【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

柳田法相は輿石東氏が菅総理にねじ込んでいた

2010年11月22日 09時01分35秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]民主党参院議員会長の輿石東さんと柳田稔法相(それぞれ民主党山梨県連、民主党本部公式ホームページから)

 民社協会首脳は22日、柳田稔法相の入閣は、民主党参院議員会長の輿石東さんが菅直人総理にねじ込んだものだ、と明らかにしました。柳田さんは第22回参院選後の「民主党・新緑風会」の人事で、参院幹事長に起用された直後の入閣だったため、輿石氏が不快感を示した、との報道もありましたが、民社協会首脳は「就任後にあいさつもなく、最近会ったこともない」と述べ、柳田法相は輿石氏が菅さんに働きかけたとの見方を明らかにしました。そのうえで、「民社協会の友情を持って、菅内閣を見守っている」と述べました。

 柳田さんは民社党書記(党本部職員)から、1990年の第39回衆院選で初当選した、いわゆる「岡田世代」で、政治改革ブームの際には、民社党を代表して、「朝まで生テレビ」に出演しました。その後、新進党結党後の第41回衆院選で小沢一郎氏の戦術ミスもあり落選。1998年の第18回参院選で新進党公認での院替えによる返り咲きをねらいましたが、前年末に解党されてしまい、民社協会総掛かりで、無所属で公明党の推薦をもらえないか、などと模索し、最終的には1998年4月結党の民主党の人気が上がったので、民主党公認として広島選挙区で50万票のトップ当選で返り咲きました。

 岡田世代では、自民党では、石原伸晃幹事長、小坂憲次参院幹事長、公明党では、山口那津男代表、井上義久幹事長のほか、民主党では岡田克也幹事長、仙谷由人官房長官、鉢呂吉雄国対委員長のほか、内閣でも細川律夫厚労相をはじめ、大畠章宏、高木義明、松本龍、岡崎トミ子各大臣が活躍しており、すでに後輩の第40回衆院選初当選組が財務相、外相、国家戦略相ら重要閣僚に起用されていることから、柳田さんに焦りや妬みがあった可能性は否定できません。

 なお、第176臨時国会では「民事訴訟法及び民事保全法の一部を改正する法律案」(176国会提出閣法第8号)が衆院を通過し、先週の11月16日(火)の参・法務委員会で、柳田法相の趣旨説明が行われました。法務委員長は公明党の浜田昌義さんですが、法相が参院で問責決議を受けた場合は、事実上の“出入り禁止”処分となり、同法案の今国会成立は絶望的になる可能性があり、この法案の重要度も様々なかけひき、高度な政治判断をするうえで必要になってきます。この辺も、衆参の現場の法務委員会理事も、法案の重要性いかんに関する意見書を党・国対執行部に上げるのが、ねじれ国会の運営には不可欠だと、私は思います。

柳田法相、問責決議提出前にも更迭決定へ 菅総理、岡田克也幹事長

2010年11月21日 09時18分38秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

 民主党の岡田克也幹事長は、2010年11月21日放送の「NHK日曜討論」の中で、中央大学辞達学会出身のNHK解説委員、島田敏男さんの「今日中に柳田稔法相の更迭を決定するために総理と会うことがあるのか?」との質問に対し、「プロセスは申し上げない。私は口が堅いですから」と述べ、事実上、今日中にも菅直人総理と会い、更迭を決める方針を示唆しました。


恒三さん、「僕が小沢君なら命を懸けても解散させない方に政治を持っていく」

2010年11月21日 07時17分23秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[写真]小沢一郎氏と渡部恒三さん(両氏の公式ホームページから)

 政局の週となる11月21日週が始まりました。

 21日朝6時からのTBS「時事放談」には民主党最高顧問の渡部恒三さんが出演。

 元代表・小沢一郎氏が、会期末が見えてきた先週4日間連続で、赤坂を飲み歩き、1期生議員ら70人ほどに「解散はいつあるか分からない。常在戦場だ」などと述べたと報じられていることに関連し、次のように述べました。

 「万が一でも今解散すれば、小沢君を慕っているガールズだとか、あの若い人たちはみんな落ちちゃいますよ。私が小沢君の立場なら、命を懸けてでも解散させない方に政治を持っていく」と述べました。私はまったくもって恒三さんの言うとおりだと思います。

 失業につながる「解散」というキーワードで恐怖心をあおり、1期生をマインド・コントロールしている小沢氏。彼と酒宴を囲む80人は、よっぽど金と縁がないか、金に鼻が利かない人間なんでしょうね。

 恒三さんは9月17日の代表選で菅直人候補に投票した人は(第46回衆院選で)ほとんど当選し、小沢さんに投票した人(衆院1期生?)は、80%の確率で落選するという観測を披露した上で、

 「だから、『絶対に解散しないでくれ』と菅君に頼むのが人の道だ」として、小沢さんが人倫にもとると痛烈な皮肉を述べました。

 恒三さんは、これに先立ち政局の見通しを述べました。

 「私は二大政党論者ですから、民主党が期待に応じられなかったというなら、じゃあ自民党にかわろう。自民党がだめなら、民主党がやりましょう。というのが、民主政治ですね。ところが、今国民のみなさんの声はね、民主党が期待に応えてくれなかったという声はありますけれども、じゃあ、また自民党政権に戻したいな、という声はほとんどないんですね」としました。

 「それから菅総理への批判で、(国民のみなさんに)ご理解いただきたいのは、彼の長い長い政治生活の大部分や野党でした。しかも野党の中でも5~6人の小会派で、(二大政党の)責任ある立場になったのはごく最近のことですからね。(内閣発足後の菅さんに)総理大臣の重みが感じられなかったり、言葉も主意味が感じられなかったり(しているが)、彼も一生懸命やってきているし、段々良くなってきている。党内でも、彼を、今度は岡田君に代えた方がいい、とか前原君や野田君に代える というも今、無いんですよ。だからやっぱり、菅君にしっかり頑張ってもらって、まず、景気を良くする、子どもたちの就職(のサポート)をしっかりする、中国やロシアにバカにされないよう日本が毅然として進むようにがんばるしかない。

 今、菅総理が代わってどうするか、という国民の声はありませんからね。」

小沢氏「衆院解散も」 3夜連続で若手と酒酌み交わす - MSN産経ニュース

 民主党の小沢一郎元代表は18日夜、東京・赤坂の中華料理店で開かれた若手議員との懇親会に出席し、「民主党政権の現状は厳しい。大変だ」との認識を示したうえで、「解散はいつあるかわからないぞ。常在戦場だ」と述べ、早期の衆院解散・総選挙の可能性に言及した。

 小沢氏に近い衆院当選1回生でつくる「一新会倶楽部」のメンバーら約30人が参加した。

 「一新会倶楽部」は名称を改め、今月25日にも全体会合を開き、小沢氏中心の勉強会として活動を強化していく方針を確認した。小沢氏は「みんなで民主党をどうしたらいいか、答えを見つけるようにしっかりがんばれ」と激励した。

 出席者によると、小沢氏は各テーブルごとに紹興酒やビールを注いで回り、終始上機嫌だったという。

 小沢氏は16日から3夜連続で若手議員との懇親会出席となる。



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恒三さん、柳田法相の自発的辞任を促す

2010年11月19日 19時41分50秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[写真]民主党最高顧問の渡部恒三さん(同氏の公式ホームページから)

【参・予算委 補正予算案の基本的質疑 2010年11月18日(木)19日(金)】

 平成5年(1993年)の細川内閣発足後の国会審議の中で、与党から見て最低、最悪の審議だったのではないか、と私は感じました。

 NHKニュース7が報じたところによると、民主党最高顧問の渡部恒三さんが、週明けに参院自民党らが提出する予定の「法務大臣・柳田稔君問責決議案」について、「(可決された場合は)辞めていただくしかないよなあ。その前に辞めるっていう選択、彼にはあるかもしれないなあ」と述べました。会期末を控え、ねじれ国会の参議院で補正予算の成立が滞る前に、国会運営を遅滞させた責任を取り、柳田法相に自発的辞任を促した発言だと思います。

 柳田稔さんは広島で開かれた大臣就任を祝う会で、閣僚答弁は2つのフレーズだけ覚えておけばいい、という国会を軽視したあいさつをした、と報じられており、国会運営が混乱しています。

 ちょうど10年前に、森内閣の官房長官だった中川秀直さんが、野党・民主党で2000年6月の初当選から半年に満たない1年生議員・長妻昭さんから衆・内閣委などでテープと写真をもとに追及を浴び、①捜査情報漏洩疑惑、②女性問題、③覚醒剤使用疑惑、④右翼団体幹部と一緒に写った写真--の4つの疑惑を否定(①については「おぼろげ」、④については当時は右翼団体の関係者ではなかったと釈明)したうえで、「大事な国政に迷惑をかけてはならない」「結果的にこのような事態になり、おわび申し上げたい」と述べ辞任したことがあります。2000年10月27日朝のことです。後任の官房長官には初入閣の福田康夫さんが就きました。中川氏の「国政の混乱」を理由にした自発的辞任により、森内閣→小泉内閣→安倍内閣→福田内閣と4代・8年間の自民党清和会長期政権が実現した、という見方もできるでしょう。

 衆院副議長の在任2498日間の長期記録を持つ恒三さんは、与党・自民党の国対委員長と野党・民主党の国対委員長の両方を務めた経験がある、唯一の国会議員です。また野党時代から政権交代を経た現在までのここ数年間、衆・予算委員を務めています。後ろの長老席なのであまりTVには映りませんが、長時間ずっと腕組みをして、審議の流れを確認している長老の姿がみられます。

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政治主導確立法案審議入り

2010年11月19日 13時21分15秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
【衆院内閣委員会 2010-11-19】

 事前の報道などでまったく知らなかったのですが、政務三役を増員する「政治主導確立法案」が審議入りしました。第45回衆院選の民主党09マニフェストでは、「政府に大臣、副大臣、政務官、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置する」となっていますが、自民党政権時代の定員しかいません。

 事業に成功したり、スポーツ大会で優勝したりした経験がある方なんかは分かるでしょうが、「何事も初めが肝腎」ですから、政権交代直後の第172特別国会に提出して、衆参両院で可決し、成立させ、人事を決めるべきだったのです。鳩山由紀夫首相・小沢一郎幹事長の実は最大の失策だと私は考えています。

 荒井聰委員長が開会を宣言しましたが、自民党などは欠席しました。理由は分かりません。

 仙谷由人官房長官が趣旨説明をしました。国家戦略局を設け、内閣官房副長官を増員のうえ、局長を兼務し、国家戦略官というポストをつくります。また総理補佐官を10人に増員します。行政刷新会議、税制調査会などを法制化。国家公安委員長の下に大臣政務官を1人置くことができるようになります。また政務調査官というポストをつくり、大臣に情報を上げることができるようです。

 法案の正式名称は、「政府の政策決定過程における政治主導確立のための内閣法等改正法案(174国会閣13)」
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1DAA80E.htm

 で、政務三役の増員は、国家行政組織法の改正などが必要ですが、現在衆議院に提出されている議員立法は、「筆頭発議者・小沢一郎君」となっており、今のままだと、答弁者不在という事態になりかねません。できるだけ早く、議員立法も出し直して、政務三役プラス大臣補佐官100人という政治主導を形作ってほしいと思います。

 それにしても、つくづく何事も初めが肝腎だ、と感じます。

 きょうの内閣委員会は仙谷大臣の趣旨説明だけで散会しました。

民主党・今野東さんが本会議演説で異例の国会改革を提案 しくみを変える

2010年11月17日 10時44分59秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[画像]民主党参院議員の今野東さん、参議院インターネット審議中継からキャプチャー

【参院本会議 2010年11月17日(水)】

 昨日の衆・本会議に続き、参・本会議で菅直人首相がAPEC2010横浜の首脳会議の結果を報告し、それに対する質疑応答がありました。

 この中で、民主党全国比例選出の今野東(こんの・あずま)さんが、質問の中で、北方領土問題の重要性を説き、「この際、参院沖縄及び北方問題に関する特別委員会を分割して、“北方領土特別委員会”を設置したらどうでしょうか」と述べました。今野さんは沖縄・北方特別委の理事です。国会議員が本会議の演説で、国会改革(参院改革)に言及したのは、私は初めて聞きました。異例のことだと思います。ぜひ応援したいと思います。

 特別委員会は国会の会期ごとに設置を決めますが、沖縄・北方特別委は衆参ともに事実上は常設で、なかば常任委員会に近い存在です。

 私は民主党政権が政策に前のめりになっていて、立て直しのためには、「しくみを変える」ところからやらないといけないと思います。

 内閣の方にも、沖縄・北方担当相がいて、これは馬淵澄夫・国交相が兼ねています。ちなみに、衆院国交委員長は民主党ですが、参院国交委員長、と衆参の沖縄及び北方問題に関する特別委員長の計3人は自民党です。馬淵大臣は波高い国会運営を強いられる。衆院当選3回で唯一の入閣と言うことですから、苦労は買ってでも・・・という気もしますが、いろいろタイヘンです。

 また、衆参の厚生労働委員会もタイヘンです。14日付の日経新聞は「労働者派遣法改正案、今国会見送りか」と報じています。社民党のリクエストが強い同法改正案ですが、自民党内にも反対論が強く、参院での採決が日程も含めてかなり厳しい。私は衆院厚労委員には複数仲の良い人がいるんですが、「政策調査会でも、厚生労働部門会議しか出られない手一杯の状態」ということです。その厚労委員には、「厚労は大事だから、1年生の間は、のめり込んでやったらいいですよ」と言っていますが、「その通り。困っている人を地元で目の当たりにしているから、ほっておけないよ」ということです。さらに「最近地元の障害者団体の方からこういう要望をされた」という話を聞いていると、それはまだ法案にもなっていないし、そもそも政治日程にものぼっていない宿題です。それが、厚労省なり、衆参厚労委には山ほど積まれています。厚生労働を、以前のように、厚生、労働に分けるというアイディアは複数の人が言っているのですが、実際に国会で言及した人はまだいないのではないかと思います。

 そういうわけで、今野さんが本会議での演説の中で、国会改革、すなわち、しくみの改革について言及したことに好印象を持ちました。仮に参院内でも党内でもまったく根回し無く言ったんなら、むしろもっと好印象に感じました。

 この後、自民党の第22回参院選初当選組のトップバッターとして、浜田和幸さんという方が質問に立ちましたが、なぜかこの中で、民主党の谷亮子さんを名指しで批判するくだりがありました。しかし、谷さんは政府の役職をやっているわけではないので、いかがなものか。自民党も民主党も参議院も海上保安庁も秩序が大事です。

 ◇

 国会は、きのう16日(火)午後、衆・本会議で、平成22年度(第1次)補正予算案が民主党・国民新党と社民党、たちあがれ日本そして与党系無所属の賛成多数で可決し、参院に送付されました。あす11月18日(木)から参・予算委で基本的質疑が始まります。なお、きのうの採決で、予算関連法案の「地方交付税法改正案」については予算に反対した公明党も賛成して可決しました。これにより、補正予算の成立は確実になりました。参院民主党は来週24日(水)の本会議での採決をめざしているようです。

 なお、17日付の公明党と関係が深い新聞では、地方交付税法改正案に関しては「自治体に迷惑がかかるという声が多い」という理由で公明党は賛成したと表現しました。が、補正予算案に関して「与党と社民党が賛成し可決した」と表現しただけで、「公明党は反対した」という一文が入っていませんでした。それでいて、見出しでは「補正予算の成立確実に」と立てており、行間から苦悩が伝わってきました。民主党側からみると「公明党はキャスティングボートをねらっている」とみえますが、私は実際には、公明党執行部・国会議員団が3000人の地方議員団から突き上げをくらって、制御できない状態になっているのではないかと推察しています。ちなみに、公明党立党の母体となった、宗教法人「創価学会」はあす11月18日、創立80周年を迎えるそうで、関連の新聞ではお祭りムードになってきています。

【訂正あり】陸山会が政治資金収支報告書を大量に訂正 官報の冒頭3ページが埋まる

2010年11月16日 21時02分59秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

 片山善博・総務大臣はきょう(2010年11月16日)付で、総務省告示の410号~419号と、10本という大量の総務省告示を発令。11月16日付官報の冒頭4ページ目までが総務省告示で埋まりました。これは「建制順」というものが総務省は第1位だから、冒頭になるわけで、ちなみに「建制順」という語感から府省の歴史が古い順という勘違いがありますが、総務省は2000年の橋本行革で出来たばかりの若い省ですから、建制順とはあらかじめ法令で定めた順番、いわば法が定めた秩序です。

 それはさておき。

 官報平成22年(2010年)11月16日付本紙(5438号)のホームページ↓(けっこうすぐにリンク切れしちゃいます、もっと延ばしてほしいですよね)
http://kanpou.npb.go.jp/20101116/20101116h05438/20101116h054380003f.html

 この総務省告示は、

〇総務省告示第四百十二号
政治資金規正法(昭和二十三年法律第百九十四
号)第十二条第一項の規定による政治団体の収支
に関する報告書について、岡昭会及び陸山会から
訂正の報告があったので、同法第二十条第一項の
規定に基づき、平成十四年総務省告示第五百二十
四号(政治資金規正法の規定による政治団体の収
支に関する報告書の提出があったので要旨(平成
十三年分)を公表する件)の一部を次のとおり訂
正する。
平成二十二年十一月十六日
総務大臣
片山善博

といった文面で、他の政治団体と混在していますが、「陸山会」以外は小沢氏とは関係なく、一緒に告示されただけ、ということだと思います。おそらく5月末までに総務省に提出し、今月末に公表予定の2009年暦年分の政治資金収支報告書の訂正だと思います。

[追記 2010年11月17日 午前10時]

【訂正】

 コメントで指摘をいただき、再度確認したら、コメント通りでした。このエントリーに書いてあることがかなり見込み違いであることが分かりました。平成14年分(2002年分)で陸山会の小澤一郎さんからの借入金が620万円増額する修正をしたことから、五月雨式に平成20年分(2008年分)までの借入金や、そして単式簿記であるために、繰越金額、収入総額まですべて直さなければいけなくなった、ということだったことが分かりました。訂正いたします。とはいえ、事後修正により官報の3ページ分を埋めてしまうという現実
はやはり人騒がせだ、と強調したいところですが、いずれにしろ、訂正します。それと、当ブログは司法は門外漢ですが、平成17年分(2005年分)に関して刑事責任を問われたり、強制起訴の法的手続きが進んでおり、当該刑事事件の検察・裁判所・弁護士の書類も書き直しが必要になり、手間取りのではないでしょうか?とはいえ、訂正は訂正です。おわびします。コメント欄でご指摘いただいた方ありがとうございました。

[追記おわり]

例えば総務省告示417号のなかには、

「(借入金)
小澤一郎35、928、973」

「(借入金)
小澤一郎41、128、973」
に改める

という記述もあります。

 ざっと数えたところ、25カ所訂正したようです。まあ、あまり小沢さんのことで僕の人生の有限な時間を浪費したくないのでざっと正の字を書いてみたら、25カ所だと思います。

 ただし、事実関係を25も訂正したわけではなく、単式簿記で記載される収支報告書の、「収入総額」「本年収入額」「前年繰越額」「借入金」などの費目を書き直したようです。いずれにしろ、小沢事務所内のガバナンスがぐっちゃぐちゃになっていることを想像させます。

 昨年分に関しては、2009年3月3日に公設第一秘書(ことし3月退職)兼陸山会会計責任者が逮捕され、帳簿も押収されたはずですから、そこから会計責任者が政策秘書(10月に退職)にバトンタッチして、3月31日のシメキリ最終日に提出していて、訂正に次ぐ訂正でした。まあ、さすがに、これはじゃっかん同情の余地があります。しかし、1年経って、公表直前に慌てて収支報告書を事後修正することは、国民によるチェックの透明性を失うことになりかねず、何らかの疑念を持ちたくなるのが当然だと思います。とはいえ、訂正しないと、もっと疑惑を持たれるような現実があったのかもしれませんが。

 いずれにしろ、政治家は疑惑を持たれるようなことははじめからしないのがイチバンです。

 平成21年分の政治資金管理団体など政治団体の総務大臣届出分は、数週間以内に次のページからみることができます。各種新聞報道が出ますから、その頃合いになったら、次のページをのぞいてみて、有権者としてチェックしてください。ひょっとすると、私たちの1票より、1社のカネが国会での投票行動を動かしているかも知れませんよ。

http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/

 全体像が見えた時点で、小沢一郎さんには国会での説明責任を求めたいところです。


補正、衆・予算委を23時45分に通過 野党、議論しながら協力も 国会に新しい風

2010年11月15日 23時51分07秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]衆院予算委員長の中井洽(なかい・ひろし)さん

(このエントリーの初投稿は11月15日午後9時15分)

[衆院本会議 2010年11月15日(月)]

 午後9時過ぎに開会し、議事進行係が「内閣官房長官、仙谷由人君不信任決議案」を緊急上程しました。提出者は佐藤勉さん(自民党国対委員長代理)ら5名。閣僚の不信任決議案は堂々巡りで採決されます。最新の情報は、入っておりませんが、この後、馬淵澄夫国交相の不信任決議案も提出されると思います。採決の結果、否決される見通し。この後、補正予算案の採決などのため、衆・予算委が再開することになると思います。また、歳入関連法案を審議する衆・総務委はすでに流会になっています。最終的には補正予算は衆院を通過しますが、参院の補正審議の最終局面で、仙谷、馬淵両大臣の問責決議案が提出された場合、可決される可能性が高く、今国会のヤマ場となります。ただし、補正予算そのものは、衆院での再議決(予算案に関しては過半数でオーケー)され、可決し、真水で5兆1000億円に流れるようになる見通しです。

 きょうからあすにかけてが、衆院でのヤマ場、来週が参院でのヤマ場となります。ただし、繰り返しますが、補正予算そのものの成立は確実な情勢で、国会では一般法案審議と政府では本予算案の編成に重点が移っていくと思われます。岡田克也幹事長は15日の記者会見で、「走りながら考える。走りながら協力関係を構築していく」と述べ、与野党幹事長会談、政調会長・国家戦略相による事前説明などのねじれ対応プロセスを微修正することを示唆しました。

 自民党の塩谷立・元文科相は、仙谷氏を「司法試験と学生運動だけの学生時代を送った」「国会をディベートの場だと勘違いしている」と激しく批判しました。一方、反対討論に立った民主党の大島敦さんで、この人は人間的に立派な方ですが、演説の冒頭から「けんけんがくがく」という誤った日本語、よくあるんですが、小姑のようですが、僕としては気になるミスから始まりました。どうして、こういうところのチェックが入らないのか、そのプロセスが気になります。

 仙谷、馬淵両大臣への尖閣問題での、検察の処分保留、ビデオの非公開措置、第5管区海上保安官による動画のYouTube流出(警視庁・東京地検が逮捕せず任意の聞き取りを継続中)などが理由のようです。仮に参院での問責の可能性が出てきた場合は、責任問題以前に、国政の遅滞を招かないための自発的な判断も求めたいと思います。

 岡田克也幹事長は15日の記者会見で、馬淵大臣の責任について問われ、「不信任に値するとは考えていない」との認識を示しました。また、補正審議については、「これ以上にていねいなやり方はあるんだろうかという気がする。(衆・予算委の)集中審議をやればやるほど、野党が攻勢に出た」として、政府案を組む段階から、野党の要望を聞くという異例のやり方をしながら、採決に反対する姿勢を示している自民党ならびに公明党ら野党を批判しました。

[追記 2010年11月15日(月)午後10時5分]
 仙谷由人官房長官不信任案は、およそ1時間の審議のうえ否決。引き続き、馬淵澄夫国土交通大臣の不信任案が緊急上程されました。

[追記 2010年11月15日(月)午後10時55分]
 馬淵国交相不信任案は、投票総数467、賛成151、反対316で否決されました。この後、横路孝弘議長は、「ただいま議場内交渉係が協議中ですのでしばらくお待ち下さい」と発言し、議員は本会議場に張り付いたままとなっています。衆議院ネット中継にちらりと映った場面では、議長席の画面左の交渉スペースに、野党の議場内交渉係(議運委員の一部)が集まっていますので、投票のプロセスに何か瑕疵があるというようなことを井上茂男・事務次長に行っている可能性が高いように思います。このような件はそんなに長引かないと思います。

[追記  2010年11月15日(月)午後11時5分]
 タイヘン珍しいことがありました。本会議場での議場内交渉係(各党の衆・議員運営委員)が相談し、鬼塚誠・事務総長、井上茂男事務次長らが横路議長の下に行き、ペンを持って議長が「これでいいの」などと確認した後、「お諮りいたします。日程第1、日程第2は後回しにすることにご異議ありませんか?」とマイクで問うと、どよめく議場が「異議無し」と全会一致。日程第1、日程第2はそれぞれ補正予算案と予算関連法案(地方交付税法案)だったんだと思います。これを後回しにし、日程第3の「民事訴訟法改正案」について、奥田建・法務委員長が報告し、全会一致で可決。日程第4の「雇用・能力開発機構法廃止法案」について、牧義夫・厚生労働委員長が報告し、起立採決の結果、賛成多数で可決。2つの法案が参院に送られました。これは野党側の協力もあったということで、“法律工場”がうまく回りました。その後、「後回し」だった日程第1、日程第2について、議事進行係の小宮山泰子さんが後日にすることを発議し、了承されました。午後11時5分、横路議長は「本日はこれにて散会します」と宣言しました。思ったより早く終わりました。この後、衆・予算委をやるのかは分かりませんが、おそらく流会すると思います。衆・総務委は早い段階ですでに流会しており、補正予算・関連法案の衆院通過はあす以降となりました。
民主党の鉢呂吉雄さんは「オープンな国対委員会」を掲げていますが、55年体制のシナリオ通りの国会運営と違い、ハラハラしながらも、きっちり国民にオープンな国会運営は続いています。オープンで、透明な議事進行のために費やされる若干のムダに見える時間は、これは“民主主義のコスト”と呼ばれます。時間がもったいないなら国会をやめて明治時代前半のように、内閣独裁に戻せばいいだけの話です。

[追記 2010年11月15日(月)午後11時25分]
 衆・予算委の再開を中井洽委員長が宣言しました。自民党の馳浩さんから「予算の撤回のうえ編成がえを求める動議(組みかえ動議)」が提出され、提案理由説明がありました。続いて、みんなの党からも浅尾慶一郎さんが「予算の撤回のうえ編成がえを求める動議(組みかえ動議)」を提出し、提案理由説明をしました。公明党は提出しませんでした。早口の中井さんは、自民党動議、みんなの党動議の別々の案をひとまとめにして討論することを宣言。両案に反対する立場から、民主党の金森正さん(比例単独東海)がお歳には思えないほどの若々しさで、地方議会経験を生かしたなめらかな滑舌でスピード討論。続いて、自民党の小里泰弘さんが、「政府案反対・自民党組みかえ動議賛成」で討論をゆっくりとした口調で始めました。

[追記 2010年11月15日(月)午後11時30分~59分の間]

 次に組みかえ動議は出していない公明党から遠山清彦さんが討論。「中小企業に冷たい、地方に冷たい、農業に冷たい」として政府案に反対しました。このフレーズは公明党で統一されています。自民党案、みんなの党案は「賛同できる部分はあるが、反対だ」と述べました。なお、遠山議員は極めて早口で、与党に協力的でした。公明党の対応「したたか」という表現しかありません。続いて、共産党を代表して笠井亮さんが討論。政府案、自民案、みんな案に反対。ただし「早口協力」は評価できます。続いて、社民党の1期生・服部良一さん。政府案「賛成」自民案「反対」みんな案「反対」と述べ、拍手がわきました。ちょっとたどたどしい服部さんですが、「最後に菅総理、小泉・竹中弱肉強食路線からの転換をめざして政権交代の原点に戻って下さい」と1期生らしい意見でしめくくりました。続いて、みんなの党の浅尾慶一郎さんがゆっくりとした口調で討論に立ちました。「菅内閣は政権の体をなしていません」との厳しい切り出し。「みんなの党は日銀法改正を準備しています」と政府案ではなく、減税措置を盛り込んだ編成替え動議で設備投資を促進する金融・税制面を促した上で、「政府案に反対」と述べました。この後、「国民新党・新党日本」の統一会派を代表して、下地幹郎さんが「政府案に賛成、自民案・みんな案に反対」として討論しました。日をまたぐまで、あと15分です。なんとか間に合いそうです。

 午後11時43分。中井委員長が討論終局を宣言。まず、自民党組みかえ動議(武部勤君ほか2名提出)は起立少数で否決。つづき、みんなの党の組みかえ動議(浅尾君提出)も起立少数で否決。そして、11時44分、平成22年度補正予算3案(一般会計、特別会計、政府関係予算)を起立採決し、起立多数で可決しました。11時45分、委員長は衆・本会議への委員長報告書作成の一任をとりつけたうえで、散会を宣言し、「ご苦労様でしたー」と大声で叫びました。

 というわけで、政府案に堂々と組みかえ動議を提出した自民党、みんなの党。そして、公明党は反対しながらも、審議には協力という風に、以前とは徐々に違った緊張感と実質審議のある衆院予算委員会でした。

 今後の日程ですが、報道をご参考にしていただきたいですが、あす午前9時半からの衆・総務委で予算関連法案を可決の上、午後1時からの衆・本会議に予算と関連法案を議題にし、可決のうえ、参院に送付。参・本会議での代表質問はすでに終わっていますので、参・予算委で趣旨説明のうえ基本的質疑が2日間程度NHK入りで行われると思います。そして週明けにも参院の予算委や本会議で採決の上、「否決」されます。繰り返しますが、「否決」です。それを衆院に回付。衆・本会議でふたたび採決し、過半数の賛成で可決・成立する運びとなりそうです。このエントリーはこれで終わりです。

おめでとう自民党55周年「候補者になりませんか?」とビラを配る底力

2010年11月15日 20時27分34秒 | 政権交代ある二大政党政治の完成をめざして

[画像]自民党総裁の谷垣禎一さん、第22回参院選の自民党CM(YouTube)からキャプチャ

 おめでとうございます。

 きょうは自民党の結党55周年です。帝国議会開設時の「自由党(板垣退助)vs立憲改進党(大隈重信)」、その後も大政翼賛会直前まで、名前を変えながらも、主に「立憲政友会vs民政党」と、せっかく複数あった自由主義政党ですが、天皇制廃止と社会主義・共産主義をソ連の指導・資金援助による暴力革命という手法でめざした日本社会党・日本共産党という目の前の恐怖を克服するために保守合同ということになってしまい、昭和30年(1955年)11月15日、東京・神田にあった中央大学の講堂で自民党(自由民主党)が産声をあげました。

 「政治は国民のもの」で始まる自民党立党宣言では、「第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」とあり、時を経た今でも、共産主義を唱える政党がわが国に存在するという現実を忘れずに、改めて、自由主義、民主主義に立った現代日本の立脚点を忘れないようにしたいものです。

 立党宣言の結びは、「われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。右宣言する。昭和三十年十一月十五日」とあり、戦後日本の再興にかける政治家としての使命感が伝わってきます。

 「ひたすら議会民主政治の大道を歩む」とか、「秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し」とか、岡田さんかよ!という気になりますが、谷垣禎一総裁・石原伸晃幹事長らにもぜひ体現していただきたいと願います。

 また「党の政綱」の中の、「3.経済自立の達成」の書き出しに「通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる」とあり、経済政策のいの一番として、野田佳彦財務大臣や白川方明日銀総裁にもくりかえし読んでいただきたいようなことが書いてあります。そして、「原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる」とのシメの文に、資源の無い日本の経済成長に向けた自民党の見通しの確かさとその実績を認めざるを得ません。ここなんかは、谷垣総裁にも自信を持って、演説なんかに使ってほしいと思わせる文です。

 そして、「5.平和外交の積極的展開」に垣間見える「国際連合への加入を促進するとともに」との文に、ハッ!と手を止めました。自民党結党は1955年11月で当時の日本はまだ国連に加盟していなかったんです。松岡洋右から時代が止まっていた。国連安保理が「日本の国連加盟」を全会一致で決議したのは、その1年後の1956年12月だったんですね。おととい(2010年11月13日)の横浜での日米首脳会談でオバマ大統領から「日本の国連安保理入りのサポート」の表明がありましたが、当たり前と思える国連も、当たり前でなかったということを再認識しました。

 そして、「6.独立体制の整備」では、「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」という文。これに関して言えば、自民党は53年間も与党にいて、憲法改正(自主憲法制定)という党是を達成することができなかった。これは自民党の反省すべき点です。教育基本法や地方自治法の改正はなりましたが、自民党が自ら残し、かつ野党・自民党の政権交代戦略にも重くのしかかる課題なのではないでしょうか。そして、最後の文、「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障の下、国力と国情に相応した自営軍備を備え、駐留外国軍隊の撤退に備える」とあります。これを読むと、「駐留外国軍隊の撤退」はアンハッピーなことであり、そういうアンハッピーな不測の事態に備えて、自衛隊をつくった、と。そしてその現状認識は、半世紀経った今も変わらないばかりか、より的確さを増している。

 高邁な理想と怜悧な現実認識が渾然一体となった結党宣言文に、自民党が政権という重荷を半世紀担い続けた秘策をみた気がします。とはいえ、やはり1970年代以降は、遅くとも冷戦後は、私たちは、政権担当能力がある自由主義政党を2つ持たなければならなかった。いわば経済成長に目が行ってしまい、少し先を見通した政治システムを作るということをしなかった。そこに人間の性(さが)をみる気がします。お隣の中国の現状などを見ても、人はお金がある間は、お金に踊らされます。与党・民主党議員の一部にもそれを感じますが、せめて高邁な理想と怜悧な現状認識は、自民党を少し見習ってほしいです。アメリカでは共和党(Republican Party)のことを、古き良き党、グランド・オールド・パーティー、Grand Old Party、GOPと呼ぶことがあります。これは、下院議員の略称がRep.で、共和党の略称とまったく同じ3文字なので混同しやすいという理由もあり、TVニュースなど極めて日常的な場面で頻繁に使われる表現です。先週の衆・予算委で岩屋毅・影の防衛相が総理の外交姿勢を「腰抜けだ」となじりましたが、そういう理論や理屈を超越して伝わってくるものがある。自民党も日本のグランド・オールド・パーティー、“古き良き日本”を守る党という心構えを持ってもらうと、日本人として非常に心強く感じます。

 民主党の岡田克也幹事長は15日の記者会見で、「ぜひ頑張ってほしいな、と思います。なかなか選挙区がたくさん空いている状況のようですが、若い良い人材をたくさん擁立して、立ち直っていただきたい。やはり、自民党、民主党、それぞれがしっかりしないと健全な民主主義というのはできませんので、ぜひ元気になって頑張ってほしいなと思います」とエール。

  
[画像民主党幹事長の岡田克也さん、2010年11月15日、民主党本部ホームページ内の動画から

 そのうえで、外相時代の経験も踏まえて、「国会でいろいろなやりとりがあります。与党時代にこの人がこんなことを言う人だとは思わなかったぐらいの厳しい言葉も飛んできます。言葉だけでなくしっかりと政策で、中身で議論できればいいな、もちろんそういう立派な議論をする方もいらっしゃるわけですけど、国会の中で実質的なしっかりとした議論をしたいものだと思っております」と語りました。記者会見の司会は党副幹事長(埼玉12区)の本多平直さんが務めました。

 私は1974年生まれですが、前世紀の後半には、自民党員であることが社会的経済的成功者であることのステータスシンボル(社会的地位の象徴)である面があり、これが日本における政権交代可能な二大政党デモクラシーの導入(復活)を阻害していた点があると思います。その自民党も全国の100前後の衆院支部長(次期総選挙公認候補予定者)を探していて、なかなか困っている選挙区もあるようです。衆参とも民主党が独占している山梨県の自民党を伝える、山梨日日新聞の記事。

[引用はじめ]

支部長公募スタート 自民県連 - 山梨日日新聞 みるじゃん
山梨県内のニュース(山梨日日新聞から)2010年11月02日(火) 
   
 自民党山梨県連(堀内光雄会長)は1日、次期衆院選候補となる衆院山梨1~3区支部長の公募をスタートした。20日まで自薦のほか、各選挙区の県議や市町村支部長らによる他薦で応募を受け付ける。
 公募初日の1日朝、皆川巌幹事長ら県議3人がJR甲府駅南口で通勤客らに「候補者になりませんか」などと声をかけながらチラシを配り、公募のスタートをPRした。同日は県連事務局に応募方法などについての問い合わせが数件あったものの、応募は1件もなかった。
 支部長公募をめぐっては、自民党を離党した長崎幸太郎前衆院議員が週明けにも、2区に応募する方針。夏の参院選で敗れた宮川典子氏、3年前の参院選に立候補した入倉要氏の名前も挙がっている。両氏とも「現時点では白紙」としているが、県議らが他薦で応募する可能性がある。このほか、1区支部長への復帰に意欲を示している赤池誠章前衆院議員は近く後援会幹部と協議して対応を決める。
 公募は3選挙区ごとに行い、挙がった候補の中から県議を中心とした「選考・擁立委員」が選考。年内にも新しい支部長の選任を目指している。新しい支部長は次期衆院選の自民党公認候補となる見通し。

[引用おわり]

 この皆川幹事長、ググッたら、元県会議長のようです。県会議長経験者が武田信玄の巨像がある甲府駅前で、「自民党の候補者になりませんか」と声をかけ、チラシを配る。そこに自民党の底力を改めて、感じた次第です。 自民党が落ちたのではありません、ただ野党にポジションが変わっただけです。私たちがそういう配置換えをしただけのことです。


[画像]第22回参院選の自民党CM(YouTube)からキャプチャ

民主党がイチバンになったり、自民党がイチバンになったりしながら、日本をもう一度イチバンの国に、そして、一人一人のイチバン、一家族一家族のイチバンを実現していきましょう。


今後の政治日程を更新しました

2010年11月14日 20時18分38秒 | その他

下町の太陽プラス1先読み政治日程

今後の政治日程(↑)を更新しました。
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今ご覧いただいている「国会傍聴記by下町の太陽とは違い、誰にもごあいさつせずに、ひっそりと始めたのですが、コツコツ丸1年経ちました。政局に関係ない日程は重要でも載せないという頑固さにもかかわらず、ご購読いただいている方に感謝します。
どうぞよろしくお願いします。


始まりはいつも横浜から 横浜APEC首脳会議 

2010年11月13日 05時06分37秒 | その他
 「日本の海が荒れている・・・」。

 詠み人知らず。この詩は1994年12月10日の新進党結党大会の開会と同時に、詩人の格好をした人があらわれて、詠み始めた詩の冒頭の一節です。バブルの色濃く、オーケストラの生演奏に、派手な旗に、風船が吹き飛んだ新進党結党大会。

 岡田克也さんは、『政権交代』の中で、「横浜市内のみなとみらい21内にある『パシフィコ横浜』が結党大会の会場に選ばれたのは、心機一転して新党を立ち上げようという心意気だろう。小沢さんが『たゆまざる改革』『責任ある政治』のキャッチフレーズを唱え、華やかなセレモニーとなった。が、そのじつ党内には不安が渦巻いていた」と振り返っています(117ページ)。新進党での辛い日々。新進党結党から15年というとても長い月日が経ちましたが、政権交代可能な二大政党デモクラシーという目標はようやく実現し、国民の理解が根付きつつあります。

 

 ペリーが横須賀市の浦賀に来航し、江戸城で、「横浜港を開港しろ!」と迫りました。わずか200戸の漁村だった横浜が1879年に開港し、その9年後には明治維新となりました。横浜には、日本最初の野球場も、ゴルフ場も、競馬場も、テニスコートもなんでもかんでもあります。ふしぎに思う人も多いでしょうが、日本人の生活に根付いた野球もゴルフも乗馬もテニスも元々、太平洋を渡ってやってきたものですから、日本では横浜が最初になるわけです。多摩川の隣に羽田空港が出来てからも、重い積み荷は船で渡ってきますから、変わりありません。

 宮澤喜一さんは、『聞き書 宮澤喜一回顧録』の14ページで次のようなエピソードを披露しています。

 (引用はじめ)
 宮澤 それから武蔵高校というところは、わりと漢学と英語がしっかりしていましたから、そういうものは自然に読んでいますが、“Communist Manifesto ”(『共産党宣言』)は、さすがに売っていませんでした。昭和14年に学生会議でアメリカに行ったら、アメリカでは売っておりました。しかしそれを持って日本に入れないと思ったものですから、船が横浜に着く前に、船内郵便局から発送人名を書かずに家に送ってみたんです。ちゃんと着きました。ですから検閲もかなりルースでもあったんですね。

 中村 昭和14年でしたら、かなりマルクス主義にはうるさい時代だったと思いますが。

 宮澤 そうですね。私はどうも頭の出来が悪いとみえて、どうしてもあのマルクスの言っていることはわからなくて、ついに心酔するには至りませんでした。

(引用おわり)

 いろいろな人生のいろいろな節目に横浜があるんですね。

 私としても夢を希望に満ちた新進党結党大会のパシフィコ横浜。体を壊し政治家になる夢破れ、日経新聞横浜支局記者としてとにかく紙面を埋めるために這いずり回ったころのパシフィコ横浜。パシフィコ横浜は希望と挫折の交差点。なぜか僕の人生の節目にはパシフィコが登場し、そして希望と絶望を僕に与えてくる、ふしぎな帆をした建造物、それがパシフィコ横浜です。

 尊敬する高秀秀信元横浜市長は、著書『横浜自立宣言』の151ページに次のように書いています。

(引用はじめ)

 横浜がコンベンション都市として成長し、実現の段階に立ち至れば、予想もしないような「サムシング」が生まれそうな気がする。(中略)昨年のことだ。パシフィコ横浜の展示場でロボット展が開催された。大人から子どもまで大勢の来場者があった。(中略)だが、目下のところは、世界最先端の学術的、技術的な内容のコンベンション、社会的な問題についてのコンベンションが主流である。「ロボット技術のように楽しいものならよいけれども、専門用語が飛び交うばかりの会議はちょっと・・・」こんな声も聞かれるようだが、それでよいのだと思う。

(引用おわり)

 この本は、2001年12月の発行です。彼は翌年の3月に4選に失敗し、8月にこの世を去ります。「こんな声も聞かれるようだが、それでよいのだと思う」。あのトップダウンの強烈なリーダーシップの高秀さんにしては弱気な書きぶりに、彼が、自分の4選に暗雲がたれ込めていることに気付いていたことを感じます。

 これは1999年の淡島千景さん主演、向井寛監督の企画映画「故郷(1999) - goo 映画」の一場面です。セルDVDよりキャプチャーさせていただいた画像を載せさせていただきます。

 沖縄のマラソンおばあちゃん76歳が沖縄→北海道の3、294キロを走るというロードムービーで、各地の自治体が協力しています。

 
 ごらんのように横浜中華街のシーンも出てきます。

 
 で、主演の淡島千景さんと一緒に御輿をかつぐ左に映っているのが時の横浜市長、高秀秀信さん。特段クレジットは出ませんが、高秀さんらしいはしゃぎっぷりと目立ちたがり屋。とても元建設事務次官の官僚出身とは思えません。

 
 元気に御輿を担いだあとは、

 
 高秀さんの音頭取りでマラソンおばあちゃん(右端の淡島千景さん)の前途を期します。

 まあ、ここだけ見ていると、協賛自治体をいいことに市長がはしゃいでいるだけに感じられるかもしれませんが、今思うと、これだけ明るく振る舞える市長さんというのは、なかなか貴重です。

 [この先、映画のネタバレあり]

 さて、高秀さんは北海道夕張町の出身ですが、「3日住めば浜っ子だ」と気にすることなく、毎年お盆には帰省して、その話をするのを楽しみにしていました。横浜というのは港町ですから、そうやって流れてきても市長になれます。横浜中華街の有力店の店長もたいていが東京出身で、横浜スタジアムに横浜大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズ)が来てから、中華街で開店したという人もいっぱいいます。

 いわば、横浜は新しい出会いとともに、各人の故郷を再確認する街なんです。

 夕張で生まれて、太平洋に開かれた横浜を終の棲家とし、発展させた高秀さん。1998年、横浜市は「日本での2000年サミット」に立候補し、誘致に失敗します。九州・沖縄サミットとなりましたが、2008年のTICAD(日本アフリカ会議)に続き、またしても国際会議「APEC横浜の首脳会合」がパシフィコ横浜で開かれています。お~い!、高秀さん!!!2日間こっちに来て、パシフィコを見なよ!アジア太平洋の21の大統領と首相がパシフィコにいるよ~~(^o^)

関連エントリー)

【横浜】高秀秀信前市長のまいたタネが結実 2010年APECはヨコハマ

 さて、映画『故郷』ですが、「もう一度、ふるさとに帰りたい。この足で・・・」との思いむなしく、マラソンおばあちゃんはホントウの意味でのゴールインはできません。映画のラストシーンから。

  
北海道・根室の納沙布岬から故郷・国後島をのぞむラストシーン。淡島千景さんと津島恵子さん。

あらすじ 故郷(1999) - goo 映画

沖縄・名護に暮らす76歳の南風原時子は、毎年恒例の市民マラソン大会・沖縄ドリーム・マラソン・の名物おばあちゃんだ。ところが今年、親友のトカを亡くした彼女はショックの為か大会に出場しなかった。そんな時子が帰省中の孫の恵に何も告げず失踪したのは、それから数日後のことだった。実は、恵の心配をよそに時子は日本縦断マラソンに出たのだ。フェリーで鹿児島に渡った彼女は、特攻隊員たちの慰霊碑を詣でた後、途中、親友のタミからの救援物資を受けながら大分、熊本と北上を続ける。一方、偶然テレビに映っていた時子を見つけた恵は、急いでその後を追った。また、マラソンおばあちゃんの話を聞きつけたペガサス沖縄テレビのディレクター・本田も、ビデオ・カメラを担いで時子の取材に出た。ひとまず時子の無事を知った恵は、時子のやりたいようにさせることを決めるが、本田をはじめとした連日のテレビ報道のお陰ですっかり時の人となってしまった時子は取材攻勢を受けるハメに。だがその一方で、テレビを通し時子の姿に励まされる老人たちも少なくなかった。しかし、さすがの時子の健脚も寄る年波には勝てなかった。京都の病院で小休止の時子。彼女は、そこで本田に自分が生まれ故郷である北の果てに向かっていることを告白する。「死ぬ前にもう一度故郷を見ておきたい」トカの死に際してそう思った彼女は、こうして今回のマラソン行脚に出たのだった。また、本田はライヴァルの沖縄新報の記者・渡嘉敷から、時子が時局柄中止を余儀なくされた昭和15年の東京オリンピックのマラソンの代表選手だったことを聞かされる。やがて、本田をはじめ、様々な人たちに励まされ北海道へ上陸した時子は、かつてオリンピックの代表選手として一緒に練習に励んだ國澤トヨと再会。更に、根室の岬から本当の生まれ故郷である国後島を望むことが叶うのであった。


 横浜から文明開化が始まり、横浜から二大政党の歩みも始まりました。

 太平洋とは「平和な海」という意味です。そして、APEC(アジア太平洋経済協力)は「成功の歴史」です。

 黒船が襲来して江戸城が大騒ぎになった151年前も、結果として横浜開港という決断が明治維新の始まりとなりました。


 始まりはいつも横浜から。

 始まりはいつもパシフィコから。

 2010年横浜APECから、日本の、そしてアジア太平洋の、新しい歩みを始めていきましょう。夢と希望の船を漕ぎ出していきましょう。大丈夫、必ず日本を助けてくれる仲間がいます。

APEC首脳会議きょう開幕、各国首脳が来日 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が13日、横浜市西区みなとみらいのパシフィコ横浜で開幕する。菅首相は環太平洋経済連携協定(TPP)の協議開始を正式に表明し、TPPを含む経済連携協定(EPA)の基本方針を説明する予定だ。日本がAPEC議長国を務めるのは15年ぶりで、14日に自由貿易の推進を打ち出した首脳宣言「横浜ビジョン(展望)」を採択し閉幕する。これに先立って12日夜、会議に出席する米国のオバマ大統領や中国の胡錦濤国家主席、ロシアのメドベージェフ大統領ら各国首脳が相次いで来日した。主要テーマの地域経済統合では、参加21か国・地域で人やモノの移動を円滑にする経済統合構想「アジア太平洋自由貿易地域」(FTAAP)の具体策を議論する。

APEC各国首脳、厳戒の横浜入り  :日本経済新聞

 13日に開幕するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を前に、オバマ米大統領や中国の胡錦濤国家主席ら各国首脳が12日、相次いで横浜市に到着した。会場や宿泊施設のある「みなとみらい21地区」中心部の大通りは、一般車両が排除され、歩道にも警察官が数メートルおきに立つ物々しい雰囲気。車列通過の数分間は歩行者が道を渡るのも遮られた。開放された車道を、黒塗りの車などの車列がパトカーに守られながら走り抜けた。周辺の道路には、迂回(うかい)を余儀なくされた車の長い列ができた。帰宅途中だった横浜市泉区の男性会社員(30)は「ものすごく緊迫していて、普段見られない光景。ここまですごい警備をするのかと思った」と驚いていた。


補正の衆院通過より先に、閣法が成立 大塚耕平さんが参院筆頭理事、前金融副大臣の責任感 保険業法改正案

2010年11月12日 23時59分59秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議
[写真]民主党の古本伸一郎さんと大塚耕平さん(公式ホームページから)

【2010年11月11日(木)参・財金委、翌12日(金)参・本会議】

 改正保険業法(第174国会閣法64号)が成立しました。召集の時点では、なんの興味もなかったこの法案でしたが、閣法成立第1号、しかも答弁者が自見庄三郎・金融担当大臣(参院議員)で、補正予算の審議にへばりついているのに、その合間をぬって、補正の衆院通過前に衆参で可決・成立しました。なんともスピディーな処理でした。全会一致とはいえ、民公自3党の衆院での修正がありました。11日の参・財政金融委員会では、自見大臣(国民新党)の趣旨説明→竹内譲衆院議員(公明党)の衆院での修正の説明→各党質疑→全会一致で可決。そして、翌朝の参・本会議で全会一致で成立となりました。「口蹄疫補償金非課税法」(衆院の財金・総務委員長提出の議員立法)に次いでの成立で、閣法としては今国会第1号の成立となりました。その迅速さはすばらしい。

↓参・本会議の押しボタン式投票結果は次のリンク先でみることができます。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/vote/176/176-1112-v001.htm

 やはり日程の立て方です。自見大臣が予算委に拘束されない日程をおさえて、修正案も事前に打ち合わせたということだと思います。修正案の説明も、公明党衆院議員の竹内さんに参院の委員会室に来てもらってやってもらったのですから、様々な日程調整をこなしたことになります。で、その現場を預かったのは、参・財金委の民主党側の筆頭理事は大塚耕平さん、それと大久保勉理事という、参院民主党の財政・金融チームでずっとコンビを組んできた2人でした。もちろん、自民党側の理事の貢献も大きいでしょうが、やはり閣法の第1責任者は与党理事です。衆院では前財務政務官の古本伸一郎さん、参院では前金融担当副大臣の大塚耕平さんということで、やはり政務三役帰りは責任感が強いと改めて感心しました。政務三役の中でも、とりわけ財務省、金融庁というのは、べた褒めされることがない、何をやっても賛否両論の精神的にもキツイ担当ですが、やはり政権交代で政府の役職を経験することで、舌鋒鋭い野党政治家が、一皮むけて、責任感と安定感のある与党政治家に育っていくんだ、ということを有権者として確認できた気がします。だから、政権交代ある二大政党デモクラシーは有効だし、いろいろと辛い昨今ですが、それを日本に定着させていくためにがんばっていこう、との自信を改めて持ちました。

↓衆院通過のもようは次のエントリーで紹介しました。

“100兆円の財務省帰り”の2議員、政府外でも強い責任感示す 補正予算審議入り、閣法第1号衆院通過

 大塚耕平さんは、野党時代にも財金委の筆頭理事を務めていました。2009年の通常国会3月26日に、同じく参院財政金融委員会で、予算関連法案の審議に関して、麻生内閣の財務副大臣(平田耕一さん)のクビをとっています。このときはその朝の日経新聞朝刊で「平田・財務副大臣、株式大量取引の財務局への未報告が発覚」と報じられ、予算関連法案に関する総理出席の締めくくり総括質疑に立った大塚さんは、「本当は総理や財務相と財政・金融に関する議論をしたいのだが・・・」としながらも、平田問題を優先し、辞任させた上で、予算関連法案の採決に応じました。野党のこういう「政務三役のクビをとる」という行為も、政権を前に進める原動力になっているのです。この5ヶ月後の第45回衆院選で、平田耕一さんは、公示前のJC主催の候補者討論会で、よほどのストレスだったのでしょう、「私が当選する確率は万に一つもありません」と口走ってしまい、敵前逃亡状態になりました。そして、三重県第3区の平田さんは惜敗率36・21%というすさまじい負けっぷりをしてしまいます。いくら対抗馬の民主党・岡田克也候補が強かったとはいえ、やはり選挙は日ごろからの国会と地元での活動の勤務評定に過ぎないことを証明しています。

 古本伸一郎さんも野党時代から、衆・財金委で、「ゆうちょからJAバンクへ5兆円の貯金が流れている。JAバンクはバイクに乗って僻地で集金している。その努力が民営化後の郵政にはない」という、地元で吸い上げたであろう声を質問していました。古本さんは、財務政務官として税制を担当し、ナフサの減税(粗特)について、石油化学メーカーの社長に話を聞きに行って、「ナフサの減税がなくなったら会社は潰れます」と説得され、言葉を失うシーンがNHKスペシャルで報じられました。大塚さんも内閣府副大臣として、上司の亀井静香大臣から「モラトリアム法案」というかなり無茶な課題を与えられましたが、「中小企業金融円滑化法」というきれいな形に仕上げました。その一方で、デフレに関しては「日銀寄りだ」と批判され、まあ私もそう思いますが(^^;)、政治家として一回りも二回りも大きくなったのではないでしょうか。

 ちなみに大塚耕平さんは、菅直人代表・岡田克也幹事長の下、党本部広報委員長も兼ねています。どうやら「広報改革」に取り組むようで、どのようなことをするのか分かりませんが、私は応援したいと思います。おそらく、情報発信とか、そういう意味とは違う「広報改革」だと思います。それはとても難しく、抵抗も大きいし、かつ目立たなく地味な改革でしょう。でも私はエールを送りたいし、私としても取材の時間ができたら、お話を聞いてみたい気がします。古本さんも大塚さんも愛知県連です。二人とも世間一般に言われるところの、愛知の人らしいところがあるのかもしれませんが、国難にあたり、目立たなくとも強い精神力と軽いフットワークでこともなげに仕事をこなす愛知の人が頼もしく感じられます。

公明党さん、そりゃないよ!補正反対、関連法案賛成で、菅内閣の生殺与奪の権を握る

2010年11月12日 22時32分39秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

[画像]2010年11月9日の衆院予算委の補正審議で、うってかわって政府案を攻撃しだした公明党政調会長の石井啓一さん(NHK映像)。

 公明党は11日、党本部(東京・信濃町)で中央幹事会を開き、補正予算案に反対する方針を決定しました。

 これは、おそらく、地方議員さんが、「補正に賛成したら、統一地方選を戦えない」と県本部代表を兼ねる国会議員を突き上げたからだと思います。例えば、11月9日(火)の衆・予算委で補正のメニューをことこまかに批判したパネルをもって徹底攻撃した政調会長の石井啓一さんは、茨城県本部の代表です。茨城県議選は来月実施の「プレ統一地方選」と言われていますので、茨城県は既に臨戦態勢でしょう。

 このほか新聞報道では、松あきら党副代表のほか、新人の石川博崇さんも「補正反対」を政調全体会で早くから唱えていた、と報じられています。松さんの神奈川はみんなの党の国会議員が3人もいて、民主党除籍組の横浜市議もなかなか良いタマのようです。石川議員は、大阪府の選出です。公明党にとって最も重要な地域ですが、府議会、市議会とも中選挙区のところに、「大阪維新の会」の旋風が来ます。地元のことはよく分かりませんが、おそらく公明党の府議・大阪市議・堺市議の現職たちは「大阪維新の会を倒せ」という戦術をとると、現職である自分へブーメランが返ってくるのでしょう。あくまでも推測ですが、「大阪維新の会の公認候補の人数分は定数が減ったんだと観念して、残りの議席を民主党・自民党から奪おう」と考えるのがフツーだと思います。ですから、「“小沢付き民主党”の補正予算案に反対しろ」と国会議員を突き上げたのでしょう。だから、国会の公明党は、全議員参加の政調全体会を報道陣に公開したうえで、補正反対に舵を切ったのではないでしょうか。

 その一方で、中央幹事会は、予算関連法案に関しては、「執行部一任」と決定しました。公明党が「補正反対」「予算関連法案賛成」となると、2010年度第1次補正予算案は参院で否決され、衆院に回付し、衆院での過半数により可決・成立。予算関連法案は、参院本会議で民主党・国民新党・公明党の過半数で可決・成立する見通しとなり、今国会の最大の懸案はメドがつきました。

 とはいえ、「予算反対」「予算関連法案執行部一任」とは、公明党が菅内閣の生殺与奪の権を握ったと考えるべきです。補正はいいとして、本予算の採決を向ける来年2月末ごろには、統一地方選スタートまで1ヶ月を切っていますから、極めて厳しい対応が迫られます。

 今回は野党各党に事前に補正のメニューを示して要望を聞く格好でしたが、本予算では、自民党は排して、民公代表会談を数回開いて、民公政調会長会議を組織として立ち上げて、いやらしいまでに公明党にすり寄るしかないのではないかと思います。そのくらいやらないと、先は見えてきません。

 私は公明党が補正に反対するとは思ってもみず、9日(火)の朝7時のNHKニュースで驚きました。そして、午後1時からNHK中継が入った衆院予算委員会の補正予算案質疑に立った公明党の石井啓一・政務調査会長は、補正のメニューについて、①中小企業に冷たい②地方に冷たい③農家に冷たい--と3つの問題点を指摘しました。

 実はここまで、このブログに書いていなかったのですが、私は今国会の召集日の翌日である10月2日(土)の第8回公明党全国大会に取材に出かけ、開会前~大会全部~終了後の第1回中央幹事会のアタマ撮り~記者会見までたっぷり取材させてもらい、「ああ公明党というのはこういう政党か」とじっくり勉強させてもらいました。新党平和や、参院会派「公明」の取材経験はありますが、公明党(New Komeito)になってからの取材は初めて。前日に党本部の広報部に電話して、連絡先をファクスしたら、快く「いいですよ~」ということで、やはり新進党同様に公明党職員は人柄がいいなあと感じました。


[写真]第8回公明党全国大会のようす、2010年10月2日、東京・品川、宮崎信行撮影 

 なぜ公明党大会を取材したことを1ヶ月間もこのブログに書かなかったかというと、公明党支持者の方には土足で脚を踏み込まれたかのように思われるかもしれないし、民主党支持者の方には公明党への乗り換えかと思われるのではないか。「李下に冠を正さず」という言葉もあります。誤解を招くようなことははじめから書かないということです。ただ、その理由は一つ、向こう6年以上、民主党が参院で過半数を占められない以上は、民主党と公明党の連携が安定につながり、それが国政の安定につながる、だから公明党のことをもっと知りたい、との私の考えに基づく、それが唯一最大の理由です。

 大会会場にはかなり早く着いたので、マクドナルドでランチを買って、休日の風が心地好いテラスで昼食を摂りながら、本を読んでいました。物怖じしない性格の私も、公明党さんの取材は10年ぶりですから少し所在なくなり、「ああ、久保哲司先生がいたらなあ」と思いを馳せました。故久保哲司・元衆院議員は「新進党」準備委員会の党名公募の各党チームで、旧公明党から参加していました。日本新党本部会議室のファックスとハガキの山(当時はメールはない!)の中で集計作業をしている新生党学生塾の僕らに気さくに声をかけてくれ、大阪市交通局時代の武勇伝を話してくれたりしました。僕が日経新聞に就職し、政治部総理番記者になったとき、衆議院議員食堂でお見かけすると、気さくに手を挙げてくれました。当時は新進党衆院議員ということで、2人で食事をしていたもう1人の議員はわざわざ立ち上がり名刺交換をしてくれました。そんなていねいな国会議員はほかにいません。その1年生議員は、斉藤鉄夫さんです。それから数ヶ月後に、小沢一郎氏の手により新進党は解党されてしまいました。斉藤鉄夫さんは新党平和を経て、新・公明党で環境大臣や政調会長を経て幹事長代行になりましたが、どういうわけか、久保さんは自由党(小沢一郎党首)に行ってしまいました。久保さんはその後、新・公明党に戻り2003年に56歳で亡くなりました。このように公明党の衆院議員や都議会議員の知己は若くして亡くなる傾向にあります。これはやはり中間管理職の辛さだと思います。選挙には、本人や家族だけでなく、仲間の生活もかかっているわけです。創価学会の組織力は長期低落傾向にあります。党大会でも「My(マイ)獲得運動を推進してください!」と井上義久幹事長が強調していました。この「My(マイ)獲得運動」とは、現職地方議員がその名刺を使って支持者を集めなさい、という意味でしょうが、創価学会票だけでは当選ラインをギリギリ下回る状況にある現職議員が多いということの裏返しだと、私は感じました。ということは、「小沢付き民主党を倒せ」という地方議員さんから党本部代表(国会議員)への突き上げは相当な圧力でしょう。

 補正反対なんて、そりゃないよ~公明党さん・・・「新進党解党被害者の会」の仲間じゃないの~~。1994年12月10日、パシフィコ横浜で一緒に誓った仲じゃないの~~とぼやきたいところですが、公明党さんの現職議員にとってはそれよりも切実な問題が目の前の来年4月にあるわけです。私の気持ちも早くも来年2月末(当初予算の採決)に行ってしまうのですが、やはり予算に反対しても、予算関連法案にはぜひ賛成していただきたい。そして、公明党のある意味立派なところは、民主党が中選挙区での候補者調整を呼び掛けても、それは潔しとしないと思います。例えば、公明党で岡田克也さんへの評価が高いのは、第39回衆院選で公明党政審会長(坂口力さん)を押し出して、初当選した選挙の強さがあると言われています。ちなみに、坂口さんが落選したので、公明党政審会長になったのが、二見伸明さんです。

 公明党に信頼してもらうためには、「オープンでクリーンな民主党」を民主党412人がキッチリとやる。例えば、馬淵澄夫国交相が自発的に辞任し、歳費1割削減など身を切る、そして、もちろん小沢問題を処理していくことが重要です。このブログの読者の方から「創価学会員の親戚は、今でも小沢氏を悪く言っているよ」というメールもいただいています。斉藤鉄夫さんは先日のBS11のインサイドアウトで「弱小政党ですから」と卑下するような発言をする一方で、「支持者からは闘う野党になってくれという声が意外と多い」とも話しており、今回の決定を予感させる発言をしていました。民主党議員一人一人がもっと公明党の強さと弱さの両面から事情を知らないと、政権が座礁してしまう可能性が出てきたと感じます。もっと危機感を持って下さい。

 なお、2010年度第1次補正予算案とその関連法案は、11月15日(月)の午前9時からの衆・予算委と、午後3時半からの衆・本会議で採決され、可決する見通しですが、尖閣ビデオ問題の政府の対応などに進展が見られない場合は、スケジュールがずれ込む可能性も出てきています。とはいえ、今国会中の補正成立はほぼ間違いないと思われます。が、油断は大敵で、一般法案の審議もドンドン平身低頭で与党理事が野党理事にお願いしないと、統一地方選までに成立が間に合わず、「民主党は実績ゼロ」との批判に、何の罪もない地方議員候補者が涙をこらえながらお詫びし、「何で民主党から立候補しちゃったんだろう?」ということで、選挙前後に各地でトラブルが続出することが予想されます。

公明、補正予算案に反対 | ニュース | 公明党

公明党は11日、東京都新宿区の党本部で中央幹事会を開き、2010年度補正予算案に反対することを正式に決めた。予算関連法案である地方交付税法改正案への対応は党執行部に一任とした。

中央幹事会終了後、山口那津男代表は記者会見し、党の対応について、大要次のような見解を述べた。

一、補正予算案への対応について、3つの理由から反対を表明したい。

一、一点目は公明党が提案した中身が十分に反映されていないことだ。政府・民主党は公明党が提案した項目について、(大枠で)24項目中23項目、95%以上を反映したと提示してきた。しかし、公明党は68項目を精査したが、公明党の要求が予算額で半額以上認められたものは22項目、約32%に過ぎない。極めて不十分な対応であり、政府・民主党の言う95%とはほど遠い。また、多少反映したものも、わずか22項目、約32%に過ぎない。まったく対応していないものも24項目、約35%に上る。

一、二点目は中小企業、地方、農家に冷たい内容であること。中小企業に対しては、緊急保証制度を今年度で打ち切り、(金融)円滑化法の延長について具体的な動きがない。予算委員会の質疑でも前向きな対応(答弁)はなかった。

一、地方に冷たいという点では、地方の使い勝手が良く、独自の事業もできる地域活性化交付金を1兆2000億円規模で手当てすべしと提案した。しかし、補正予算案では、わずか3500億円にとどまっている。交付金の額が大きければ景気対策として機動的で有効な対応ができる。

一、農業では、米価下落に対応するため、30万トンのコメの緊急買い入れなどの出口対策(需給調整対策)を取るべしと提案したが、対応がまったくなされていない。

一、三点目はデフレ(物価の持続的下落)脱却、景気を回復軌道に乗せる中身になっていないことだ。デフレ脱却と財政健全化を両立させるには、使える財源をフルに活用する必要がある。しかし、昨年度決算剰余金が約1兆6000億円ありながら、その半分の約8000億円しか財源にしていない。過去には、特別措置で剰余金全額を年度内に使ってきた。われわれが全額使うよう要求したにもかかわらず、半額にとどめたのは、デフレ脱却への強い対応が見られないことになる。

一、雇用のセーフティーネット(安全網)に一部対応しているが、本格的な雇用創出や民間需要を喚起できる対策にはなりきれていない。結果として、景気の回復軌道にはつながらない。したがって、十分な経済効果は期待できない。

一、公明党は9月2日に(緊急経済対策を発表し)補正予算の編成を求めたが、国会提出まで2カ月近くも経過し、(菅政権の対応が)遅すぎた。(景気の)二番底が懸念される中、日本経済に対する危機感が乏しい。また、政治とカネの問題については、積極的な対応をいまだにとろうとしていない。外交でも度重なる拙劣な対応をしてきた。菅首相の政権運営が問われている。こうした背景があることも指摘しなければならない。

一、(予算関連法案への対応に関して)いろいろな意見はあったが、執行部に一任となった。今後の議論や他党の動き、(補正予算案の)衆院での採決を見た上で、最終的に判断したい。

一、(党内論議で出た意見に関して)2回(議論を)やって、1回目は賛否が拮抗していたが、2回目は、かなり反対論が強くなった。企業・団体関係者や地方議員、党員に幅広く聞いた上で、反対のトーンが強くなったと受け止めている。

[公明党]補正関連法案の賛否を執行部に一任(毎日新聞) - livedoor ニュース

 公明党は11日午前の中央幹事会で、政府の10年度補正予算案に反対することを正式に決めた。予算関連法案の地方交付税法改正案には「地方に配慮し賛成すべきだ」との意見が出たが、法案修正も視野に執行部に賛否を一任。補正予算案は15日に与党の賛成多数で衆院を通過し、参院に送付される見通し。山口那津男代表は11日の会見で「中小企業と地方に冷たい内容だ」と述べた。【岡崎大輔】


菅総理、「石にかじりついても」 第46回衆院選の国民の信が出るまで続投

2010年11月09日 19時35分02秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗
【衆院予算委員会 平成22年度1次補正の審議 2010年11月8日(月)】

 「政務三役、経産政務官を1年間やって、与党議員としての質問は初めてです」と切り出して質問に立った民主党の近藤洋介さん。野党時代の近藤さんは、代議士会で「こう見えても気の弱い男でございます」と切り出してあいさつするのが常套句でしたが、政務三役を経験して堂々としていました。

 近藤さんは、「最近20年間で総理が14人代わった。日本経済の復活に最低限必要なのは、菅総理が石にかじりついても衆議院の任期満了(2013年8月)まで務め上げて、必要な政策を実行する覚悟だ」

 菅直人・総理は、「どこまで頑張れるか分からないが、物事が進んでいる限りは、石にかじりついても頑張りたい」。

 「首相が20年間で14人も交代したのは日本の政治の大きなマイナス。衆院の任期を一つのめどとして、一度政権を担当したら、4年後に国民の信を問う。政権交代したのだから、これからは4年単位の考え方が慣例になるのが望ましい」と答弁しました。

 菅さんがこの「政権交代可能な二大政党デモクラシー」を国会で表明したのは、私の記憶ではこれが初めてです。

 菅さんは2009年2月の衆院予算委員会では、「野党の筆頭理事として当初予算の締めくくり総括質疑ですので、私がこの委員会で政府に指摘したことを政策に反映させているかしっかり確認させてもらいますよ~」と切り出し、傍聴席にいた私はへなへなと力が抜けました。半年前後以内に政権交代をかけた天下分け目の第45回衆院選があるのに、その前の自民党政権最後の本予算で自民党を助けてどうするんでしょうか。政権交代後の最初の代表質問では、長妻昭厚労相に対して、「長妻大臣、いろいろ課題があってタイヘンでしょう。(大臣を)代わってあげますよ」という野党質問としては極めて新鮮だった自民党の西村康稔さんの挑発に対して、鳩山由紀夫首相は「若い西村議員におかれましても、自民党から飛び出すぐらいの覚悟でがんばってほしい」とエールを送り、私はまたしても天を仰ぎました。「若い西村議員は、自民党を政権政党に建て直すようがんばってほしい」と言ってほしかった。

 ハッキリ言えば、このことをずっと言い続けてきたのは、民主党内では岡田克也さんです。原口一博さんや、安住淳さん、長妻昭さんらもずっと言い続けてきました。

 菅総理、やっと分かってくれたのですね。

 ただし、この4年間(残り2年半弱)は、国難です。

 菅さんは石にかじりついて、歯が折れて、顔が傷つき、服がボロボロになり、爪がはげて、そして、指や手や脚がとれてでも、総理という石にしがみついてほしい。第46回衆院選の選挙結果が出るまで、絶対に辞めないということが菅直人に課せられた最大の使命です。指や手や脚がとれても、私は自分の天寿を全うするまで、菅直人のことを忘れない、このことを約束します。がんばれ。頼むぞ、菅直人。あんたしかいないんだ!!!

三宅さんの復帰、統一地方選の前後になる可能性も 話しやすい議員が訪問へ

2010年11月07日 08時02分33秒 | 第176臨時国会(2010年10月)熟議

 三宅雪子さんの本格的な復帰が来年4月の統一地方選の前後になる可能性を、民主党群馬県連幹部が懸念していることが分かりました。三宅さんは腰の手術を受けました。腰とはすなわち脚の付け根ということになりますから自力で歩けるようになるまで時間がかかることが予想されます。仮に「早期の復帰」を最大目標にした場合は、自力で歩けない状態で会合に出席することになります。この場合、「車イス」「松葉杖」を使わなければならず、5月の転倒事件を有権者や本人が想起しかねず、周囲の反応いかんでは逆風になるというジレンマが予想されています。

 三宅さんの地元では、4月10日(日)に群馬県議会議員選挙、4月24日(日)に高崎市議会議員選挙などが実施されると思います。若い組織である民主党にとって、統一地方選は地元衆院総支部長が陣頭指揮をとることになります。総決起集会、出陣式、演説会では、例えば、ビデオ出演や、携帯電話をマイクに付けるという方法もあるでしょうが、ここの自民党支部長は総理経験者の福田康夫さんです。どのような事情があれ、総理経験者に対して、民主党の1年生議員が不在という構図になった場合は、選挙が勢い付かない可能性があります。

 岡田克也幹事長は、4日の記者会見で「私の幹事長としての意を受けて、近々、議員がお見舞いに行く予定にしております。ただ、ご本人の状況もありますので、よく連絡を取ってお伺いして、いろいろどういう状況だったのかというお話も聞いてくることになっております」と述べ、三宅さんが話しやすい相手、おそらく同期の女性議員になると思われますが、病室を訪れ、どのような悩みを抱えていたのかを把握したうえで、必要ならば幹事長室や選対委員会として県連・総支部の改善に関わっていく方針だと思われます。