【衆議院国家安全保障に関する特別委員会(衆NSC特別委) 2013年11月21日(木)】
【参議院国家安全保障に関する特別委員会(参NSC特別委) 同日】
特定秘密保護法に、みんなの党、日本維新の会が修正賛成するとの報道があいつぐなか、衆参のNSC特別委を開きました。
衆院では、大島敦・筆頭理事が、長島昭久さん、後藤祐一さん、渡辺周さんら提出者に質問。
大島さんは「行政の行政による行政のための特定秘密保護法案だ」と指摘。
民主党の質疑者と答弁者は、
「知る権利とは、国会が守るものであって、国会と行政の緊張関係が知る権利につながる」と断言しました。
ちょうど同時刻、参院では、知る権利をめぐる運命の人、西山太吉・元毎日新聞政治部記者が参考人として出席。
西山参考人は「1972年の沖縄返還を急いでいたから、1960年代のアメリカからの対日要求を全部飲まされて、片っ端から密約ができたと聞いたし、(退社後に)読んだりした」と語りました。
ただ、Twitterでは、西山さんと外務省事務官との関係を事実誤認(たとえば強姦したとか)を含めてなじるつぶやきもありました。
西山さんというと民主党にとっても運命の人。
もともと記事より先に、横路孝弘衆議院議員が国会で質問しています。ところが、西山さんを被告とした冒頭陳述の「ひそかに情を通じて」を書いた佐藤道夫さん(故人)も元民主党参議院議員で、岡田克也民主党代表時代の党倫理委員長です。あらためていうまでもないのですが、西山さんの名誉を回復したのは岡田外相です。
なお、当ブログ内2009年7月16日付エントリーの中で、西山さんと毎日新聞社に対して私の当時の事実誤認にもとづく論評が一部あることを、この場をお借りしてお詫びします。
衆議院に戻ります。
第1次与党期の初代防衛政務官の長島さんを横目に見ながら、大島筆頭理事は「防衛省が我が党の政権時に、3万4000件の防衛機密文書が捨てられたのは、われわれが行政から信頼されていなかったからかもしれない」と語ると、長島さんは「行政というものは秘密にしたがるものであり、政府案のように、その行政に秘密を指定させる内容は受け入れられない」としました。
これに先立つ、自民党の中谷元・筆頭理事の質疑で、後藤祐一さんは「政府案に知る権利が入っていることは評価したいが、私たちの法案では、第1条に知る権利を入れた」と自負しました。
実は、今週19日(火)の衆院本会議明けの、衆議院農林水産委員会と災害対策特別委員会でも、同時刻に運命が起きていました。
衆・災害特で、民主党の黄川田徹さんが、「自民党案は国土強靭化のための防災減災基本法案、民主党案は国民生活のための防災減災基本法案となっている。それぞれのタイトルと第1条について、答弁してほしい」と質問。
まったく同時刻に、後藤斎(ごとう・ひとし)さんが農水委で「第1条の目的に、農地の集約による規模の拡大による生産性向上のための法律(案)とあることに違和感がある」と質疑していました。
[画像]2013年11月19日(火)午後2時43分、それぞれが審査する法案の第1条「目的」について、同時刻に質問した民主党の黄川田徹さん=災害特、後藤斎さん=農水委、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。
法案の第1条「目的」について、まったく同じ時刻に2つの委員会で国会議員が質問しているのは、私は初めて聞きました。というより、法案の第1条「目的」について質問する議員というのは、政権再交代後の民主党議員しか、私には記憶がありません。自民党や社会党が法案の第1条を国会で質問したことがあったのでしょうか。記憶にはありません。
ただまあ、下野後の民主党を見ていると、偶然ではなく、必然。とはいえ、政治家は日々歴史をつくっているので、全員が運命の人です。
以前、黄川田さんが私は与党の総務委筆頭理事時代に法案可決が遅い、と指摘したことがありますが、これは定例日が木曜日なので本会議が緊急上程になりやすいということを私が知らなかった誤認識による失礼な指摘で、反省しております。お詫び申し上げます。
特定秘密保護法に関しては、一度施行されたらおしまいという面があります。ただ、附則第1条で「公布から1年以内に政令で定める日」なので、たとえ、12月6日までの今国会で成立しても、まだ1年あります。
民主党は、第1条目的をしっかりと守れば、必ず後世に評価される国会対応をしていますから、胸を張って、悩まずにあと2週間走り続ければいいと思います。
私は、特定秘密保護法案は、断固、審議未了廃案に追い込むべきだと主張します。
ところで、私が経験と同時に障害を得ることになった日本経済新聞政治部時代の先輩の春原剛記者が、参・NSC特別委で参考人として出席していました。
ただ、とてもお疲れのようで、びっくりしました。
また、ごらんのように、西山参考人が話しているさいちゅう、隣の落合洋司参考人は話を聞いているのに、春原参考人は何か書き物をしていて、このような態度は残念でした。私が首相官邸・総務庁担当時代に、春原さんは外務省担当だったので、外国首脳の官邸訪問などの電話連絡は頻繁だけど、実際に会ったり、仕事をしたりすることは少ないという経験でした。
この中で、春原日経新聞社員が「CIAというのは、もともと、ハーバード出の若い白人の名家(めいけ)がつくった」と発言し、名家を「めいけ」と発音し、その誤りに気付かなかったようです。まったく違う世界の人間だと感じました。こんな会社なんですよ。日本経済新聞社に入社したのはもちろん、私がはんこを押したことですが、無知とはいえ、このような会社に入ってしまって、私も「運命の人」だなと感じました。西山さんのように人生あきらめずに生きていく。
【参議院懲罰委員会 2013年11月21日(木)】
参議院懲罰委員会が開かれました。
北澤俊美委員長が開会を宣言。委員長就任のあいさつや理事の選任以外で、一つの国会で参・懲罰委が2回開かれたのは、議事録によると、昭和60年1985年の通常国会以来。ただ、これは冒頭と会期末に1回ずつ、理事の選任をしているので、政府・自民党の人事異動のからみでしょう。
参議院発足後5年間ぐらいは、本会議での不正常採決の「目撃者」に証言をしてもらっている議事録がありますが、昭和30年代以降は委員長あいさつと理事選任だけです。
懲罰委員会はイチバン人数が少ない委員会で委員は10名。そのため、「第185懲罰案件1号」で懲罰動議が本会議で可決され、同2号で懲罰委員会にかかったアントニオ猪木議員の同僚である「日本維新の会」の委員は初めから、いませんでした。
理由は、猪木議員が、議院運営委員会理事会への事前の報告が不十分だとされ、海外渡航の請暇を認められなかったのに、北朝鮮に渡航した件が院の秩序を乱したという件だと思います。
そして、参議院規則第240条では「議員は、自己の懲罰事犯の会議および委員会に出席することができない。ただし、議長または委員長の許可を得て、自ら弁明し、または他の議員をしてかわって弁明させることができる」とあります。
これを補足する、参議院委員会先例159号では「懲罰委員会において本人自ら弁明したいとの申出があるときは、これを許可するのを例とする」とあります。が、この日は、猪木議員からは出席の要望がなかったようです。報道によると、「お沙汰に従う」という趣旨の発言をしているようです。
浅野一郎・河野久編著「新・国会事典 第2版 用語による国会法解説」(有斐閣)の第10章によると、 国会法122条は、(1)公開議場における戒告、(2)公開議場における陳謝、(3)一定期間の登院停止、(4)除名の4種類があります。このうち「除名」は衆参1例ずつあり、裁判で争えませんが、その後の選挙で当選したらそれを院が拒むことはできません。登院停止の期間に関しては衆・参ともそれぞれの規則242条で「30日を超えないこととする」とあります。
また、前掲書によると、「院内とは場所的観念ではなく、組織体としての議院を意味するから、国政調査のための派遣先での行為のように、議事堂外であっても、議院としての活動中の行為で院内の秩序をみだしたと判断されるものは、懲罰の対象となる」と解説されています。
このため、山本太郎参議院議員の秋の園遊会天皇陛下手紙渡しの件も、懲罰の対象になりかねないところでしたが、憲法改正時に、請願法に「天皇への請願は内閣に提出する」との文言が入り、現行法にもあることから、議院運営委員会理事会での協議も踏まえて、山崎正昭議長が注意し、今任期中の参議院事務局が推薦する皇室関連行事への出席禁止を本会議で報告することになったとみられます。
詳しいことは、今後アップロードされる、本会議や懲罰委員会の会議録での、議長(山崎正昭さん)、議院運営委員会理事(水落敏栄議員)、懲罰委員長(北澤俊美さん)の発言などを参照してください。