新聞記者の疲労はピークを越えているでしょう。お疲れ様です、としかいいようがありません。また、政治部1・2年生で、次の人事考課シートに他部への異動の希望を書こうと、心に決めた人もいるかもしれません。こうやって、大手メディアの政治部は、ベテラン・中堅(手の抜き所を熟知)と、ねずみのように這いずり回り、そして疑問を感じ、他部へ異動していく番記者・ベタ張り記者に二極分化しています。それなのに、定例異動では、「私、○○支局から来ました○○です!」という目の輝いた政治部新人の供給は事欠かない。政治部に取材される人たちは、そういう華やかな世界(見た目は別として)にいるということを肝に銘じてほしいです。
さて、昨日、中野寛成・衆院議員(現・国家公安委員長)をお見送りした後、議員会館の吹き抜けから、鉢呂吉雄さんの議員室に記者がベタ張りしていて「あれ?」と思いました。私はてっきり、鉢呂さんの次の人事ということで、「幹事長代理就任へ」という話かなと推測していたら、どうやら岡田克也幹事長が鉢呂議員室を訪れていたらしい、ということがきょうの新聞で分かりました。鉢呂さんは第176臨時国会限りで国対委員長を卒業し、民主党副代表への昇格が内定しています。私は第176臨時国会を振り返った限りでは、菅直人代表・岡田克也幹事長の判断は当然だと考えます。
このほかの人事も続いており、15日も首相公邸で、菅直人、枝野幸男、岡田克也、安住淳の「4人組」による協議がありました。安住防衛副大臣の後任に、小川勝也・総理補佐官が周り、おなじ参院枠の総理補佐官には、三重選挙区の芝博一・民主党参院総括副幹事長(元参院国対委員長代理)が回るようです。枝野さんの後の、幹事長代理には藤村修さんが厚労副大臣が入り、大塚耕平・広報委員長が厚労副大臣に回るようです。広報委員長補佐の1年生議員は残念でしょうね。また石井一・選対委員長、渡部恒三・倫理委員長が五大老のように岡田さんを守ってくれるようです。また岡崎トミ子さん、鉢呂吉雄さんも副代表となり、「新生党&90年初当選」が最大派閥となりそうな気配で、小選挙区時代、「岡田が派閥を作らないホントウの理由」がだんだん可視化されてきました。藤村修・幹事長代理は花斉会会長経験者で、凌雲会会長・オーナーの仙谷由人さんが代表代行としてにらみをきかせ、小沢グループからは山岡賢次副代表が入りますが、基本的には「新生党&90年初当選組」が最大派閥になりました。なんとか、この国会はこの体制でやらせていただきたいと、民主党非主流派、連立与党の国民新党、友好政党の社民党、ほか各党、とくに参院のみなさんにお願いしたい。まかり間違っても、菅さんがダメなら、その後継者は、岡田さん以外の人になります。間違いありません。ですから、我慢して一緒に日本を前に進めましょう。
【岡田克也さんが、メルマガで鉢呂さんに異例の謝罪】
さて、1月15日午後8時過ぎに、岡田克也さんはメールマガジン「かつやNEWS」を出し、「信頼する同期の友、交代は大変残念」として、鉢呂吉雄さんの国対委員長“更迭”を惜しみました。「謝罪」という言葉はありませんが、事実上、岡田さんが鉢呂さんに謝罪した内容。岡田克也さんが、人事で優秀で仲の良い議員を抜擢し、「日のあたっている人」、例えば福山哲郎さんとか、枝野さんとか、藤井裕久さんとかを公の場で評価することはありますが、「日陰の人」に対して、謝罪を含めたフォローをすることは極めて異例のことです。
岡田さんは、「1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです」としたうえで、「いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています」と語りました。そして、「一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています」とかばいながらも、「民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です」「かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました」と幹事長としては異例の国会運営の現場をオープンにすることで、岡田さんらしく、仲間はかばいながら、敵を攻撃する“分かる人には分かる表現”で、党内野党にレーザービームを送りました。この「予算委員会の責任者」とは、13日放送のクローズアップ現代で、名指しを避けながら党大会での振るまいを取り上げ批判した議員と同一人物だと思われます。
鉢呂さんは、民主党全議員の中で、イチバン選挙上手だとも言われています。政権交代選挙の直前でも鉢呂・北海道連代表(当時)は、私の友人の石川知裕さんの選挙区内の地元の農協を一緒に回ってくれています。その北海道連代表で選挙上手の鉢呂さんは、2009年5月の民主党代表選で岡田陣営に加わりました。「政権交代して鳩山由紀夫さんを北海道初の総理に!」と盛り上がる北海道内外の鳩山さんの支援者は道連代表の「寝返り」に驚きました。
政権交代後、鉢呂さんは当選7回生なのに、枝野幸男さんとともに、まったくの無役となり干されてしまいました。岡田外相の下の政務三役は全員が鉢呂さんより当選回数が少ない人で占められました。
岡田さんは「鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います」としました。
「地位は人を育てる」と言います。北澤俊美防衛大臣を見ていて、「男(人間)っていうものは、70歳を越えてから成長することもあるもんだなあ」と思います。岡田さんも還暦まで2年半。原理主義ときどきレーザービームの岡田さんも少しずつ成長しています。
ちょっと補正予算が審議入り11月上旬には、ストレスに耐えられなくなっているようにもお見受けしました。最近、「野党は天国、与党は地獄」だとつくづく感じます。でも与党国対委員長は誰かがやらなければいけない仕事です。岡田幹事長は、先日のニコニコ動画番組で「クリーンな政治とは何か?」と問われ、「オープンであることだ」と答えました。法案ののりしろのない、オカネのやりとりのない、オープンな国対を私は支持します。多少時間がかかってもやむを得ませんでした。鉢呂さんは僕のヒーローです。
FUNKY MONKEY BABYS「ヒーロー」 羽鳥アナウンサー出演!!
(http://www.youtube.com/watch?v=PD_uQZrHanAから共有)
鉢呂さん、とにかく健康に気を付けてください。ぜひ長く生き、かならず長く当選し続けてください。必ず、報われるときが来ます。
(岡田克也さんのメルマガから引用はじめ)
◇◆かつやNEWS◆◇2011年1月15日号 編集・発行/衆議院議員岡田克也事務所
○鉢呂国対委員長の交代-信頼する同期の友、交代は大変残念
いま、新しい閣僚が決まり、これから、党務関係も含めたそれ以外の人事を行っていかなければならない段階です。私は、今回の人事は非常に良い人事だと思いますが、1つ残念だったのは、私の長年の友人であり、ともに民主党でやってきた鉢呂吉雄国対(国会対策)委員長が交代になったことです。いろいろなことが言われますが、私は、鉢呂委員長は本当によくやってくれたと思っています。
一昔前と違って、国対の難しさというものは、一段と高まっています。そもそも、民主党で2期続けて国対委員長をやる人は稀(まれ)で、民主党において最も難しいポストが国対委員長だと言われてきました。それに加えて、民主党が与党になり自民党が野党になって、より国対委員長の仕事が難しくなってきています。民主党の中での意見集約の難しさもないわけではありません。衆参の連携も課題です。しかし、それ以上に、やはり、野党になった自民党や公明党との交渉が非常に難しくなってきています。かつてのように、党内が必ずしも一方に固まっているわけではなくて、例えば、予算委員会の運営に関しても、予算委員会の責任者や国対委員長、あるいは幹事長の間でも、意見が違うことがしょっちゅう起こりました。そして、衆参の自民党でも必ずしもそれが1つではないなかで、鉢呂委員長は大変ご苦労されて、頑張ってこられたと思います。今回、国対委員長が代わることは、大変残念だと思っています。
いずれにしても、鉢呂委員長と私はお互い非常に信頼関係があり、ともに平成2年初当選で──もちろん、スタートは私が自民党、鉢呂委員長が社会党でしたが──長年一緒にやってきました。私が党代表だったときも、鉢呂委員長は幹事長代理として、藤井裕久幹事長のもとで私を支えていただいたりと、長年の友人です。これからも、民主党のためにしっかりと頑張ってもらいたいと思います。
(岡田克也さんのメルマガから引用おわり)