【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

【岡田克也】泉健太・立憲民主党代表が岡田克也さんに幹事長就任を要請、毎日新聞・宮原健太記者がスクープ

2022年08月20日 17時35分52秒 | 岡田克也、旅の途中
 毎日新聞はきょう令和4年2022年8月20日付の朝刊2面で「幹事長に岡田氏調整 立憲、統一地方選見据え」と報じました。

 熱心に取材されていた宮原健太記者のスクープのかっこう。

 これを受けて、午前7時ごろに朝日デジタル、その後、日テレニュース24、TBSニュースディグ、共同通信が報じて、午後4時半過ぎにはNHKが報じました。NHKは、おそらく津の三重県連常任幹事会の後の記者会見を受けて岡田さんが「泉代表から党のありようについてのいろいろな相談を受けている。私の考え方は伝えているが、何か具体的なことが決まっているわけではない」と語ったと報じました。


[写真]岡田克也さんに対して、立ち上がり側に来るよう促す、泉健太代表=立憲民主党本部役員室フロアで、2022年7月、宮崎信行撮影、右端は源馬謙太郎同党国際局長。

 私は誰に対しても、政治家ならとくに、まして女性なら絶対書かないことですが、西村ちなみ幹事長はここ半年、かなりダイエットされていたようで、何があったかはよく分からないのですが、左派政党の陰湿な事務局や各県連本部役員との軋轢、同じ県連に属する小沢一郎グループの参院議員、同期当選ながら自分が浪人した際に党選対委員長として高圧的な態度をとられた執行役員らの巡り合わせが良くなかったようです。同じ県連内をめぐっては女性の味方と女性の敵がいる状態で、女性だから差別されたということは逆にまったくないと巡りあわせだと考えられます。

 岡田さんが幹事長に登板すると合計4回目。2003年に菅直人代表から「民由合併」担当として自民党出身者のプリンスだった岡田克也政調会長を引き上げたのが一度目。そして、2009年に郵政解散からの再起を期して代表選に出馬し、鉢呂吉雄北海道連代表、玄葉光一郎さんらの応援を得ながら敗れて、鳩山由紀夫代表から幹事長に指名された際。内外に勘違いが多いのですが、政権交代選挙のときの幹事長は岡田さんです。そして、2010年9月、菅直人総理から、参院選に敗北した枝野幸男前幹事長の後継者に指名されたさい。これは衆参ねじれ対策の3党合意につながりましたが、小沢一郎グループの常軌を逸した抵抗で影響力を低下し、政党政治史上初めて与党第一党幹事長を参議院議員に明け渡す格好となりました。


[写真]2度目の幹事長就任時、今から13年前の2009年8月、大阪・堺市中百舌鳥で、宮崎信行撮影。

[写真]横顔に年輪をうかがわせる岡田克也さん、先月2022年7月、神奈川県内で、宮崎信行撮影。


[写真]日教組組織内の那谷屋正義元参議院国会対策委員長(先月で勇退)と、連続当選11回の花上喜代志・横浜市議と街頭演説する岡田克也さん=同。

 ちなみに、岡田幹事長は、第17回統一地方選挙では正直何もしておらず、それがその後の、民主党系政党の地方議員の質・量の低下をもたらし、12年経ってもその影響は続いています。現職もごく一部では、総支部内で衆議院議員と市議会議員が上納金でもめて公認申請を上申しないなど不毛な争いが繰り広げられています。

 コロナ禍できめ細かいコミュニケーション能力を持つサービス業からの人材流出が見られますので、第20回統一地方選挙で新しい人材が政治の門をたたくこともあるかもしれません。

 ようやく見晴らしがよくなりつつあります。

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