ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

岡田克也副総理「優秀な秘書官そろっている」

2012年02月06日 08時10分02秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田副総理は1月31日の記者会見で、「私も、非常に優秀な副総理秘書官がおりますので、(橋本行革の江田憲司と)同じような役割を果たしていただけるというふうに思います。行政改革を実行していく中で、やはり霞が関の官僚の皆さんと議論し、説得を時にはしながら進めていくということは大事なことで、そういう意味で総責任者として、事務の官房副長官を充てたということです。全体を力強く進めるためには、私は必要なことであるというふうに思っています。」と話しました。

 官報2012年1月25日号は、平成24年1月13日付で発令された、「本庄知史、国務大臣秘書官に任命する 岡田国務大臣づきを命ずる。」との人事を掲載しました。


[画像]官報平成24年1月25日号(部分抜粋)

 偶然と言えば、偶然に過ぎないのですが、本庄秘書官は、江田通産大臣秘書官と同じ、「数え歳では38歳の就任」ということになります。細川内閣での政治改革の一つの成果である、政策秘書試験の8期生で京都出身の本庄さんですが、岡田副総理、あるいは岡田公務員制度改革担当大臣を支える上で非常の重要な意味合いがあります。それは東大法学部卒業生だということです。リアルポリティックスとして霞が関は「東大法学部」で動いています。例えば、大蔵省・財務省の事務次官は、池田勇人事務次官以降、京大卒は半世紀いませんでした。京大ですら。では法務事務次官・検事総長に東大法学部が少ないのは、法務省は人件費が中心で、箱物などの概算要求が少ないので財務省のグリップが聞かないからだとされています。おおむね3人いる東京都庁の歴代副知事に1人ずつ東大法学部卒業生が入っているのも調べてみたら分かるでしょう。だから、東大法学部というのは重要です。

 歴史に残る、野田・岡田行革と一体改革。それを支えるのは日本の未来につながることであり、それは事務秘書官にとっても本省の利益以上にはるかにやりがいのある仕事でしょう。橋本行革では、「橋本行革を応援する500人委員会」というのがあり、やがて「700人委員会」になりました。ただ、時代が違いますし、大事をなすのには、コアメンバーがしっかりしていればいい。だから、副総理秘書官とそれを支える人物。例えば、「福山ノートは公文書管理法第1条でいう行政文書に当たるか?」。副総理は「福山ノートなるものがどういうものか、私は承知しておりませんが、しかし公文書というのは、行政に携わる者が法律の定義を今持ってないのですが・・・・、事務秘書官が紙一枚をサッ。それを見て、岡田さんは「行政機関の職員が職務上作成し、または取得した文書、というふうになっているのですね。ですから、ここに私は個人的なメモであればこれには当たらないというふうに思います」。福山ノートは行政文書でないという法解釈をその場で示し、現時点で福山ノートの活用の考えがないという政治判断を示しました。まず法律を確認。その解釈を示す。そしてその時点での政治判断は保留する。ホップ、ステップ、ジャンプ。その前提には必ず法律の確認があり、法律の確認があって、初めて政治判断がある。当たり前のことですが、震災後こそ当たり前のことを当たり前にすることが大事です。ただ、岡田さんは兼務が多すぎて、さすがの岡田さんにも荷が重すぎます。誰か他の大臣に分担できないものでしょうか。

 岡田さんは尊敬する人物を織田信長としています。岡田さんは次の土曜日には京都に乗り込み、京都5区の舞鶴で一体改革の説明の「第一声」を小原舞・衆院議員の総支部で挙げます。この選挙区の自民党支部長は谷垣禎一総裁です。この「ちょっと乱暴な副総理」に猛ダッシュで付いていく、コアメンバーは、まあ、200人でしょう。ご家来衆は200人でいい。チーム岡田の前には必ず道が拓けます。なぜでしょう。他に選択肢がないからです。議論の余地がないからです。議論ではなく、説得が仕事です。だから必ず道は拓けます。その200人は勇気を持って、ただまっすぐにひたむきに前に進んでいきたいと考えていますが、いかがでしょうか。まあ他に選択肢はありませんから。前へ。のポイントを充ててお読みいただけます。

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