[画像]「議会人として許しがたい」ーー東大法学部同級生で元警察官僚・元小泉自民党首相秘書官の小野次郎・参院議員(みんなの党)や参議院自民党に対して、歴代自民党首相が「密約はない」と国会で虚偽答弁したことに怒りを表す岡田克也副総理(背中)、2012年2月7日午後、参議院予算委員会の4次補正の一般質疑、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
ブログを書く人にはなかなか書くことが見つからない、という方も多いようです。小生は今週は書きたいことばかりのインプット過剰状態なので、未定稿ということでドンドン発信していきたいと思います。どうも木曜日から本予算審議に入れそう。とはいえ9日審議入りで、3月2日までに衆院通過となると例年より過密なので、そうすると例年並みにインプット量はますます増えそうです。なるべくコンパクトに書きたいところですが、なかなかそうもいかないかもしれないです。ただ、岸田文雄・自民党国対委員長が「集中審議をやれ」と言っているようですが、集中審議がテレビショーに過ぎないということは多くの国民が見抜いている。それを3世政治家の岸田さんが気付くかどうかというのが政権交代のポイントになるでしょう。
岡田克也副総理は、2012年2月7日(火)の参議院予算委員会の今年度第4次補正予算案の一般質疑で、運命の人・西山記者事件などで再び話題になっている自民党・佐藤栄作政権と米ニクソン政権との沖縄本土復帰(1972年)に関する4つの外交密約に関して、「政権交代して、密約(の掃除)はできたわけです。そして歴代の(自民党)政権、歴代の総理が少なくとも1990年代あたりまで、外務省から『実はこう言ったことがあるんです』といった報告を受けながら、その存在を否定してきた。この国会の場でも否定してきたということは
私はホントウは許し難いことだと思っているんです。いずれにしてもわれわれ議会人として、どうしてそういうことが起こったのかということは深刻に反省すべきだと思います。開き直りは許せないことだと思っております。
」と激しく参議院自民党を批判しました。みんなの党の小野次郎さんへの答弁。
そのうえで、外相時代の経験も踏まえて、西山太吉元毎日新聞記者との間で裁判が係争中である状況を説明した上で、「西山さんのジャーナリストとしての行動は一定の経緯を示したい」と述べ、議場の拍手を浴びました。
小野さんは大学1年生のときに西山記者事件があり、「まさか国家が密約をするわけがない」と思い、「よく意味は分からなかったけど、(検察が書いた冒頭陳述の)密かに情を通じ、の方に興味を持った。ホントウは何があったんだろう。あれから三十数年、ずっと考えてきました」として、答弁を求めました。小野さんは、「密かに情を通じ、の方に一国民として関心を持ってしまった」と大学生の自分を反省しました。だったらなぜ小野さんは小泉ワイドショー政治に荷担したのか。その言行不一致ぶり、小野さんもまた、運命の人。
小野さんは警察庁キャリアの8割が進む「公安警察畑」であり、警察庁国際部国際第二課長など国内外の治安・警備(テロ防止)に関する情報収集の仕事を担当していた時期もあります。そして、2001年4月、小泉純一郎自民党政権で首相秘書官となり、2005年9月11日の第44回郵政選挙では自ら刺客として圧勝の一員となりました。第45回政権交代選挙では落選し、第22回参院選でみんなの党参院議員として国政復帰しています。
小野次郎さんと岡田克也さんは東大法学部卒、昭和51年入省の霞が関同級生。小野さんは警察庁、岡田さんは通産省。国家公務員上級職採用試験では、「1位になったら大蔵省、2位になったら(大蔵省に行くと事務次官になれないので)警察庁に行け」と言われていました。ちなみに民主党の平岡秀夫前法相は、昭和51年大蔵省入省。
その小野さん、公安警察キャリアですら、知らなかった「沖縄本土復帰日米外交密約」。
民間人として佐藤首相の個人特使をつとめた大学教授は、「他策なかりしを信ぜむと欲す」という回顧録を書き、自殺しました。ところが、外務省の第三者委員会の北岡伸一東大教授らの報告書を良く読むと、実は、佐藤首相は複数のルートをもっており、他のルート(外務省ルート)だけで沖縄本土復帰ができていた可能性が高いそうです。「他策はあった」んです。佐藤首相の息子の佐藤信二・元衆院議員は、佐藤家にあった文書を自発的に公表しました。また密かに情を通じた外務省事務官はご健在だそうです。運命の人は何人もいます。例えば、伊丹空港での日航機尻もち事故の修理結果を検査した運輸省の出先機関の職員は自殺しました。修理の不首尾により圧力隔壁の破損で、日航123便が墜落し、520人が亡くなったことと無関係ではないでしょう。しかし、修理したのはボーイングです。そして群馬県警の捜査記録や国交省の外局(3条委員会)である運輸安全委員会の調査記録は現存しません。そして日本航空も倒産しました。
運命の人はたくさんいます。政権交代なき政治による運命の人です。
ところで、「許せない」という言葉を連発した岡田さんですが、かつて聞き覚えがあったので、調べてみました。ブログとは、web上のlogという意味ですが、検索したら2009年3月25日付の次のエントリーでした。「【西松報道】岡田克也さんが朝日新聞社に抗議「私は全く許せない」」。これも野党民主党にとって政権取りの正念場でした。かなりのピンチでした。時は移ろい、といってもまだ3年も経っていませんが、岡田さんは国のピンチを背負っています。
2月7日付日経新聞11面(企業2面)で「イオン針路を探る(上)」の中で、岡田元也イオン社長(代表執行役)は「アジアで最大、最強、最高の小売りグループになる」と宣言しました。日経がつけた見出しは「肥沃なアジアに野心」。イオンが2011年度に採用した社員2000人のうち400人は外国籍とのこと。ただ、グラフを見ると、小売り最大手イオンの連結業績は、2007年ごろから高止まりした状態で、経常利益はリーマンショックで大きく落ち込んでいるんですね。わが国では2000年代以降利益優先で企業を見て、日経新聞も利益で見出しをとっていますが、私はもっと売上高を重視したい。つまり、イオンも急拡大しているのではなく、アジアに出ることで現状維持が初めて可能になる。元也さんは60歳なんですね。岡田克也さんは58歳で、イオン株式を12万3046株持っています。これは時価を900円とすると、およそ1億円、年間配当は6円として73万8276円(税引き前)受け取っていることになります。ただ、イオンは「寒いとコートが売れて売上高が上がる」という不安定な業界ですし、さらに、イトーヨーカ堂、ユニーなどと比べて後発企業だし、「狸が出るところに出店する」という方針があり、最大手(売上高が最高額)にもかかわらず、社債の格付けは低いです。
岡田さんは2月6日(月)午前10時半過ぎ、参・予の第4次補正の基本的質疑1日目の自民党・林芳正さんの質問の中で、「岡田さんは、あなたは厚生年金でしょう」と言われて、「私と妻と長男は国民年金です」とうれしそうに答えました。前日(日曜日)に確定申告の書類集めをしていたそうです。一方、林さんは何も答えませんでした。林さんの家業は下関最大の商家で、インフラでは「山陰中央合同ガス」、タクシーの「サンデン交通」を経営しています。林さんはおそらくどこかの会社で厚生年金に入っているのでしょう。四日市も下関も、海から栄えた港町で、大商業地(名古屋、北九州・博多)の対岸としての独自性をいかしたという歴史的経緯など共通点が多いです。林さんも自民党総裁(影の首相)選挙に出るのなら、恵まれた厚生年金なのですから、知事選の関係で支部長不在になりそうな衆院山口2区(岩国)に転出するなどの勇気を見せて欲しいものです。ちなみに林さんの質問はどうしょうもないものばかりでしたが、初っ端に「私は役所の人が徹夜をしないように金曜日の昼に通告を終えた」と言ったのは良かったかな。林さんに限らず、参議院自民党は「零点満点」でした。例えば、脇雅史・国対委員長が内閣府と内閣官房の違いを問い糾しました。これに対して内閣法制局長官が答えられなかったのは正直かなり驚いたのは事実です。ただ、脇さんは「自民党政権末期からたるんでいるんだ」と自ら認めました。たしかに、小沢グループが内閣府と内閣官房の違いが分かっていないことを、私は野党時代から危惧していました。しかし、今の民主党良識派が主導する内閣も答えられないことは真摯な反省が必要です。私は脇さんに逆質問したいのは、「内閣官房と首相官邸はどう違うのか」。これを法律論で答えられるでしょうか。それから参議院自民党はBS放送局で提供番組を持っていましたが、これはBPO(放送と倫理向上機構)で問題になり、打ち切られました。おそらく立法事務費で番組枠を買い取っていたのでしょうが、BPOはマスコミによる自主的な任意組織に過ぎません。法律論で、東京地裁に番組の放送再開の仮処分申請をしたらどうなんでしょうか。参議院自民党は法律よりもマスコミ重視なんでしょうか?
このほか、衆院段階では、石破茂さんが「芦田修正によって、自衛隊は合憲だ」と主張しました。しかし、私の認識では、芦田修正によって、自衛隊を持つことが可能になったが、法律上の解釈は「一見極めて明白に違憲でない限り最高裁判所の判断には馴染まない」という事情判決・統治行為論でとどまっているはずです。だから、自民党は憲法改正(自主憲法制定)を党是としているのではないでしょうか。こういう認識の石破茂さんが防衛庁長官や防衛大臣をやっていたということが、問題です。また、自民党の党是もよく理解していない可能性があります。この石破さんという人は、本質が分かっていない政治家としかいいようがありません。1度裏切る人間は2度裏切る、石破さんは自民党でも居場所がない。1人会派になったらどうでしょうか。
岡田公務員制度改革担当大臣は2月6日夜のBSフジ「プライムニュース」に出演しました。同番組への岡田さんの出演は、意外なことに初めて。
この中で、岡田さんは公務員制度改革に関して重大なボールを投げまくりました。
「60歳から65歳に行くときは7掛けぐらいと人事院から頂いている」
「労働協約締結権ができれば説明責任が生じる」
「民間だと定期昇給(定昇)がずっと続くわけではない。公務員(の現状)は違うかも知れないが」
「独法には必要なものもある」
「政府系金融(機関)は大震災のときに必要性を感じた物もある」
この中で、目から鱗が落ちたのは、労働協約締結権ができれば説明責任が生じる、という部分。私も(連合非加盟)新聞労連系「日経労組」の組合員でしたが、団体交渉の「要求作り」というのは面白い作業です。いずれ書きますが、これによって、印刷、販売、広告、総務・経理といった人たちがどういうことを考えているか、会社というものが分かりました。まさに、オカネが流れるところに情報が流れる。本省のキャリア官僚も団体交渉を通じて、外局や出先機関の人の考え方を知ることができるようになるのではないでしょうか。岡田さんは厳しいのかと思えば、「60歳から65歳に行くときは」ということで定年延長を念頭に置いていると思います。天下りよりも「7掛け」の方がいいのかも知れません。それから、定昇の打ち止めを示唆しながらも、独立行政法人や政府系金融機関について必要なものもあると指摘しています。まあ、個別の職員は、思うところがあれば、分かりやすい言葉で岡田さんに発信してみたらいいでしょう。まさに攻撃は最大の防御です。
とにかく攻撃は最大の防御だと感じることばかりです。
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岡田副総理は1月31日の記者会見で、「私も、非常に優秀な副総理秘書官がおりますので、(橋本行革の江田憲司と)同じような役割を果たしていただけるというふうに思います。行政改革を実行していく中で、やはり霞が関の官僚の皆さんと議論し、説得を時にはしながら進めていくということは大事なことで、そういう意味で総責任者として、事務の官房副長官を充てたということです。全体を力強く進めるためには、私は必要なことであるというふうに思っています。」と話しました。
官報2012年1月25日号は、平成24年1月13日付で発令された、「本庄知史、国務大臣秘書官に任命する 岡田国務大臣づきを命ずる。」との人事を掲載しました。
[画像]官報平成24年1月25日号(部分抜粋)
偶然と言えば、偶然に過ぎないのですが、本庄秘書官は、江田通産大臣秘書官と同じ、「数え歳では38歳の就任」ということになります。細川内閣での政治改革の一つの成果である、政策秘書試験の8期生で京都出身の本庄さんですが、岡田副総理、あるいは岡田公務員制度改革担当大臣を支える上で非常の重要な意味合いがあります。それは東大法学部卒業生だということです。リアルポリティックスとして霞が関は「東大法学部」で動いています。例えば、大蔵省・財務省の事務次官は、池田勇人事務次官以降、京大卒は半世紀いませんでした。京大ですら。では法務事務次官・検事総長に東大法学部が少ないのは、法務省は人件費が中心で、箱物などの概算要求が少ないので財務省のグリップが聞かないからだとされています。おおむね3人いる東京都庁の歴代副知事に1人ずつ東大法学部卒業生が入っているのも調べてみたら分かるでしょう。だから、東大法学部というのは重要です。
歴史に残る、野田・岡田行革と一体改革。それを支えるのは日本の未来につながることであり、それは事務秘書官にとっても本省の利益以上にはるかにやりがいのある仕事でしょう。橋本行革では、「橋本行革を応援する500人委員会」というのがあり、やがて「700人委員会」になりました。ただ、時代が違いますし、大事をなすのには、コアメンバーがしっかりしていればいい。だから、副総理秘書官とそれを支える人物。例えば、「福山ノートは公文書管理法第1条でいう行政文書に当たるか?」。副総理は「福山ノートなるものがどういうものか、私は承知しておりませんが、しかし公文書というのは、行政に携わる者が法律の定義を今持ってないのですが・・・・、事務秘書官が紙一枚をサッ。それを見て、岡田さんは「行政機関の職員が職務上作成し、または取得した文書、というふうになっているのですね。ですから、ここに私は個人的なメモであればこれには当たらないというふうに思います」。福山ノートは行政文書でないという法解釈をその場で示し、現時点で福山ノートの活用の考えがないという政治判断を示しました。まず法律を確認。その解釈を示す。そしてその時点での政治判断は保留する。ホップ、ステップ、ジャンプ。その前提には必ず法律の確認があり、法律の確認があって、初めて政治判断がある。当たり前のことですが、震災後こそ当たり前のことを当たり前にすることが大事です。ただ、岡田さんは兼務が多すぎて、さすがの岡田さんにも荷が重すぎます。誰か他の大臣に分担できないものでしょうか。
岡田さんは尊敬する人物を織田信長としています。岡田さんは次の土曜日には京都に乗り込み、京都5区の舞鶴で一体改革の説明の「第一声」を小原舞・衆院議員の総支部で挙げます。この選挙区の自民党支部長は谷垣禎一総裁です。この「ちょっと乱暴な副総理」に猛ダッシュで付いていく、コアメンバーは、まあ、200人でしょう。ご家来衆は200人でいい。チーム岡田の前には必ず道が拓けます。なぜでしょう。他に選択肢がないからです。議論の余地がないからです。議論ではなく、説得が仕事です。だから必ず道は拓けます。その200人は勇気を持って、ただまっすぐにひたむきに前に進んでいきたいと考えていますが、いかがでしょうか。まあ他に選択肢はありませんから。前へ。のポイントを充ててお読みいただけます。
このエントリー記事の本文は以上です。
[写真]結婚披露宴でケーキに入刀する新郎の石川知裕・衆院議員と新婦の香織さんを見る小沢一郎さん。
「新党大地・真民主」所属の衆議院議員で北海道11区(十勝総合振興局)選出の石川知裕さんと元BS放送アナウンサーの香織さんの東京での結婚披露宴が平成24年2012年2月4日(土)、国会近くの六本木、「ANAインターコンチネンタルホテル(全日空ホテル)」で開かれました。地元での披露宴も今月あるようです。
祝辞として、「元民主党幹事長」と紹介された小沢一郎さんは「小沢事務所の(出身の同世代の)中でも結婚が遅れてしまった。誰かいい人がいないかと心配していた」「私のせいで重い荷物を背負わせてしまった」と語りました。そして「政界は一寸先は闇」と言及しました。なお、この言葉が誰に向けた言葉かは不明。
いずれにしろ、このエントリーは私の記憶の再現なので、発言は大まかな趣旨ということでご理解下さい。
祝辞で、民主党北海道第11区総支部代表代行で道議会議員の池本柳次さんは石川さんが公募に応募してきたころを振り返りながら、「最近は事務所に、(きょうの会合には)香織さんは来るのか?という電話がよくかかってくる。評判が良い」「次の選挙は厳しい闘いになるが、これからも全力で石川さんを支えていきたい」と語りました。
「新党大地・真民主」代表の元衆院議員、鈴木宗男さんは、開口一番「前科一犯の鈴木宗男です」と笑わせ、「きょうは私の家内も来ています。そこにおります。これはかなり珍しいことです。ぜひ、香織さんは私の家内とも仲良くして欲しい」と述べました。
民主党衆院議員の東祥三さんは、「新郎と新婦と両方ともご縁がある。石川さんが小沢先生の秘書の頃、私は政治のど真ん中(衆院議員)にいたが、その後浪人した。そのとき、新婦のお父様にお世話になった」と話しました。
小学校、中学校の先輩で、歌手の松山千春さんは「これが入籍前だったら、奥さんにやめとけ、と言っているところだったが、もう入籍しちゃったそうなので、言いたい。香織さん、石川と結婚してくれてありがとう」とし、「足寄中学校から(地元の高校に行かずに進学校の)函館ラサール高校に行くのはどういう人なんだろうと思い、恩師に聞いたら、紙一重の人が多いと聞いた」と述べると、新郎の同級生の方も含めて笑いが上がりました。この後、松山千春さんの歌を初めて拝聴しましたが、声が底から沸き上がってくるので、私は驚きました。
乾杯の発声に立った、佐藤優さんは「私は外交(?)の専門家と思われているが、実際は(同志社大学神学研究科修了)神様の専門家だ」とし、「神の下に石川さんは無罪だ」という趣旨の発言があったように思います。
ここまでで50分間。これほど濃い時間は経験したことがありません。
この後、歓談を経て、小沢さんは合計2時間40分滞在して退席しました。
ご両親への手紙を読んだ新婦は「4年前、私の父は東京地検特捜部に逮捕されました。私は番組をすべて降板し、母と友達の家を転々としました」としました。
最後に石川議員があいさつに立ち、「小沢一郎さんはさっさと帰りましたけど」と笑わせました。そして、「このホテルの3階で、水谷建設から5000万円を貰ったと(検察・マスコミに)言われていますけど、帰りに寄ってみてください。あんな所で貰うわけがないでしょう」としました。これは私も初めからおかしな話だと思っていましたから、大きく拍手させていただきました。そのうえで
「これからも十勝のために、北海道のために、日本のために働いていきたい」としめくくりました。
披露宴には、隣の北海道12区の「新党大地・真民主」の松木けんこう衆議院議員、小沢事務所の先輩になる、民主党の藤原良信・参院議員、民主党の樋高剛・衆院議員、さらに現役秘書ら。同期当選で五十音順が近い民主党の石関貴史衆院議員らが出席していました。
[写真]松山千春さんの歌を聴く、新郎・新婦と小沢一郎さん。
小沢先生はずっと淋しそうな表情で、元気がないように思えましたが、どうされたんでしょうか。
まあ、どういう雰囲気になるのかなと思っていましたが、マイクを持つ人が順々に言いにくいことをディスクロージャーしていくので、徐々に笑いが増えて、良かったです。何より、新郎のご両親に4年半ぶりに、政権交代後初めてお会いしましたが、まったく変わらず、それが一番良かったです。
新郎の地元、十勝の広尾町出身の八角親方(元横綱・北勝海)と写真をとっていただきました。
新郎と小学校・中学校のクラスや野球部の同級生の、元西武ライオンズ投手、三井浩二さんと写真をとっていただきました。
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[画像]みんなの党国対委員長で衆院議員の山内康一さん、2012年2月2日、衆院予算委、衆議院インターネット審議中継から。
第45期衆議院第180通常国会第2週は、金曜日(2012年2月3日)の衆本で平成23年度第4次補正予算が可決しました。日本共産党(6)が反対しましたが、民主党(104)、公明党(19)に加えて、自民党(83)、みんなの党(11)、社民党(4)などが賛成しましたので、ねじれ参議院での可決・成立は確実になりました。( )内は各党の参院での議席数。
4次補正に関連して、地方交付税交付金を「平成23年度予算(2次補正後)」から平成24年度に合計4600億円繰り越す「平成23年度の地方交付税の総額の特例に関する法律の改正案」(第180国会閣法1号)も可決しました。今国会での法案可決第1号。この法案はこの日に衆院総務委員会に付託され、提案理由説明、質疑、採決され、本会議に上程されるというスピーディーな対応でした。すでに参院では理事懇談会で審査の日程を協議した、と藤末健三・参院総務委員長(民主党・新緑風会)がツイートしています。
なお最終補正後の平成23年度一般会計総額は107・5兆円になりました。前年度の「3・11」を受けての予算としては何とか踏みとどまった印象です。23年度予算は、すでに提出済み・衆院可決済みの予算案を、震災後に、「成立後に、集中審議5回」の約束で、自民党や公明党など野党の協力で成立。ゴールデンウィーク前半戦の土、日曜、祝日にぶっ通しで審議して、「1次復旧補正」。菅直人首相の辞任3条件として「2次復旧テコ入れ補正」が通常国会末に成立。そして、公明党が法案骨子を提案した3点セット「復興債・復興庁・復興特区」を丸飲みした「3次復興補正」を野田新政権で11兆円の復興債を発行してつくりました。復興債の償還期限を「25年間」と引き締めたことに高い国際的評価があります。そして、これは日本国民の誇りと言ってもいいですが、震災後も日本国債の健全性は高く、欧州国債危機から逃げたマネーも受け入れたようで、年1%前後の低金利に落ち着きました。このため国債整理基金特別会計の想定利回り2%との間で、国債(日本銀行の特別会計総則第5条にともなう乗り換え分も含む)の利息の償還に余裕ができ、その財源で4次補正を組みました。ただ、日本国内でも、日経平均株価はかなり低い水準ですので、株式市場からはマネーが逃げたことは忘れてはなりません。
4次補正の本会議討論には、民主党から若泉征三さん(予算委理事、2期生、比例北陸信越)、自民党からは1期生の橘慶一郎さん。これに先立つ委員会での討論には、民主党から室井秀子さん。自民党は1期生の伊東祐孝さんが立ちました。このほかTV入り基本的質疑に1期生の齋藤健さんが立っており、第45期初当選で、自民党国対委員、衆院議院運営委員を一緒に務め、最前列の4人席(議席番号47番~50番)に仲良く並ぶ1期生は党役員(青年局長)の小泉進次郎さんを除く3人が予算審議で活躍の場を得たことになります。自民党はこうやっていて、中堅・ベテランに不満が出ないのか、他人事ながら心配してしまいます。
第44期自民党小泉チルドレン85人(補選当選の2人含む)のうち、生き残ったのは10人(途中入党の徳田毅さん含む)と言われます。実際には11人です。みんなの党国対委員長の山内康一さんも生き残り組。解散直前に、選挙区(神奈川9区・南関東ブロック)も党(自民党)も捨て、「説得できなかったの悔しい」と自民党有数の神奈川県連の河野太郎さんらに言われました。が、新天地のみんなの党・比例北関東単独1位では、渡辺喜美後援会の票もあり当選し2期生となっています。山内さんのトリッキーな再選戦略を可能にしたのは、山内さんは出身地の福岡県にかなり広大な山林を保有していますから、おじいさんらが心とアタマの余裕を山内さんに与えたのでしょう。
今次補正の審議では、山内さんがMVPとしか言いようがありません。なぜなら、予算書の中味を質問したのが山内さんだけだったからです。その他、「なぜ平成24年度予算ではなく4次補正なのか」という質問はありました。しかし、4次補正予算書を質問したのが2日(木)の夕方、締めくくり質疑のラスト手前2人目のバッターとは何とも貧困な質疑です。与野党とも猛省すべきです。「前々からそうだ」などという言い訳はもはや通用しません。「人の振り見て我が振り直せ」で、沖縄防衛局の選挙干渉疑惑を質問するなら、必ず4次補正の事業について1つは聞くように、参院予算委員は心がけて欲しいです。
「山内指摘」が入ったのは、一般会計補正予算書の次のページの、外務省の歳出の増額補正部分です。
ケータイの機種の関係で、見づらい方は、こちらをクリックしてください。
[画像]平成23年度一般会計補正予算書(第4号)から。
上のページの一番下の事業。外務省(組織09)所管の「国際分担金その他諸費」(項010)です。一番左に「11,604,905」と書いてある事業のことです。
「116億円490万5千円」を、「2億3613万7000円」追加して、「118億4102万2000円」に補正する予算書です。この増額補正の説明は「日本ベトナムEPAにともなう(ベトナム人)看護師・介護福祉士候補者への日本語研修を実施する国際機関への拠出」となっています。
これについて、山内さんは「1人当たり300万円になる」と指摘し、額が大きすぎると指摘しました。そのうえで、山内さんは「(日本での現場でのコミュニケーションや教育、試験には)英語(という手段)もあるし、日本語教育に(1人あたり)300万円かけるよりは、(試験などの)日本語のハードルを下げる方が良いのでは」と提案して、同党の短いしめくくり質疑を終えました。山内さんも与党・自民党経験者だし、元々JICA職員でしたから、「次からは改善して」というところでとどまってしまいました。できれば、議員提案で減額修正議決・成立させてほしいです。その場合は歳入をその分減額だけで済むのが、この補正の特徴でしたから、残念です。
日本の地方議会にできて、他国の国会にできる議員提案による予算修正。これがなぜできないのか。衆議院は解体的に出直せ。
tags 野田首相 = 野田佳彦、安住財務相 = 安住淳
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国の出先機関である「沖縄防衛局」(旧那覇防衛施設局)の真部朗(まなべ・ろう)局長(昭和57年防衛庁)が、前職の「健康上の理由」に伴う前倒し宜野湾市長選挙に干渉していた疑惑が浮上しています。防衛事務次官を4年間務めた守屋武昌さん(昭和46年防衛庁)の守屋日記をもとにした、『「普天間」交渉秘録』は一級品の資料です。この本を書いた時点で、彼は「失う物は何もない」状態になっていたからこそ、信頼度の高い資料だと私は考えてます。
この本の244ページには、新年の仕事初めに「大臣の了解を取るよう真部朗防衛政策課長に指示し」たと記述があります。防衛政策課長は本省の筆頭課長です。
さて、この守屋日記をみると、那覇防衛施設局の佐藤局長は、「本省が沖縄県内の首長の情報を収集するために送ったスパイ」としか思えない記述がいくつもでてきます。
122ページ、名護市の島袋市長(当時)、助役と、額賀防衛大臣、守屋防衛事務次官の4人が東京・防衛省で会ったときのエピソード。守屋氏が「L字案には騒音の面でも航空機事故の危険性を回避できる面でも、問題はない。名護市がどうしてもと言うなら、建物の上空通過にならないよう配慮はする」と話すと、末松助役は「そんなの駄目だよ」「話になりませんよ」「それじゃ、交渉できませんよ」と言ったそうです。これを、額賀福志郎・防衛相が制して、「アメリカと今、調整中なので」として次回に修正案を見せると約束し、その際に合意書に署名してほしいと話しました。これに対して、名護市側が「それは合意書ではなく確認書にしてもらいたい」とし、「確認書でないと地元に説明できない」と述べました。そして、市長と助役は沖縄に帰ります。
[「普天間交渉秘録」から引用はじめ]
4月6日早朝、沖縄の佐藤那覇施設局長から連絡が入った。「昨日、東京から帰った市長や助役は辺野古3区(辺野古、豊原、久志)と市議に初めて説明をしました。でもそれが信じがたいものなんです」
佐藤局長の報告では、末松助役は地元にこう話しているという。
「政府はもうひと押しで浅瀬案に下りてくる。だからL字案反対で市長一任を貰いたい」
ようやく市議たちに説明をしたかと思ったら、今度はまったく出鱈目なことを地元には報告していた。
[引用おわり]
この報告を受けて、守屋さんは沖縄の実力者に電話して、多くの人に防衛庁がまとめることに困っている状況を知ってもらって、対応策を教えてもらったとしています。そして、北部振興策の対象となる自治体の首長の集まりである「北部首長会」の首長らに上京してもらうことを大臣に進言したと振り返っています。沖縄分断工作にも感じます。
[引用はじめ]
帰宅すると、家の前に記者が十数人、張り付いていた。私は何も答えずに家の中に入った。その後、沖縄の佐藤局長から電話があった。
「さきほど8時、知事公舎で名護市長が知事に会いました」。
先方も明日はそれなりの覚悟をしてくるなと、私は思った。
[引用おわり]
局長は、本省だけを見て仕事をしており、沖縄のことなどこれっぽっちも考えていない。首長の動静を調べて東京の事務次官に報告する。まさにスパイエージェンシーとしかいいようがありません。行きすぎた情報収集にとどまらず、工作活動の場面もあります。
[引用はじめ]
私は佐藤那覇施設局長に、北部首長会会長の宮城東村長に名護市への説得を依頼することと、「ここに来て新たな主張をするに至った背景を探るよう」、指示をした。
[引用おわり]
このように、守屋次官は、出先機関の佐藤局長に、北部振興策の対象となった自治体の首長を通じて、名護市長・副市長への説得を依頼するよう指示しています。
これではスパイ映画そのものです。そして、沖縄県が日本国の一部であるという意識がまったく感じられません。
なぜ、守屋次官は焦ったのか。それはおそらく、自身の事務次官在任中に歴史に名を刻みたい、と考えたのでしょう。時を前後して、外務省にも日朝国交樹立を成し遂げようとして無理をした外務審議官が批判を浴びました。だったら政治家になったらどうなんでしょう。定年や次官在任期間いうのは彼らの個人的な事情に過ぎません。「三千年、いや四千年生きたい。しかし人は死ぬ。しかし国は生き続ける」ーー吉田茂はそういう考え方だったから、歴史に名を残しました。
守屋さんは選挙で選ばれた稲嶺沖縄県知事に対して「軍民共用案が決まっていたのに、あなたは7年間、何もしなかたじゃないか」と詰問し、稲嶺さんから「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。石垣空港もそうだったでしょう。あの時だってそれだけ年月がかかっても誰も困らなかった。今回はまだ7年です。たいしたことじゃないですか」と言われて、「呆れるしかなかった」と振り返っています。これは守屋さんが自分が防衛官僚として事務次官を退任するまでに、歴史に残る仕事をしたいという野心があり、時間の感覚がずれています。 自民党幹事長の中川秀直さんからは「防衛庁の進め方は早すぎる、沖縄時間でもっとゆっくりやるように」、先輩官僚であり財務省から会計検査院に転じていた伏屋和彦さんから「あまり焦らない。忍耐力がいる」とアドバイスを受けたとしています。ちなみに、沖縄県では、国と地主の軍用地の賃貸契約が20年間。1972年に契約し、20年間が2回過ぎて、ことし2012年に契約更新の時期を迎えています。
[写真]辺野古崎沖の海を見る筆者(宮崎信行)。看板は二見以北10区の会が設置したもの。沖縄県名護市、1998年5月。
4年間という異例の長い期間、事務次官を務めた守屋さん。彼のお父さんは宮城県塩竃市長や衆院議員の経験者で、守屋さんは東北大学から日本通運を経て防衛庁に入った変わり種です。その防衛庁にあこがれた背景と思われる記述が「はじめに」にあります。守屋さんは収監中であり、このブログに反論することは難しい。だから、私もなるべく筆致を丸めたい。しかし、私がどうしても抜き書きしたいのは、「はしがき」の次の記述です。
[引用はじめ]
(前略)仙台と石巻を結ぶ仙石線は、青のビロードが張られた座椅子の米軍専用車両と、板張りの座椅子の日本人専用車両とに分けられた。日本人女性が米兵に寄り添い米軍専用車両に乗っていたから、私は不思議に思い母にその理由を尋ね、母に叱られた思い出がある。
防衛庁に入って5年目の1975年3月、初めて沖縄を訪れた際、胸の奥にあった占領期の記憶が甦った。(略)
特に沖縄の基地問題を考える時、少年時代に見続けた占領下の光景がまざまざと立ち現れた。そのことを最初に記しておきたい。(後略)
[引用おわり]
仙石線は仙台と石巻がつながっていない状態は当分続きます。20年はかからないかもしれません。彼の故郷の駅は営業運転中ですが、仙台と石巻がつながらないインフラとなった「仙石線」。収監中に東日本大震災にあい、故郷の姿に何思う、守屋武昌受刑者。それは守屋さんの心の問題ではありません。我が国では、往々にして、組織が人を殺します。那覇防衛施設局は1972年5月15日、沖縄本土復帰のその日にできた組織です。沖縄のためでなく、市ヶ谷・六本木の防衛省・防衛庁の出先機関として、沖縄を監視してきたスパイエージェンー。国から県庁への環境アセスの提出に民間人を使う沖縄防衛局ですが、陸軍省は民間人を戦闘員にしたのですから、あまり驚きません。そういう沖縄の心の原点がまったく分かっていない防衛官僚。沖縄はこの40年間、本当に「日本国」だったのでしょうか。
野田佳彦総理は、ことし5月15日、沖縄の本土復帰40周年記念式典に出席します。時折しも、野田・岡田行革は、出先機関の大胆な統廃合を進めています。総理には、沖縄防衛局を廃止し、県庁、市役所や外務省に移管して欲しい、と私は考えます。
グローバリゼーションの相克としてローカリゼーションも進みます。宜野湾市も名護市も塩竃市も日本国であり、自治体です。「沖縄では大きな仕事は20年かかる」ーーならば2012年は「大きな仕事」のスタートにふさわしい年です。沖縄ではしっかりと見守る人がいますから、時間がかかっても何も問題ないでしょう。彼らは「沖縄の心を傷つけた」んじゃないんですよ、「沖縄の心の原点を知らない」のです。1945年4月1日の米軍の沖縄上陸に前後してどの場所で何があったか。その沖縄の心の原点を知る人を大事にしなければ、同じことを繰り返すばかりです。それがあまりにも分かっていない。いまこそ失敗の本質を断ち切るべき40年目の春です。
[お知らせ①]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。
アクセス数を稼ぐためにいたずらに煽ったり、しがらみの少ない本音の国会傍聴記をブログで今度とも伝えいきたいと考えています。
詳細は、次のリンク先でお読みいただけます。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
どうぞご協力ください。
[お知らせ②]
会員制ブログを設けております。
今後の政治日程 by 下町の太陽・宮崎信行
月840円(税込み)となります。最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。「レジまぐ」のシステムで提供しています。
クレジット払いのほか、「ポイント」を購入して、そのポイントを充ててお読みいただけます。
[お知らせおわり]
政府は2012年1月31日(火)午前8時からの閣議で「行政改革実行本部」(野田佳彦本部長、岡田克也本部長代行)を設置し、ただちに8時半から「第1回行革実行本部」を開催しました。このなかで、野田さんは「不退転の決意でやる」、岡田さんは「ちょっと乱暴なこともやる」と語りました。
岡田さんは午後3時からの記者会見で、「ちょっと乱暴なこともやる」発言の真意を問われると、「それは、見ていていただければと思います」と述べました。行革実行本部は後々、歴史家が議事録を読みたくなるようなものになるといいですね。
まあ、行政改革といっても、公務員制度改革です。橋本行革では、大臣が3人減りました。事務次官ポストは大幅に減りました。とはいえ、基本的には看板の掛け替えであり、郵政省職員は総務省移行後にかなり自主的に退職していますが、国家公務員が「クビ」「リストラ」になったわけではありません。
その辺で、尊敬する人物としてずっと「織田信長」を挙げている岡田副総理が「ちょっと乱暴なこともやる」ということで、不安な国家公務員もいるかもしれません。
さて、2012年2月1日(水)、第4次補正の基本的質疑が衆院予算委員会で行われました。平成23年度第4次補正予算(案)の審議が本格スタートです。
このなかで、私としてはとてもうれしい場面がありました。
第45回衆院選で神奈川4区の惜敗率で比例南関東ブロックから選出されている衆議院議員でみんなの党政調会長の浅尾慶一郎さんが質問に立ちました。社会保障と税の一体改革について、国税庁は法務局の商業登記のデータをすべて持っているが、日本年金機構(旧社会保険庁)はすべては持っていないとして、厚生年金保険料の徴収業務を国税庁あるいは「歳入庁」に移した方がいいという議論です。岡田副総理は「(みんなの党代表の)渡辺喜美さんが(先週金曜日の)本会議の代表質問で話していておもしろいと思った」と答弁。浅尾さんの改革提言を反映した場合の保険料と給付などについて「興味深いご指摘なので計算したい」と確約しました。
散会後、岡田さんと浅尾さんが2人で話し合う姿が、NHK国会中継で全国ネットで流れました。
これはうれしかったです。
実は、衆院解散から3日後の2009年7月24日、岡田さんは浅尾さんを民主党から除籍しています。これは解散当日の7月21日の両院議員総会で、党所属の前衆院議員と現参院議員から拍手で承認を受けて、常幹マターが鳩山由紀夫代表と岡田幹事長の2人に委任されていたから可能になったのです。
7月24日のたしか午後1時からの記者会見で、岡田さんは浅尾さんについて聞かれ、「国会議員の身分にかかわる問題ですから答えられません」と述べました。
「身分」とは「身の上」「境遇」という意味です(広辞苑)。
そのうえで、「浅尾議員は午後3時から記者会見をするという情報を得ている」として、懐から自身の日程表を取り出し、遊説日程を説明し、その後ならぶら下がり取材に応じられるかもしれないと示唆しました。
午後3時から、浅尾民主党参院議員は、記者会見し、第45回衆院選の神奈川4区にみんなの党公認で出馬することを発表します。
これに対して、岡田幹事長は次のように発表しました。
「民主党は24日、離党届を提出し、参議院議員を辞職して次期衆院選に神奈川第4区から立候補することを表明した浅尾慶一郎参議院議員に対し、党に提出された離党届を受理せず、党規約第33条および党倫理規則第4条にもとづき、本日付で除籍処分とした」
いやーこわいですねえ。解散後の事実上の総選挙(現代における“内戦”)中の岡田さんは、織田信長並みの鬼です。
発表文はもっとスゴイ書きぶりです。読むと震えが来ます。
「すでに衆議院は解散され、事実上の選挙戦に突入している。わが党は国民の期待に応えて政権交代を実現するため、すべての候補予定者、参議院議員、地方組織が一致結束して全力でたたかっているところである。その最中に、ネクスト防衛大臣の要職にある浅尾議員が、再三の説得にも応じず、身勝手な理由でわが党の公認候補予定者に対抗して立候補しようとしていることは、国民の期待を裏切る背信行為であり、党の倫理規範に反する許し難い反党行為である。党としてこれを看過することはできず、最も重い処分を講ずることが相当であると判断し、浅尾議員から提出された離党届を受理せず、党規約第33条および党倫理規則第4条にもとづき、本日付で除籍処分とする」
ただし、最後に次の一文を原理主義者として付け加えています。
「なお、本処分は、解散後の常任幹事会決定事項が代表、幹事長に一任されていることにもとづく決定であり、倫理委員会への諮問については、党倫理規則第6条にもとづき、総選挙後に行うこととする」
ところが、岡田幹事長は総選挙勝利後に鳩山代表から解任され、小沢一郎代表代行に幹事長の座を奪われましたので、浅尾さんの倫理委員会への諮問というのは引き継がれなかったように思います。
浅尾さんは第41回衆院選に新進党公認で神奈川4区(鎌倉市、横浜市栄区など)から出馬し、落選しています。その後、翌々年の参院選神奈川選挙区(定数3)に「民主党公認・公明党推薦」で立候補し、当選しました。「民主党公認・公明党推薦」の組み合わせによる国政選挙の構図、第18回参院選の浅尾候補しか例がないのでは。参院議員になった後も、県人口の4割が集中する横浜市ではなく、鎌倉市に事務所を持っていたようです。第45回衆院選が歴史的な選挙になることに気付いていた浅尾さんは、小沢一郎代表(当時)に何度も働きかけますが、公認を得られませんでした。私は個人的には浅尾さんの方が良い候補者だと考えていました。この辺の私の心持ちは、浅尾さんが即日除籍になった後の次のエントリーに書きました。
浅尾慶一郎さん除籍 神奈川4区院替え出馬に関する私見
浅尾さんは強行出馬し、比例復活で当選しました。こういうことはこれからもあるでしょう。それが小選挙区です。政権交代ある政治という大義のもとには、こういうことがあるのはやむを得ません。
浅尾さんは、政権交代ある二大政党政治の下、ギリギリの判断で民主党に離党届を出して、衆院に出ました。それは大義ある行動です。
ちなみに、浅尾さんは岡田さんが初めて代表選に出馬したときの推薦人の1人です。
きょうはハッキリした場面が他にもありました。千葉7区比例の自民党の斎藤健さんを野田総理も岡田副総理も褒めました。これは千葉7区の対抗馬が新党きづな代表の内山晃さんだからでしょう。斎藤さんは媒酌人の関係や、埼玉県副知事(上田清知事の下の副知事)の関係から広い意味での羽田ファミリーという意識が強いと考えます。通産省の先輩後輩というのはあまり関係ないでしょう。こういうところで、民主党と自民党に羽田ファミリーが割れているのは、政治がスムーズになることもあるでしょう。党が違えども、我ら羽田ファミリー。
一方、三重4区比例の自民党の田村憲久さんの質問中は、岡田さんは田村さんを激しく批判しました。これは昨年8月の代表選で、野田陣営の総決起集会で、三重4区の森本哲生さんが「実は今回の代表選は違う人を応援していましたが、ある方から電話が来て、とても良い候補者なんだ、応援してほしいと言われここに来ました。こんな良い候補者が自分の党にいることに今まで気付かなくて恥ずかしいけれども、何とか間に合いました。これも天命なのかなと思っています」と演説し、野田さんの代表・総理当選を決定づけた。その森本さんの対抗馬だからという意識もあるでしょう。友の敵は、自分の敵。
そして、公明党の石井啓一さんの公文書管理の考え方について、岡田さんは「ご指摘は多くの部分で共感します」と語りました。新進党仲間だし、ねじれ参議院のカギとなる公明党政調会長です。
このように、ツンツン、デレデレのツンデレぶりで、難しいかも知れません。民主政治、小選挙区二大政党制といった大義を守っていれば、そのときの状況で、友になったり、敵になったりしながら、国論を動かしていく。それが国益になる。自分たちは国民に選択肢を示すための「役者」に過ぎない。こういう考え方は野田政権の主要メンバーでは絶対的です。だから、15年間野党でもがんばって当選し続けられたのです。
最近は国民の敵のように言われる、国家公務員にも、国家国益のためにがんばっている人はいっぱいいます。例え、給与や共済年金が減っても、野田・岡田行革で公務員制度改革をやれば、自由な時間が増えたり、本人の意思で他省や自治体で働けるような制度をつくる絶好のチャンスです。もちろん、実力者、例えば浅尾さんは自力で高い惜敗率を獲得したし、英語は岡田さんよりかなり上手い。そういった実力がある人が有利になるかも知れません。しかし、がんばれる人が先頭に立つことで、オール日本で生き残りを図る時代です。
恐れずに、国民を裏切らなければ大丈夫でしょう。国家公務員は攻めることで自分の地位を守る時代になったことを自覚してください。
[お知らせ①]
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アクセス数を稼ぐためにいたずらに煽ったり、しがらみの少ない本音の国会傍聴記をブログで今度とも伝えいきたいと考えています。
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