岡田克也さんの不可解な退任により、民進党代表の座をねらう、
蓮舫氏は、さきほど平成28年2016年9月6日(火)夕刻、
「昭和60年1985年に日本国籍を取得した」としながらも、
台北駐日経済文化代表処で中華民国籍の除籍手続きをしたかどうか「いまなお確認が取れない」と語ったそうです。
報道(【民進党代表選】蓮舫代表代行「心が折れそうになった書き込みもあった」 「二重国籍」問題の会見詳報)されています。
このため、中華民国籍がいまだに残っている可能性が浮上しました
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私は、蓮舫氏は中華民国籍(台湾籍)が残っているのではないかとの心証を受けたことがあります。
これは平成5年1993年3月5日のノートです。このほど、筆者の自宅内で見つかりました。
[写真]台湾国立政治大学日本語学科学生との筆談交流のノート、1993年3月のノートを、きょうスキャニング。
[画像]上のノートの該当部分の拡大版、赤線は筆者がきょう加筆。
私は当時は自民党学生部(全国学生交流会)員で、日本自民党と台湾国民党がとりもつ、全国の学生の文化的な台湾訪問団に参加しました。
台湾外務省(中華民国外交部)の後、日本側の団員と、台湾国立政治大学を訪れ、その日本語学科の学生と交流を持ちました。
私は当時も現在も、台湾の国語である北京語は全く話せません。そのときノートを使った筆談の記録です。
この中で、「蓮舫」という文字があります。私の字です。そして、明らかに違う筆跡で「謝」と書いてあります。日本人タレントでニュースキャスターの「蓮舫」さんは、「謝」という苗字の台湾人だよ、と教えてもらいました。
蓮舫さんが日本国籍を取得してから、8年後でも、広く台湾社会・経済で認識されていたことになります。競争の激しい台湾の新聞(朝刊紙・夕刊紙で十数社が参入)が台湾当局から情報を得ていたのです。
これに先立ち、下の写真のように、外務省(中華民国外交部)を訪れました。
[写真]台湾外務省前で記念撮影する宮崎信行、1993年3月5日、台湾台北市
[写真]質問する宮崎信行、1993年3月、おそらく台湾外務省内。
[写真]台湾の国立政治大学日本語学科学生との交流をおえた宮崎信行、1993年3月5日。
わざわざ、私の写真を3枚使うこともなかったのですが、このノートは間違いなく当時のままです。そもそも、こんなものを後からつくるほど、私は暇ではありません。
私の意見としては、蓮舫さんは女性だから、台湾国軍(中国国民党軍)の兵役2年間の義務は無かったのかもしれませんが、生活保護を受ける権利があるかどうか、ということ。日本から政治的に亡命した場合、台湾で生活保護を受けられるかどうか。外遊中に台湾に亡命できるルートはまずありませんが、東京都内で台北駐日文化代表処に駆け込めば、台湾に亡命し生活することはできるのではないでしょうか。
蓮舫さんが岡田克也さんを落とし穴に落として、民進党代表になりたいのなら、中華民国籍(台湾籍)が無いということを、紙で証明せねばなりません。
このエントリー記事の本文は以上です。
(c)2016年、宮崎信行。
[gooニュースから、産経新聞配信記事の全文引用はじめ]
【民進党代表選】蓮舫代表代行「心が折れそうになった書き込みもあった」 「二重国籍」問題の会見詳報
民進党の蓮舫代表代行は6日、高松市での記者会見で、日本国籍と台湾籍のいわゆる「二重国籍」疑惑について「いまなお確認が取れない」と述べた。会見のやりとりは以下の通り。
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−−台湾国籍について、現在の対応状況は
「まず、私は日本人です。日本人であることに誇りを持って、わが国のために働きたいと3回の選挙で選ばれてここにいます。私の気持ちとしては、生まれ育った日本で、生まれたときから日本人という思いが強いのですが、手続きをとったのは、国連の女子差別撤廃条約を受けて、日本の国籍法が昭和60年の1月1日に改正施行された、その直後の1月21日に日本国籍を取得しました。併せて台湾籍の放棄を宣言しています。このことによって私は日本人となりました。これはもう私の中では動かない事実です。日本国籍を日本の法律のもとで選択していますので、台湾籍を持っていないというのを改めて申し上げます」
「ただここで、今回、インターネット等を通してほんとに…心が折れそうになった書き込み等もあったんですが、31年前、あの、誕生日来る前だったので、17歳でした。高校を国籍取得の手続きで休みの届けを出したのをかろうじて覚えている。父から聞いたのは、未成年だったので父と一緒に東京にある台湾の代表処に行って、台湾籍放棄の手続きをしています」
「ただ、やりとりが台湾語だったものですから、私、台湾語分かりませんので、どういう作業が行われたのか、ちょっと全く覚えていませんし、母も父に任せていました。母も日本語しか分かりませんから。私はそのうえにおいて台湾籍放棄の手続きをしたと、父を信じて今に至る」
「ただ今回、一部指摘がありましたので改めて台湾に確認を求めていますが、いまなおまだ確認が取れていないんです。31年前のことで、少し時間がかかるかもしれないと。その確認が取れていないこともありましたが、この確認をとる確認の作業の間にも、父が否定されるような言いぶりがあるのはちょっと受け止めがたいので、今日なんですけど、台湾の代表処に対しまして、台湾籍を放棄する書類をこれ提出しました」
「そのことによってしっかり、私は日本の法律の下で日本人です。改めて、今確認が取れていないものは確認とりますが、同時に、台湾籍を放棄する手続きをしました。いろいろとほんとにご心配をかけたことを申し訳なく思います。ただ私は日本人だということを改めて申し上げます」
[gooニュース=産経新聞配信記事の全文引用おわり]
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