【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

春の叙勲、石井一先生(ピンさん)に旭日大綬章 政権交代ある二大政党政治に揺るぎなき信念 鹿野道彦さんも

2014年04月29日 05時00分00秒 | 素晴らしき新生党保存会

[写真]パシフィコ横浜を眺めながら語り合う若人。どんな苦境でも、「選択肢」のある人生を歩んでほしい。筆者撮影。

 政府は2014年(平成26年)4月29日(火、昭和の日)、春の叙勲を発表しました。

【石井一先生に旭日大綬章】

 旭日大綬章には石井一(いしい・はじめ)元国家公安委員長・自治大臣ら6名が選ばれました。

 政権交代ある二大政党政治のために揺るぎなき信念。晴れの日も雨の日も、何度でも起き上がり続けてきた石井先生は、自民党木曜クラブ→自民党経世会→自民党改革フォーラム21→新生党→新進党(注・太陽党不参加で残留)→国民の声→民政党→民主党と歩んでおられます。

 国会議員で党籍が完全一致するのは岡田克也さんただ一人となりました。このほか、岡田さんの秘書。そして、有権者として不肖・宮崎信行。かけがえのないピン先生。党籍完全一致者に関する「孤独」については昨夏の参院選での石井先生の落選後、私の中で、心の準備ができてきました。とはいえ、石井先生には末永くお元気でいらしていただけたらと思います。

 改めてご紹介するまでもありませんが。

 1977年、運輸政務次官としてインド・ダッカ事件で日本政府代表の人質をつとめました。福田首相が発した「人命は地球より重い」という意味不明の発言を腹に飲み込み、政治家らしく国のために行動しました。石井先生こそ、人命を賭す政治家のあり方を示しました。

 1989年、初入閣。国土庁長官時代として、野党小会派3期生の菅直人さんから鋭い質問を受け、「こいつは鋭いな、将来伸びるだろうな」と感じたそうです。

 1994年、憲政史上最高の第80代羽田内閣では自治大臣、国家公安委員長に。わずか2か月の在任中、当時はタブーであり誰も「横田めぐみさん」の名前を知らない時代に、京都府警察本部が学校法人京都朝鮮学園の土地取引の不透明さについて、在日本朝鮮人総連合会京都府本部関係27か所を一斉捜索。これに対して、「政治弾圧だ」との大抗議運動が起きると、1994年6月10日の閣議後記者会見で、「お互いにいささか感情的になっている」と現状を分析し、「謝罪することはない」と警察を擁護しながらも、「今後は慎重に捜査するように警察庁長官、警備局長、保安部長に厳重に注意した」と政治家らしい大岡裁きをみせました。なおこのとき、私は石井国家公安委員長の指揮ぶりを高く評価しましたが、政治学科の学生から「そういうことは言ってはいけない」といじめられた記憶があります。その方は、ずいぶんと政府から補助金をもらえているようですが、20年経って、私自身、自分が言動は正しいかったという自信を持っています。

 1995年1月17日朝、野党新進党国会議員として、政府調査団より早く、海部俊樹団長(党首)を神戸市など被災地に迎えました。

 1997年、産経新聞が「20年前に、新潟県で失跡した女子中学生(当時十三歳)が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致(らち)されていた可能性が強まった」と1面トップで報道。その女子中学生は「横田めぐみさん」という方だとして、国民が初めて驚きました。

 1998年4月、自ら志願して、菅直人初代代表の下、民主党初代国会対策委員長に就任しました。

 2009年3月、西松事件が起きると、岡田克也さんと2人で会い、「小沢一郎政治塾の資金源はどこだろう」などと情報交換しました。

 政権交代ある二大政党政治に、晴れた日も雨の日も揺るぎなき信念を貫き通した石井一先生。世の中には木を見て森を見ずの人間の方が多いので、外務大臣としてアメリカと渡り合うことはできませんでしたが、3000年、いや4000年後の日本国民にしっかりと評価される政治家は石井一先生。石井先生がいなければ、ひょっとすると、岡田克也はいなかったかもしれない。それくらいの功績です。

 おめでとうございます!

【鹿野道彦さんに旭日大綬章】

 農相を2回にわたってつとめ、国務大臣・総務庁長官もつとめた鹿野道彦さんが旭日大綬章に選ばれました。

 平成23年3月の最高裁大法廷判決で「政権交代ある二大政党政治は必要だ」との判決を書いた須藤正彦・前最高裁判所裁判官(弁護士出身)も旭日大綬章に選ばれました。

 おめでとうございます!

【一川保夫さんに旭日重光章】

 一川保夫元防衛大臣、元民主党・新緑風会幹事長が旭日重光章を授章。

 おめでとうございます!

【勝木健司さんに旭日重光章】

 民社党、新進党、民主党の参議院議員をつとめた勝木健司(かつき・けんじ)さんが元参議院財政金融委員長として綬章しました。日本労働運動の発祥であり最大の産別であるゼンセン同盟(UAゼンセン)から民社党の拘束名簿式全国比例で当選。ただ、繊維産業ではなく、ダイエー労働組合(現・イオン労働組合)の出身で、流通業から参議院議員になるさきがけとなり、現在のゼンセン特有の幅の広さにつながっています。

 おめでとうございます!

【田中慶秋さんに旭日重光章】

 田中慶秋元法相に旭日重光章が決まりました。横浜・戸塚の中選挙区・小選挙区で抜群の日常活動量で、苦労しながら闘い続けました。学校法人東海大学と日本柔道界を代表する存在。出身の福島県双葉郡(ふたばぐん)浪江町(なみえまち)は2010年国勢調査で2万908名が住んでおり、故郷の英雄でもあるようです。

 おめでとうございます!

【土肥隆一さんに旭日重光章】

 土肥隆一さんに旭日重光章。「十字架委員長」と呼ばれた河上丈太郎・元最大野党党首の地盤を引き継いで1990年初当選(岡田世代)。連続7期当選。河上さんのキリスト教民主主義の伝統を引き継いできました。元衆議院外務委員長。

 おめでとうございます!

【井上哲夫さんに旭日中綬章】

 平成元年統一の「連合」(日本労働組合総連合会)の支援を受けて、参議院三重選挙区で当選。再選ならなかった後、四日市市長をつとめた井上哲夫さんに旭日中綬章が決まりました。

 おめでとうございます!

【新生党結党35人衆で岡田世代の井奥貞雄さんに旭日中綬章】

 新生党結党35人衆(不信任案に賛成した代議士)からは、石井先生のほかに、旭日中綬章として、1990年初当選(岡田世代)の1期生だった井奥貞雄さん(その後、自民党に復党)も選ばれました。岡田さんに次いで若い1期生だったので、井奥さんの行動は勇気ある行動だったと考えます。

【自民党国会議員団】

 自民党からは旭日大綬章はいないという珍しい恰好になりました。

 旭日重光章に稲葉大和元文科副大臣(稲葉修元法相子息)、砂田圭佑元財務大臣政務官(砂田重政元防衛庁長官の甥で、砂田重民元文相のいとこ)。

 旭日中綬章に上述の井奥さんに加えて、岡部英男・元衆議院議員(故永岡洋治元衆議院議員の補選での後継者)、釜本邦茂元労働政務次官、東力元農林水産政務次官、福永信彦・元衆議院議員(福永健司元衆議院議長の子息)が国会議員団から選ばれました。