【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田克也さんがメルマガで鉢呂吉雄(前)国対委員長に「謝罪」

2011年01月15日 23時46分05秒 | 岡田克也、旅の途中

 新聞記者の疲労はピークを越えているでしょう。お疲れ様です、としかいいようがありません。また、政治部1・2年生で、次の人事考課シートに他部への異動の希望を書こうと、心に決めた人もいるかもしれません。こうやって、大手メディアの政治部は、ベテラン・中堅(手の抜き所を熟知)と、ねずみのように這いずり回り、そして疑問を感じ、他部へ異動していく番記者・ベタ張り記者に二極分化しています。それなのに、定例異動では、「私、○○支局から来ました○○です!」という目の輝いた政治部新人の供給は事欠かない。政治部に取材される人たちは、そういう華やかな世界(見た目は別として)にいるということを肝に銘じてほしいです。

 さて、昨日、中野寛成・衆院議員(現・国家公安委員長)をお見送りした後、議員会館の吹き抜けから、鉢呂吉雄さんの議員室に記者がベタ張りしていて「あれ?」と思いました。私はてっきり、鉢呂さんの次の人事ということで、「幹事長代理就任へ」という話かなと推測していたら、どうやら岡田克也幹事長が鉢呂議員室を訪れていたらしい、ということがきょうの新聞で分かりました。鉢呂さんは第176臨時国会限りで国対委員長を卒業し、民主党副代表への昇格が内定しています。私は第176臨時国会を振り返った限りでは、菅直人代表・岡田克也幹事長の判断は当然だと考えます。

 このほかの人事も続いており、15日も首相公邸で、菅直人、枝野幸男、岡田克也、安住淳の「4人組」による協議がありました。安住防衛副大臣の後任に、小川勝也・総理補佐官が周り、おなじ参院枠の総理補佐官には、三重選挙区の芝博一・民主党参院総括副幹事長(元参院国対委員長代理)が回るようです。枝野さんの後の、幹事長代理には藤村修さんが厚労副大臣が入り、大塚耕平・広報委員長が厚労副大臣に回るようです。広報委員長補佐の1年生議員は残念でしょうね。また石井一・選対委員長、渡部恒三・倫理委員長が五大老のように岡田さんを守ってくれるようです。また岡崎トミ子さん、鉢呂吉雄さんも副代表となり、「新生党&90年初当選」が最大派閥となりそうな気配で、小選挙区時代、「岡田が派閥を作らないホントウの理由」がだんだん可視化されてきました。藤村修・幹事長代理は花斉会会長経験者で、凌雲会会長・オーナーの仙谷由人さんが代表代行としてにらみをきかせ、小沢グループからは山岡賢次副代表が入りますが、基本的には「新生党&90年初当選組」が最大派閥になりました。なんとか、この国会はこの体制でやらせていただきたいと、民主党非主流派、連立与党の国民新党、友好政党の社民党、ほか各党、とくに参院のみなさんにお願いしたい。まかり間違っても、菅さんがダメなら、その後継者は、岡田さん以外の人になります。間違いありません。ですから、我慢して一緒に日本を前に進めましょう。

【岡田克也さんが、メルマガで鉢呂さんに異例の謝罪】

 さて、1月15日午後8時過ぎに、岡田克也さんはメールマガジン「かつやNEWS」を出し、「信頼する同期の友、交代は大変残念」として、鉢呂吉雄さんの国対委員長“更迭”を惜しみました。「謝罪」という言葉はありませんが、事実上、岡田さんが鉢呂さんに謝罪した内容。岡田克也さんが、人事で優秀で仲の良い議員を抜擢し、「日のあたっている人」、例えば福山哲郎さんとか、枝野さんとか、藤井裕久さんとかを公の場で評価することはありますが、「日陰の人」に対して、謝罪を含めたフォローをすることは極めて異例のことです。

 岡田さんは、「1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです」としたうえで、「いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています」と語りました。そして、「一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています」とかばいながらも、「民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です」「かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました」と幹事長としては異例の国会運営の現場をオープンにすることで、岡田さんらしく、仲間はかばいながら、敵を攻撃する“分かる人には分かる表現”で、党内野党にレーザービームを送りました。この「予算委員会の責任者」とは、13日放送のクローズアップ現代で、名指しを避けながら党大会での振るまいを取り上げ批判した議員と同一人物だと思われます。

 鉢呂さんは、民主党全議員の中で、イチバン選挙上手だとも言われています。政権交代選挙の直前でも鉢呂・北海道連代表(当時)は、私の友人の石川知裕さんの選挙区内の地元の農協を一緒に回ってくれています。その北海道連代表で選挙上手の鉢呂さんは、2009年5月の民主党代表選で岡田陣営に加わりました。「政権交代して鳩山由紀夫さんを北海道初の総理に!」と盛り上がる北海道内外の鳩山さんの支援者は道連代表の「寝返り」に驚きました。

 政権交代後、鉢呂さんは当選7回生なのに、枝野幸男さんとともに、まったくの無役となり干されてしまいました。岡田外相の下の政務三役は全員が鉢呂さんより当選回数が少ない人で占められました。

 岡田さんは「鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います」としました。

 「地位は人を育てる」と言います。北澤俊美防衛大臣を見ていて、「男(人間)っていうものは、70歳を越えてから成長することもあるもんだなあ」と思います。岡田さんも還暦まで2年半。原理主義ときどきレーザービームの岡田さんも少しずつ成長しています。

 ちょっと補正予算が審議入り11月上旬には、ストレスに耐えられなくなっているようにもお見受けしました。最近、「野党は天国、与党は地獄」だとつくづく感じます。でも与党国対委員長は誰かがやらなければいけない仕事です。岡田幹事長は、先日のニコニコ動画番組で「クリーンな政治とは何か?」と問われ、「オープンであることだ」と答えました。法案ののりしろのない、オカネのやりとりのない、オープンな国対を私は支持します。多少時間がかかってもやむを得ませんでした。鉢呂さんは僕のヒーローです。

鉢呂吉雄・第176国会与党国対委員長・記念ソング(当ブログ勝手に認定)
FUNKY MONKEY BABYS「ヒーロー」 羽鳥アナウンサー出演!!

(http://www.youtube.com/watch?v=PD_uQZrHanAから共有)

 鉢呂さん、とにかく健康に気を付けてください。ぜひ長く生き、かならず長く当選し続けてください。必ず、報われるときが来ます。

(岡田克也さんのメルマガから引用はじめ)

 ◇◆かつやNEWS◆◇2011年1月15日号   編集・発行/衆議院議員岡田克也事務所

○鉢呂国対委員長の交代-信頼する同期の友、交代は大変残念

 いま、新しい閣僚が決まり、これから、党務関係も含めたそれ以外の人事を行っていかなければならない段階です。私は、今回の人事は非常に良い人事だと思いますが、1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです。いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています。

 一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています。そもそも、民主党で2期続けて国対委員長をやる人は稀(まれ)で、民主党において最も難しいポストが国対委員長だと言われてきました。それに加えて、民主党が与党になり自民党が野党になって、より国対委員長の仕事が難しくなってきています。民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です。しかし、それ以上に、やはり、野党になった自民党や公明党との交渉が非常に難しくなってきています。かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました。そして、衆参の自民党でも必ずしもそれが1つではないなかで、鉢呂委員長は大変ご苦労されて、頑張ってこられたと思います。今回、国対委員長が代わることは、大変残念だと思っています。

いずれにしても、鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います。

(岡田克也さんのメルマガから引用おわり)


中野寛成さん初入閣。母ちゃん見てくれこの姿。国家公安委員長・公務員改革担当大臣・拉致相

2011年01月15日 11時02分29秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]大臣就任会見にのぞむ中野寛成さん。2011年1月14日、首相官邸、政府インターネットテレビからキャプチャ。

 内閣改造で、16人決まって、最後の1大臣および衆院側の官房副長官が決まらず、「菅さん(越後屋)も相変わらず悪よのう」と思っていたら、その答えは、2つ前のエントリーでリストの一番上に名前があったナント大阪8区(豊中)の中野寛成(なかの・かんせい)さんが当選11回・勤続30年4か月での初入閣となりました。もちろん衆議院副議長経験者であり、党首(新党友愛代表)、民主党の初代代表代行、幹事長をやっていますが、政務次官なども含めて行政府入りは初めて。担当は、国家公安委員会委員長、公務員制度改革担当大臣、拉致問題担当大臣の3つです。

 こうやって人が動く、心が動く、人生が動くときには、顔を出す。オカネはないから、大臣就任祝いのお花は買えないので、その場に居合わせるという風にしており、昨日朝も午前8時50分過ぎからの速報で驚いて、消防士のようにスーツと勝負ネクタイをして、衆議院議員会館にかけつけました。


 年末のエントリーででいったん政府外に去った馬淵澄夫・前国土交通大臣を育てた、故吉田之久元議員が、新党友愛結成時に寛成さんに「お前は初めて党首になるんだから、ダジャレはやめろ」と叱ったというエピソードを書き、「その後公の場でダジャレを聞いた事がない」と書いておりましたが、民主党幹事長就任時に、「中野未完成です」というダジャレをいったという新聞記事を読みました。吉田先生は「(民社党幹事長、新進党国対委員長・政調会長を経て)党首になるんだから」ということで、幹事長ならいいのかもしれませんが、入閣前にも集まった記者陣を前に2つダジャレを披露していました。

 一つは、おなじ民社協会の柳田稔元法相の件がありましたので、自民党政権時代で一部の県庁がやっていた“県庁主催の大臣就任記念パーティー”で、「センセイ、大阪だと、府庁は大臣就任記念パーティーをやるんですか?」と聞いたら、やはり「府庁が大臣就任記念パーティーというのは、聞いたことがないなあ」とのこと。そして、寛成さんは「大阪ではねえ、大臣になったと言うと、『おだいじに』と言われるんだよ」。他の記者さんは笑ったのですが、私はやはり大阪では、中央(東京)で大臣をやると、『お大事に』と大変ですねえ、と同情&冷やかしをされるのかと思ったら、ハット気づき、「あっそれダジャレですか(お大臣に)?」と言うと、「なんだい、今気付いたのかい?」。午後0時半、組閣本部が立ち上がると、TV局の女性記者さんが「モーニングは用意されているんですよね?」。寛成さんは「ああ、この部屋の中に(しまって)あるよ」。「よろしかったら、見せて(ビデオで写させて)もらえませんか?」と唯一の初入閣者へのお願い。しかし、そこは党首・幹事長・副議長経験者だけに、やんわり拒否して、「だってもうモーニングじゃないよ(午後0時半だから)」。こちらはダジャレというかウィットに富んだジョーク。つねに民主党政権の浮揚策を考えている私は、「大臣会見は週2回あるからダジャレも披露できますよね」と話を向けると、「それはちょっと(内定している)国家公安委員長の立場上ムリだよね」とダジャレ封印宣言をされてしまいました。私はダジャレ大臣に世間の関心が向いている間に、税と社会保障の一体改革で突破するという策を考えていたんですが、ダジャレ封印を宣言。そして、寛成さん「そうだ、今日中に辞表を書いておかないといけないね。日付だけ空白にしてね」と国家公安委員長としての心構えを示しました。実際のこの後、官邸での就任記者会見では、警察庁のトップとして、「警察は国民の人権、生命、財産を守るための実力行使の機関」だとの認識を示した上で、「実力の行使は諸刃の刃(もろはのやいば)となりかねない」として国務大臣としての心構えを強調。そして、「間違いはひとときも許されない」としてその職責にあたるうえでの覚悟を表明しました。

 やはり、節目というのは面白いもので、総理秘書官からの電話を待っていたら、いろいろな人から電話がかかってきて、6年前に退職した私と同い年の元女性公設秘書のMさんいますか、という電話がかかってきていたようで、政治家と、その事務所は人生の交差点だなと感じました。

 枝野幸男・官房長官が「中野寛成」と読み上げるTV画面にもまったく表情を変えず。総理秘書官からの電話にも、「そこでいったん議員会館に戻るんだね」とスケジュールをしっかり確認。「さあ、行きます」。

【追記 2011-1-20】

 16日放送の日テレの「真相報道バンキシャ」が放送してくれました。


[画像]官邸から入閣要請の電話をまつ取材陣(向かって右後ろが筆者)。

【追記おわり】
 
 寛成さんは昨年、民主党が与党として初めて立ち上げた「党税調」もとい党税制改革プロジェクトチーム座長として、特定業界の免税措置の継続などの要望を絶叫する政府外議員をうまくなだめて、時間がたって疲れた時間帯に採決を取るなどの老獪さで、党としての税制改正大綱(党から政府への要望書)を作り上げました。これは、「消費税以外の課題は全部出来た」という論評があり、「控除から手当へ」の基本理念もしっかり筋道が通っていて、私も消費税と租税特別措置の一部(ただし時間が必要)をのぞけば、ほぼ満点だと思います。2人3脚で歩んだ、チーム事務局長の古本伸一郎さんの評価が大きく上がりましたが、エレベーターホールで、偶然にもその古本さんと一緒になりました。古本さんは「おめでとうございます」「税制改正プロジェクトチームはこれで解散ですね」「素晴らしい経験でした」と矢継ぎ早に数十秒の解散式。そして、寛成さんは、官邸に向かうために下へ。寛成さんが古本さんへ「あれ、どっち行くの?」と聞くと、「上です」とのこと。さわやかにさっそうと偶然行われた解散式。国会議員というのは、やはり選挙で有権者にそれまでのキャリアもしっかりと吟味されて選ばれているのがよく分かる光景でした。やはり運や偶然とは、実は必然なのだなと感じさせるシーンでした。古本さんは営業が強くて有名な自動車会社の社員出身です。

 議員会館前までお見送り。ここから官邸へは衆議院事務局が各会派に貸し出している予約制の院車で、官邸を出るときには、官庁のクルマになります。大臣になると、しばらく会えませんから、「どうぞお気を付けて」。振り向いた新大臣、「何を気を付けるの?」。私、「いろいろですよ!」

 そして、カバンを取りに中野事務所に戻ると、3職兼務ということで、各官庁、各階級の国家公務員がすでに50人ぐらい詰めかけており、「気を付けて」と声をかけてよかったな、と思いました。

   

[写真]左から、民主党幹事長時代(2002年、民主党ホームページ)、衆議院副議長時代、落選中の朝立ち(2008年2月、大阪・豊中、宮崎信行撮影)、政権交代の夏(2009年7月、同所、宮崎信行撮影)

 カンセイさんはついていないことが多くて、長崎県出身で、被爆しています。衆議院を代表して、2005年8月6日の広島平和記念式典は河野洋平議長、8月9日の長崎平和記念式典は中野副議長が出席するという分担を決めたところ、8月8日に解散されてしまい、行けなかったこともあります。お父さんが事業に失敗。再起をかけて大阪に出るも、お父さんは酒を友とし、ついに再起成らず。豊中市議会議員を経て、第33回衆院選で落選。このときは、現行憲法下でただ1回、三木武夫首相が野党などに追い込まれ、解散できずに任期満了で第34回総選挙を施行したので、まるまる4年間浪人しました。政務三役経験がないのは、細川・羽田内閣で、民社党政調会長として、連立与党政策責任者チームを預かったからです。

 中野寛成70歳。「警察は国民の生命(いのち)、人権、財産を守るための実力行使の機関」と決まり文句にさらっと1単語加えた老獪さ。勤続30年目からのビギン、新人閣僚の最後のご奉公が始まります。

 
[画像]菅再改造内閣発足のようす、首相官邸ホームページから

「精いっぱい務めたい」 : 大阪 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 「治安対策は国の一番大きな役割。精いっぱい務めたい」。14日発足した菅再改造内閣で、国家公安委員長として初入閣を果たした中野寛成さん(70)(衆院大阪8区選出)は、首相官邸での記者会見でこう抱負を述べた。

 新内閣は留任や横滑りした大臣が多く、初入閣は中野さんのみ。「予想しておりませんでした」と、率直に“サプライズ人事”への感想を言葉にした。

 ただ、衆院副議長や政治倫理審査会長などを歴任し、当選11回目のベテランだけに、会見でも終始落ち着いた表情。「(菅首相が)今日までの自分の経験を評価して指名してくれたのなら、真剣に応えないといけない」と決意を新たにしていた。