政府は2012年1月31日(火)午前8時からの閣議で「行政改革実行本部」(野田佳彦本部長、岡田克也本部長代行)を設置し、ただちに8時半から「第1回行革実行本部」を開催しました。このなかで、野田さんは「不退転の決意でやる」、岡田さんは「ちょっと乱暴なこともやる」と語りました。
岡田さんは午後3時からの記者会見で、「ちょっと乱暴なこともやる」発言の真意を問われると、「それは、見ていていただければと思います」と述べました。行革実行本部は後々、歴史家が議事録を読みたくなるようなものになるといいですね。
まあ、行政改革といっても、公務員制度改革です。橋本行革では、大臣が3人減りました。事務次官ポストは大幅に減りました。とはいえ、基本的には看板の掛け替えであり、郵政省職員は総務省移行後にかなり自主的に退職していますが、国家公務員が「クビ」「リストラ」になったわけではありません。
その辺で、尊敬する人物としてずっと「織田信長」を挙げている岡田副総理が「ちょっと乱暴なこともやる」ということで、不安な国家公務員もいるかもしれません。
さて、2012年2月1日(水)、第4次補正の基本的質疑が衆院予算委員会で行われました。平成23年度第4次補正予算(案)の審議が本格スタートです。
このなかで、私としてはとてもうれしい場面がありました。
第45回衆院選で神奈川4区の惜敗率で比例南関東ブロックから選出されている衆議院議員でみんなの党政調会長の浅尾慶一郎さんが質問に立ちました。社会保障と税の一体改革について、国税庁は法務局の商業登記のデータをすべて持っているが、日本年金機構(旧社会保険庁)はすべては持っていないとして、厚生年金保険料の徴収業務を国税庁あるいは「歳入庁」に移した方がいいという議論です。岡田副総理は「(みんなの党代表の)渡辺喜美さんが(先週金曜日の)本会議の代表質問で話していておもしろいと思った」と答弁。浅尾さんの改革提言を反映した場合の保険料と給付などについて「興味深いご指摘なので計算したい」と確約しました。
散会後、岡田さんと浅尾さんが2人で話し合う姿が、NHK国会中継で全国ネットで流れました。
これはうれしかったです。
実は、衆院解散から3日後の2009年7月24日、岡田さんは浅尾さんを民主党から除籍しています。これは解散当日の7月21日の両院議員総会で、党所属の前衆院議員と現参院議員から拍手で承認を受けて、常幹マターが鳩山由紀夫代表と岡田幹事長の2人に委任されていたから可能になったのです。
7月24日のたしか午後1時からの記者会見で、岡田さんは浅尾さんについて聞かれ、「国会議員の身分にかかわる問題ですから答えられません」と述べました。
「身分」とは「身の上」「境遇」という意味です(広辞苑)。
そのうえで、「浅尾議員は午後3時から記者会見をするという情報を得ている」として、懐から自身の日程表を取り出し、遊説日程を説明し、その後ならぶら下がり取材に応じられるかもしれないと示唆しました。
午後3時から、浅尾民主党参院議員は、記者会見し、第45回衆院選の神奈川4区にみんなの党公認で出馬することを発表します。
これに対して、岡田幹事長は次のように発表しました。
「民主党は24日、離党届を提出し、参議院議員を辞職して次期衆院選に神奈川第4区から立候補することを表明した浅尾慶一郎参議院議員に対し、党に提出された離党届を受理せず、党規約第33条および党倫理規則第4条にもとづき、本日付で除籍処分とした」
いやーこわいですねえ。解散後の事実上の総選挙(現代における“内戦”)中の岡田さんは、織田信長並みの鬼です。
発表文はもっとスゴイ書きぶりです。読むと震えが来ます。
「すでに衆議院は解散され、事実上の選挙戦に突入している。わが党は国民の期待に応えて政権交代を実現するため、すべての候補予定者、参議院議員、地方組織が一致結束して全力でたたかっているところである。その最中に、ネクスト防衛大臣の要職にある浅尾議員が、再三の説得にも応じず、身勝手な理由でわが党の公認候補予定者に対抗して立候補しようとしていることは、国民の期待を裏切る背信行為であり、党の倫理規範に反する許し難い反党行為である。党としてこれを看過することはできず、最も重い処分を講ずることが相当であると判断し、浅尾議員から提出された離党届を受理せず、党規約第33条および党倫理規則第4条にもとづき、本日付で除籍処分とする」
ただし、最後に次の一文を原理主義者として付け加えています。
「なお、本処分は、解散後の常任幹事会決定事項が代表、幹事長に一任されていることにもとづく決定であり、倫理委員会への諮問については、党倫理規則第6条にもとづき、総選挙後に行うこととする」
ところが、岡田幹事長は総選挙勝利後に鳩山代表から解任され、小沢一郎代表代行に幹事長の座を奪われましたので、浅尾さんの倫理委員会への諮問というのは引き継がれなかったように思います。
浅尾さんは第41回衆院選に新進党公認で神奈川4区(鎌倉市、横浜市栄区など)から出馬し、落選しています。その後、翌々年の参院選神奈川選挙区(定数3)に「民主党公認・公明党推薦」で立候補し、当選しました。「民主党公認・公明党推薦」の組み合わせによる国政選挙の構図、第18回参院選の浅尾候補しか例がないのでは。参院議員になった後も、県人口の4割が集中する横浜市ではなく、鎌倉市に事務所を持っていたようです。第45回衆院選が歴史的な選挙になることに気付いていた浅尾さんは、小沢一郎代表(当時)に何度も働きかけますが、公認を得られませんでした。私は個人的には浅尾さんの方が良い候補者だと考えていました。この辺の私の心持ちは、浅尾さんが即日除籍になった後の次のエントリーに書きました。
浅尾慶一郎さん除籍 神奈川4区院替え出馬に関する私見
浅尾さんは強行出馬し、比例復活で当選しました。こういうことはこれからもあるでしょう。それが小選挙区です。政権交代ある政治という大義のもとには、こういうことがあるのはやむを得ません。
浅尾さんは、政権交代ある二大政党政治の下、ギリギリの判断で民主党に離党届を出して、衆院に出ました。それは大義ある行動です。
ちなみに、浅尾さんは岡田さんが初めて代表選に出馬したときの推薦人の1人です。
きょうはハッキリした場面が他にもありました。千葉7区比例の自民党の斎藤健さんを野田総理も岡田副総理も褒めました。これは千葉7区の対抗馬が新党きづな代表の内山晃さんだからでしょう。斎藤さんは媒酌人の関係や、埼玉県副知事(上田清知事の下の副知事)の関係から広い意味での羽田ファミリーという意識が強いと考えます。通産省の先輩後輩というのはあまり関係ないでしょう。こういうところで、民主党と自民党に羽田ファミリーが割れているのは、政治がスムーズになることもあるでしょう。党が違えども、我ら羽田ファミリー。
一方、三重4区比例の自民党の田村憲久さんの質問中は、岡田さんは田村さんを激しく批判しました。これは昨年8月の代表選で、野田陣営の総決起集会で、三重4区の森本哲生さんが「実は今回の代表選は違う人を応援していましたが、ある方から電話が来て、とても良い候補者なんだ、応援してほしいと言われここに来ました。こんな良い候補者が自分の党にいることに今まで気付かなくて恥ずかしいけれども、何とか間に合いました。これも天命なのかなと思っています」と演説し、野田さんの代表・総理当選を決定づけた。その森本さんの対抗馬だからという意識もあるでしょう。友の敵は、自分の敵。
そして、公明党の石井啓一さんの公文書管理の考え方について、岡田さんは「ご指摘は多くの部分で共感します」と語りました。新進党仲間だし、ねじれ参議院のカギとなる公明党政調会長です。
このように、ツンツン、デレデレのツンデレぶりで、難しいかも知れません。民主政治、小選挙区二大政党制といった大義を守っていれば、そのときの状況で、友になったり、敵になったりしながら、国論を動かしていく。それが国益になる。自分たちは国民に選択肢を示すための「役者」に過ぎない。こういう考え方は野田政権の主要メンバーでは絶対的です。だから、15年間野党でもがんばって当選し続けられたのです。
最近は国民の敵のように言われる、国家公務員にも、国家国益のためにがんばっている人はいっぱいいます。例え、給与や共済年金が減っても、野田・岡田行革で公務員制度改革をやれば、自由な時間が増えたり、本人の意思で他省や自治体で働けるような制度をつくる絶好のチャンスです。もちろん、実力者、例えば浅尾さんは自力で高い惜敗率を獲得したし、英語は岡田さんよりかなり上手い。そういった実力がある人が有利になるかも知れません。しかし、がんばれる人が先頭に立つことで、オール日本で生き残りを図る時代です。
恐れずに、国民を裏切らなければ大丈夫でしょう。国家公務員は攻めることで自分の地位を守る時代になったことを自覚してください。
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