁を聞いていると、そんな気がしますね~」と週刊誌報道および答弁のようすだと明かしました。

 「自民党も墜ちたもんだね~」という感想もあるでしょうが、いやいや、それは違います。自民党が野党になった、それだけの話です。第46回衆院選や第47回衆院選で政権交代すれば、また元に戻ります。

 情報とは最大の権力源です。予算だって、情報がなければ付けられませんから、お金よりも情報が最大の権力源です。それを自民党が50年間独占し続けたから、日本航空は123便の事故原因がホントウに垂直尾翼なのかどうかの情報を隠蔽・破棄して倒産しました。

 2007年の第21回参院選では、安倍晋三首相(自民党総裁)はSPを引き連れ、街頭で「みなさん、野党は過去6年間何をやってきましたか?何もやっていません!」という謎の演説をしました。でも、うなづいていた聴衆もいたようです。国民の責任も重大です。第45回衆院選の投票行動で政権交代させたのはいいですが、その後に、「霞が関をぶっ壊せ」「自民党をぶっ潰せ」と言っている人は、主権者(有権者)として自民党に投票し続けたという自分の過去の過ちを自己正当化しているにすぎません。もっと素直になっていただきたい。

 さて、石原さんは今の政界で最も活躍している1990年第39回衆院選初当選組です。民主党・公明党・自民党3党の幹事長は同期の桜となりましたが、その岡田克也さんを「外交音痴!」とTV討論で罵るなど、同期に手心を加えない“心強い野党第1党(政権準備政党)幹事長”です。

 私は、高校が杉並区、中選挙区時代の旧東京4区にありましたので、JR荻窪駅南口のバスローターリーの不二家の前で、毎朝、「元日本テレビ記者の石原伸晃です」とハンドマイクを持って演説している青年を見ていました。公示後に、旧東京2区の石原慎太郎・元運輸大臣の息子、というか石原裕次郎の甥と知り驚きました。そして、初当選した石原さんがその日のうちに、自民党から追加公認されてまたビックリしました。「保守系無所属」という制度を初めて知りました。今は、二大政党とも、党本部・県連による候補者公募がありますから、この制度は廃止されました。

 同じ日に旧三重1区では、自民党公認の岡田克也さんが、開票速報で、5人区の「6位」なのに、当確が出て、バンザイで盛り上がりました。最終的には4位での初当選となりました。岡田さんの方がちょっとだけ自民党の先輩ですが、1993年6月18日にお先に自民党を離党しました。石原さんは、ずっと自民党にいて、あの小泉内閣の行政改革担当大臣、国土交通大臣として苦労して、政調会長を務めて、幹事長になりました。逆に、岡田さんは1日たりとも自民党に戻らず連立すら組んだことがありません。本格的な二大政党デモクラシーを迎えて、どちらも信頼できる幹事長だと思います。で、2人ともお坊ちゃんで選挙に強いので、岡田さんは初めて閣僚になったときに、「ややスケジュールが過密すぎるなという感想は、率直に(言って)ございます(略)慣れない生活でやや疲れておりますけれども、まあ元気に頑張っていきたいと思います」と正直にディスクロージャーしました。そして、石原さんは「という噂が週刊誌に載っていた。今の(2人の)答弁を聞いていると、そんな気がしますね~」。

 これが二大政党制です。

 石原さんら、自民党議員の質問のおかげで、民主党政権の問題点・課題がスッキリ整理されました。民主党の敵は自民党であり、自民党の敵は民主党です。しかしそれは合わせ鏡であり、どちらが与党でどちらが野党かは、そのときの国民の気分に過ぎません。そして、政権交代するかどうかは、国民が判断することですから、政務三役はとにかく好きなようにやればいいのです。与党になると各種団体なるものが、議員室に押し寄せますが、野党になれば、そんなの来ません。政府外議員は勉強していればいいのです。そして、国政の枢機にかかわる最も重大な判断、すなわち、総選挙でどちらに政権を委ねるか。これは100%私たち国民が判断しますから、衆院議員とその候補予定者は難しいことで悩む必要はまったくありません。

 なぜ組織のために人が自殺するのでしょう。それは情報を抱え込んでいるからです。しかし、自殺した人には申し訳ないが、その情報というのは、口には出さない者の、複数の関係者が知っている情報であり、一人だけで墓場に持っていく情報ではありません。組織のために自殺するのは不要です。情報をディスクロージャーすればいいのです。まずは情報の見える化です。

 シェークスピア劇のような石原さんの身振り手振りに、予算委理事の民主党の川内博史さんが「あんたの芝居はイチイチくさいんだよ」とヤジを飛ばしました。これは残念なヤジです。石原さんのオーバーアクションのくさい芝居のおかげで、民主党政権の課題をチェックして、国民にお見せする良質な「テレビ番組」のさいちゅうなのに。内閣改造が終わったある日の日暮れ時、川内さんは議員会館内を一人で歩いていました。向こうから同期の桜の親友が歩いてきました。川内さんは、親友に「あれ、副大臣になったのに、なんで秘書官が付いていないの?」と声をかけました。副大臣は「いや~、今は政務だから秘書官はいなんだよ。公務ならどこでも付いてくるけどね」と答えました。川内さんは「政務と公務は違うの?」と尋ねました。川内さんのメガネの奥の目は珍しく、少しさみしそうでした。安倍首相が「野党は過去6年間何にもしていない」と演説した9ヶ月後に、野党・民主党はガソリン1リットルあたり25円値下げ(予算関連法案の年度内不成立)を実現しました。野党としては憲政史上最大の功績です。ガソリン値下げ隊長だったのは今さら言うまでもありませんが、川内博史さんでした。隊長には、まずは、とにもかくにも、いの一番に、二大政党デモクラシーを根付かせるんだ、という心構えを持ってほしい。隊長の予算委での「一人親方」の質問も良かったですよ、弱い人に目が向く政治家です。ただ、川内さんは第1次民主党にいましたから、新進党解党のおかげで、野党第2党から野党第1党に昇格しました。しかし、民主党統一大会に参加した仲間の中には、新進党解党で一度は政治家をやめようとした岡田克也さんもいるんです。せひ、好き嫌いに関係なく、政界でイチバン大きい志に向かって歩きつづけている同僚議員の背中を押してやってほしいのです。川内隊長、ここでめげちゃいけないよ。

 「政権交代ある二大政党デモクラシー」を根付かせることは、子孫に美田を残すことにつながります。今ポケットに100円玉1個しかない人でも、子孫に美田を残すことができますよ、100年後の子孫から感謝されたいでしょ、あんたも人間なら。こう見えても、日本はきょうも一歩一歩前進しています。そのためには、各々の自由になる時間の範囲内で、しっかりチェックして、第46回衆院選の予習をしていきましょう。
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