[画像]10日付インターネット官報からスクリーンショットして、トリミング。
天皇陛下は詔書を発せられ、第48回衆院選を公示されました。
「日本国憲法7条、同54条、公選法31条にもとづく、衆議院議員総選挙は、平成29年2017年10月22日(日)に施行する」と、陛下(平成の天皇、明仁さま)とし、第3次安倍晋三首相(自民党)が副署しました。
さきほど、平成29年2017年10月10日(火)午前8時30分にインターネット官報に載りました。
詔書にはありませんが、最高裁判所裁判官国民審査も行われます。
私はてっきり二大政党対決型となるかと思いきや、新聞各紙は、「自民党及び公明党の与党」「希望の党及び維新」「立憲民主党及び共産党と社民党」の3極対決だとしています。3極とは別に、野党各党の接着剤、無所属の「岡田克也ネットワーク」がキャスティングボートを握ることになりそうです。岡田ネットは、公選法にもとづく選挙期間中の報道からはやや漏れるかもしれませんが、投票日以降浮上しそうです。
ちなみに希望の党の小選挙区公認候補は、摩訶不思議、閣僚経験者が5名しかいないようです(1次公認)。
全289選挙区のうち200選挙区が3極対決に。比例代表とあわせて、定数465のうち過半数233議席を争うたたかいになります。
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[画像]国政情報センターさんの「国会議員要覧平成2年2月版」から、左は佐田玄一郎さん=64ページ=、右は岡田克也さん=106ページ=、筆者・宮崎信行がキャプチャー。
「経世会・30歳代で初当選の2人組。
連続当選9回で、佐田玄一郎さんが脱落しました。
もちろん、今後の復帰は有りますが、あす公示の第48回衆院選には立候補しないことになりました。
1990年2月。竹下登さん、金丸信さん、小沢一郎さんが牛耳る自民党最大派閥、泣く子も黙る経世会。バブル期とともに権力の頂点にあった経世会ですが、1990年は、前年参院選の「おたかさんマドンナブーム」に乗る、最大野党日本社会党の土井たかこ党首が強敵となりました。
そこで、海部俊樹首相・総裁を支える、小沢一郎自民党幹事長は、非世襲の若手をスカウトしました。このため、1990年初当選の自民党議員は、選挙で勝てる、県会議長経験者などが多い傾向があります。そのため平均年齢が高い。
ところが、この泣く子も黙る経世会で、30歳代、非世襲で初当選した人が2人います。1人は佐田玄一郎さん(1952年12月22日生まれ)、もう1人が岡田克也さん(1953年7月14日生まれ)です。すでに30代後半ですが、当時の衆議院では、岡田さんは12番目に若く、佐田さんは18番目に若かったようです。ともに、県会議長ではないけれども、地元経済界の閨閥ということでスカウトされたと思いますが、さすがに中選挙区の中で一番下の、自民党公認では一番下での初当選でした。
「経世会・30歳代・非世襲」--これは今の政界ではたとえようがない、「シンジロウ」どころでないスーパースターであり、二階から竹馬に乗って出てきたような議員です。
それから、27年。両者とも連続当選9回。ずっと自民党にいた佐田さんは、岡田さんより5年早く大臣になり、衆議院議院運営委員長を2回つとめました。一方の岡田さんは、政務次官すら経験しないまま19年が経ちましたが、その後、外務大臣、副総理として、入閣回数も佐田さんを抜きました。
あす公示される、第48回衆院選に佐田さんが立候補を断念。今回に限っては立候補を見送ることになりました。前々から、清和会所属の参議院議員が佐田おろしをブログでも展開し、清和会閣僚経験者の娘(前職比例議員)が小選挙区から出ることになりました。中曽根派の新人は比例単独となりました。経世会の黄昏。
もともと、意識していましたが、公示日の直前のニュースとなり、あわてて調べているので、冒頭の岡田さんの写真も少し曲がっていますが、岡田さんはたまには曲がってもらった方が良いとして、こういう時が来ました。
私は日経新聞政治部で、小渕恵三総理候補番記者というのをやった1週間があり、その時、3期生の佐田先生が、外務省の小渕大臣室に来て、記者の囲み取材に応じ、「この後、村に帰る」と言いました。私は長くやっていますが、派閥または派閥事務所を「ムラ」と呼んだ先生は、この時の佐田先生が唯一で、私は「ムラと呼ぶ議員本当にいるんだな」と感じました。この後の小渕首相が経世会最後の総理となりました。
これに先立つ、佐田さんは、橋本龍太郎首相・総裁の「総裁担当副幹事長」というのもやっていました。これは、他派閥の先輩と2人組で、総理にも必ず2人組で会い、党本部との連絡をしました。執務室から出てきた佐田さんと先輩議員の2人を取り囲んだところ「この話は、(梶山静六)官房長官のお耳に入れた方がいいんじゃないかな」「アポ取ってないけど、とりあえず行ってみるか」と官房長官室に向かいました。この1人では総理とあわせない、「総裁担当副幹事長」という自民党のシステムのすごさ。それと、総理も官房長官もみんな経世会だった時代です。
いう間も出なく、岡田さんは2期目の途中からは野党暮らし。ただ、野党・民主党結党にあたっての、懇談会のようなものがあっても、岡田さんの周りには、私よりも先輩の記者がいて、なかなか、そちらの机に移れずに、枝野幸男さんや北橋健治さんとお話しする、というシーンも経験しました。まさに、下野しても岡田さんは二階から竹馬に乗っていたのです。遠い昔の物語。
21世紀になりました。もはや経世会の栄華はかけらもありません。
たまたま見た光景は、社会保障と税の一体改革法を、担当大臣兼副総理として衆議院通過を迎えた岡田さんが、議員会館内で、佐田さんと遭遇。がっちり握手して、通り過ぎて行った姿を見ました。その年の暮れから、佐田さんが与党になりましたが、活躍の場はありませんでした。
佐田さんの9期27年、「ピンクエレファント」とか、国会外での噂もいろいろ出ました。ただ、野党時代に、赤坂で、数少ない経世会(平成研究会)の後輩の元職を、気づかって、食事し、叱咤激励して、赤坂議員宿舎に引き上げる姿を見ました。自民党経世会とともに、黄昏を迎えたというところのようです。
とにかくあわてて書いていますので、事実関係は違うかもしれませんが、野党・岡田さんは、あす公示の第48回衆院選で、無所属として、二大政党再編にのぞみます。当選すれば、言うまでもなく、10回、二けたになります。
佐田さんが出馬を模索した衆議院群馬第1区の立候補者について、2017年10月10日から22日までに当ブログをご覧になる方は、群馬県選挙管理委員会のホームページで、立候補者を確認していただければ幸いです。
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[写真]資料写真、岡田克也さん、江田憲司さん、安住淳さんら、岡田さんの所属政党の幹部会合、党本部内で、2017年、宮崎信行撮影。
岡田克也さんは、平成29年2017年10月8日(日)、三重県都の津で、記者会見。あさって公示の第48回衆院選で、民進党出身で立候補する、「無所属」の前職約20名。岡田克也事務所が「党本部」となり、情報共有、相互支援する「岡田ネットワーク」(仮称)を立ち上げたことを明らかにしました。時事通信などの報道を、岡田さんの公式SNSがシェアしました。岡田公式SNSの既存メディア報道引用は異例。(gooニュース=時事通信=民進の無所属組、衆院選連携へ=岡田氏中心、約20人【17衆院選】)
このため、年齢と期数が下なのに経歴に限れば格上の野田佳彦元総理、外様大名の江田憲司さん、側近の安住淳元財務相、中川正春さんら。
報道では、岡田さんは
「党の支援がない分、個人的なネットワークで助け合っていく」、
「(分散した野党を)しっかりと一つにしていく接着剤、中軸としての役割を無所属議員が果たしていきたい」、
「これからの野党、大きな固まりをつくっていくことを見据えて良い人材をたくさん残したい」
と語ったようです。
岡田ネットワークは、希望の党、立憲民主党の候補者も応援。
選挙後の野党結集の主導権を握りたい考え。岡田さんは「第48回衆院選で150議席をとれば、その次で一気に政権交代(233)できる」との考えを以前から示しており、「第48回衆院選での安倍倒し」は難しいとの認識を持っています。
岡田事務所は、政策・公設秘書、後援会、政党総支部の3つをあわせて、国会事務所が4名、地元事務所がおよそ20名。野党暮らしが長いのに、屈指の重厚な布陣。これは、世間は「イオンマネー」」と思うでしょうが、実際には、通産省(資源エネ庁石油部含む)出身の元竹下派として築いた全国後援会と地元(四日市工業地帯)で、「前年踏襲でご協力ください」と依頼している者が中心。先代から引き継いだ初期のスタッフの一部は県議に転じていますが、岡田さんが採用するようになって以降のスタッフは、9割以上が勤続10年以上。震災NPO事務局長、在外大使館現地採用職員に転じた人もいますが、「超ホワイト企業」。阿吽の呼吸がきく軍団です。
大混乱の第48回衆院選ですが、私も当然ながら、岡田ネットワークを全面的に支持。その一員として、ふんばっていきます。それこそ、殺されてでも支持者として、まあ別に今回の選挙はたいして危ない選挙ではありませんが、大混乱、大乱世です。1000年先まで日本の未来に、政権交代ある二大政党政治を残すんだ。揺るぎなき信念で、闘ってまいります!今回の選挙は、ちょっと引いた視線も持ちながらね。私と個人的に親しい候補者に申し上げたいのは、無所属・希望の党・立憲民主党とも、前職が確実に議席を維持することに専心させていただきたい。
それとこれは、思い半分位の私見ですが、殿(岡田さん)が応援演説先に陣中見舞い5万円位包んでいったり、平常時も毎月1万円でも振り込み続ければ、総理はもっと近いと思います。いかんせん、本人がそういうことは絶対しない。長老にアドバイスされてもしない。岡田ネットには、小選挙区当選の経験がない1回生が、私が把握する限り3人以上います。武士は食わねど高楊枝と言いますが、霞を食ってたたかえません。ちょっとだけ、殿にも、君子豹変していただきたい感想も、私個人の半分くらいの思いとして、持ち始めています。
【追記 9日午前7時10分】
NHKニュースおはよう日本は、岡田ネットワークの設立について、報道しました。トップニュースで「あす公示1000人余り出馬予定」「前日の日本記者クラブ8党首討論会」に続いて、この動きを、7時4分頃に報じました。
[画像]「岡田ネットワーク」を報じる、NHKニュースおはよう日本、2017年10月9日午前7時4分頃、ワンセグ放送画面から宮崎信行がスクリーンショット。
【追記終わり】
(C)2017年、宮崎信行。
所有物をアップするのは、あまり趣味ではありせんが、今週、注文していた、英国庶民院議員要覧の2017年版が届きました。
THE TIMES GUIDE TO THE HOUSE OF COMMONS 2017で、1880年から発行しているとのこと。私の手元には、1997年、2000年、2005年、2010年、2015年、2017年の6回の総選挙分がそろいました。ちょうど日本で言うところの、平成6年政治改革4法が出来てからの、英国の総選挙分はそろえたことになります。メイ首相(保守党首)は意外と期数が若く、1997年初当選です。下野時に当選したので野党が13年間で政権交代とともに内相として初入閣わずか6年後には保守党首に当選して速やかに首相になったことになります。
この20年間で英国の政権交代は、1997年の労働党、2010年の保守党の2回のみです。我が国では、2009年の民主党、2012年の自民党の2回となります。今世紀では、英国1回、日本2回となります。
70年経ってまたアングロサクソンの勝利です。米連邦準備制度理事会と、英国イングランド銀行は、自国通貨切り下げすなわち量的緩和をまったくしていません。ところが、欧州中央銀行をはじめとする世界中の中央銀行は量的緩和を手仕舞いできない状態になっており、最悪の現状が我が国日本銀行(BOJ)です。ですから、私は安全保障と金融の不安定さのもと、野党第1党は、そのまま、岡田克也ネクスト総理でやっていれば、数回のうちに政権交代できるのではないかとにらんでいましたが、この1週間で、そういうことは難しくなりました。
安倍政権を打倒すると連呼するだけでは、政権交代しても、マニフェストに書き込み過ぎた鳩山・菅・野田内閣未満にしかなりません。
ぜひ、もう少し長期的視点で、政治をやり、見るようにしたいものです。
(c)2017年、宮崎信行。
インターネットの時代。「知ってて書かない政治部」も時代の変化に迫られています。
私は、2012年1月13日の内閣改造で、閣外に出る中川正春文部科学大臣が、2012年2月10日の復興庁設置法の付則の施行により閣僚ポスト1人増により再入閣することを知っていたんですが、書きませんでした。ところが、2月10日になると、岡田克也さんに近い、与党・民主党国会議員までが「だまされた」という趣旨のことを言っていて、その話はお蔵入りにしました。
まあ、上の段落の話は、どうでもいいとして、インターネットの時代では、知ってて書かずに、ここぞ、という時に書くと、後で、騙された感が強くなってしまうようです。
私がきのう、取材した次の内容は、既に産経新聞さんの電子版の「記者会見詳報」で、最初のページから6回クリック、7回クリックすると出てくる内容です。ただ、解散後、公示前の今の時期にそれをていねいに読んでいる当事者も少ないでしょう。
民進党の残余財産は保全されるのかと民進党代表に聞いてみた20171005
ゆうべの段階では発信に悩んだのですが、きょう、玄葉光一郎さんが無所属での第48回衆院選出馬を発表しました。玄葉さんの涙が、さきほどの報道ステーションで流れました。当代一流の役者です。すでに、岡田克也さん、安住淳さん、中川正春さんらも、無所属でたたかうことが決まっています。
なによりも、民進党出身の、前原誠司さん、枝野幸男さん、岡田さん、玄葉さん、安住さん、中川さんらの確実な議席継続を願っています。誰のせいか、は別として、政策もへったくれもない第48回衆院選です。とにかく、前職に議席を維持していただきたい。
そして、10月22日(日)から何が始まるか。そのヒントは動画にあります。岡田さん、玄葉さん、安住さん、中川さんらは、離党していないので、今も、その時も、民進党員なのです。もちろん既に離党した先生も、2000万円振り込まれたからそれでいいでしょ?
羽田孜先生の四十九日もすまないうちの第48回衆院選。政権交代可能な二大政党政治のスタートは、私にとっては、10月22日からなのです。共産党さんの躍進にも期待!
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[画像]政治改革法案をめぐって、とっくみあいになった、亀井静香さん(左)と岡田克也さん(右)、1993年6月15日、自民党本部6階、岡田かつや後援会「岡田克也の歩み」から。
亀井静香さんが、政界引退を表明しました。
亀井静香さんは、きょう平成29年2017年10月5日(木)、地元で記者会見し、第48回衆院選(来週火曜日公示)に出馬せず、引退すると表明しました。
亀井静香さんは、平成4年1993年6月、政治改革法案の廃案を決める臨時総務会に出席。反対する清和会の亀井さんと、廃案を阻止しようとする、自民党羽田派(改革フォーラム21)の1期生、岡田克也さんと取っ組み合いになりました。このときは、亀井さんや小泉純一郎さんらが反対して、政治改革は成就せず。
解散総選挙で成立した、細川・羽田内閣で、平成6年政治改革4法として、現在まで続く、衆議院での小選挙区比例代表並立制が決定。その通常国会で、野党・自民党の広報本部長として、衆議院予算委員会で、池田大作名誉会長率いる宗教法人・創価学会が、細川・羽田内閣をマインドコントロールしているという趣旨の情報を流し、その後、政権が倒れる火種を起こしました。
その後、超党派の死刑廃止議員連盟会長として行動していたところ、2002年、最大野党の岡田克也政調会長から、「死刑廃止ではなく、亀井静香さんを死刑にすればいい」と冗談で交わされました。
2009年には、鳩山由紀夫首相が、日本を代表する政治家になった岡田さんを主要ポストに置く、「岡田克也外相・亀井静香防衛相」内閣を構想。これには、ある関係者から反発があり、亀井さんは内閣府大臣に回りました。
◇
羽田孜先生の四十九日が過ぎないうちに、宿敵・亀井静香さんが引退となりました。
ところで、岡田克也さんは民進党解党結党後も、民進党に「離党届を出していないし、これからも届を出す考えは毛頭ない」(事務所)としています。10月22日の総選挙後に、民進党の残余財産について、党員として、一定の影響力を発揮することが期待されます。
この件については、また改めて。
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[画像]安倍晋三首相・自民党総裁、2017年10月4日、茨城県つくば市、宮崎信行撮影。
民進党が黒字倒産しちゃったので、さきほど、茨城県つくば市(茨城6区)の街頭演説会に行って来ました。
安倍晋三首相(自民党総裁)が能天気にハイタッチを繰り広げました。
私もハイタッチしたので、総理に、
「総理、寒くなるから気を付けてください、寒いから」
と声をかけると、軽くあしらわれてしまいました。塩反応でした。
【安倍晋三】私・宮崎信行が「寒くなるから気を付けてください」と声をかけたみた、その驚きの反応とは? 20171004 宮崎信行 撮影
【安倍晋三】私・宮崎信行が「寒くなるから気を付けてください」と声をかけたみた、その驚きの反応とは? (ロングバージョン)20171004 宮崎信行 撮影
第48回衆院選は、いよいよ、来週10月10日(火)公示になります。
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[写真]玄葉光一郎さん、2013年8月、国会内で、筆者・宮崎信行撮影。
情報が混乱したら、整理して、このエントリーは閉じるかもしれませんげ、
玄葉光一郎さんは、希望の党の第1次公認から外れました。
玄葉さんは、きょう、平成29年2017年10月3日(火)午後4時からの記者会見で、希望の党の第1次公認を発表するなか、自らはリストから外れました。この理由を、全国での、(旧)民進党と希望の党の調整をしているからだとし、すべて終わってから態度を明らかにするとしました。
玄葉光一郎さんと毎週情報連絡会議(通称・コーヒー会議)をする、盟友である、岡田克也さん、安住淳さん、中川正春さんら「岡田グループ」(筆者宮崎信行が命名)が、全員無所属でたたかうことが出てきました。同グループにはもう1人衆議院議員がいます。
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岡田克也・野田佳彦・安住淳・江田憲司・平野博文ら無所属グループで出馬、希望の党・立憲民主党・社民党・自由党・共産党に野党分裂
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また福島県連で、1区の金子恵美さんも現時点では外れており、同日、無所属での立候補を発表。金子さんは前回は比例復活。
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(C)2017年、宮崎信行。
[写真]左から、岡田克也さん、江田憲司さん、安住淳さん、野田佳彦さん、平野博文さん、平野さんは衆議院インターネット審議中継からスクリーンショット。
岡田克也さん、野田佳彦さん、安住淳さん、平野博文さん、江田憲司さんらは、第48回衆院選を無所属でたたかうことになりました。
民進党は2日、総支部長全員に1500万円を送金。金庫のお金をとりあえずは、平等にスリム化したといえます。
枝野幸男さんが立憲民主党を結党し、代表に就任。これで、野党は、希望の党、民進党、立憲民主党、社民党、自由党、共産党に分裂しました。自由党の小沢一郎さんも、衆院選の小選挙区に候補者を擁立せず、無所属で出馬する公算が高くなっています。
平野博文さんは、前回惜敗率83%で復活しており、無所属のたたかいは楽ではありません。
岡田さん、野田さん、安住さん、平野さん、江田さんらが、第48回衆院選で議席を得た場合は、無所属グループとして、野党再編のキーマンになりそうです。会派には、立法事務費月65万円が支払われます。民進党では、2003年当時の岡田幹事長提案で、全額、党本部に上納されていました。
10月22日以降、さっそく、金庫の取り合いになることが予想されており、再来年の統一地方選、参院選まで、動揺が収まらない公算もあります。投票日2日前にも交付され、その後再計算になるでしょうから、民進党の「お金をめぐる冒険」は、新進党を上回る金額の争いになります。
立憲民主党については、日経新聞や産経新聞の社説がリベラル結集により政策軸が分かりやすくなったと歓迎。一方、岡田さんは「保守とリベラルが共存した政党による二大政党制」が現実的だとの考え方を示しています。
自民党系無所属の当選者はほぼ全員が同党に追加公認になる見通しで、中村喜四郎さんらが中心になりそうです。
(現)野党系無所属グループの動きが注目されることになりそうです。
(C)2017年、宮崎信行。
「宮崎信行の今後の政治日程」は、この後、午前9時10分に最新版を公開します。
まもなく衆院選ですが、再来年の4月に統一地方選、7月に参院選があることをご存じでしょうか?そこまで余裕が無いという人がほとんどでしょうが、政党組織の再編に関しては、そこまでが目安になるでしょう。やや時間があるという気がしなくもなりません。
過去の分は、思い切って、通常国会最終盤の共謀罪法成立以降に、バッサリ切っています。
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(C)2017年、宮崎信行。
岡田克也さんの平成最後の衆院選は、無所属となりました。
岡田さんは、衆議院解散と民進党解党決定の週から明けた、平成29年2017年10月2日(月)午後、新・三重3区で、無所属と立候補すると発表しました。
前回衆院選時のネクスト首相は海江田万里さんで、その後を岡田さんが引き継ぎ、首班指名で2位となりました。しかし、次の衆院選よりも前に引きずりおろされてしまいました。
岡田さんは
「私は、政権交代可能な政治を目指して、25年以上、その信念を貫いてきました。野党陣営は今、混乱しています。希望の党が、自民党に変わり得る政党の最終的な姿とは思っていません。短い混乱期を経て、本当の意味で、自民党に対抗できる野党を立ち上げる、そのことによって、政権交代可能な政治を実現すること、これが、私の見据える目標です」
と語りました。
第48回衆院選は、10月22日(日)の投開票後から、民進党、希望の党、立憲民主党の間で、血で血を洗う、お金をめぐる冒険が起きるのは確実。
とりあえずは、2019年7月の第25回参院選までの収束をめざすことになりそうです。
忘れらていますが、2009年政権交代のときの、最大野党幹事長は岡田さんです。この選挙では、幹部はだれも「二大政党」という言葉は使いませんでした。8年経って、二大政党、二大政党という言葉が出てくるだけでも、私にとっては前進です。政権交代ある二大政党の航路は前途洋洋だと考えます。
上の2009年6月28日の私宮崎信行が撮影した動画でもわかる通り、ダメになったらまた政権交代する政治は、当たり前の民主主義です。当時「民主党政権は30年続く」といった国会対策委員長は3年3カ月後に自分が消えました。もう少し長い視野で、二大政党をつくっていく気構えが必要です。
2017年、宮崎信行。
今まで気づかなかったけど、この場所は、撮影できるんです。
意外にも、元気な民新党本部。「持つ者の強さ」。
この写真があるからといって雰囲気ものですので、この後、特段の情報はないでしょう。
午後5時からは、港区内のホテルで、枝野幸男さんの記者会見です。
2017年、宮崎信行。
「そのためには、100以上の勢力が2つ以上、しっかりとチェックしあうことがスタートです」
これは、5年前の年末の、私・宮崎信行の言葉です
(参照エントリー
靖国神社に昇殿参拝してきました 民主党「100」で国を守る誓い、英霊に 但し松岡・東条ら除く
=この記事の末尾に全文掲載)
私は、与党・自民党が250議席前後、野党・民主党が100議席以上を確保することで、第46期衆議院が安定するのではないかと説きました。
結果は、なんと与党・民主党は56議席(議席占有率12%)まで叩き込まれ、下野しました。
私は日本人の大山鳴動さ、陰湿さに驚愕と恐怖を覚えました。
1941年の太平洋戦争勃発時と比べて、日本は国土面積が0・8倍、人口が1・4倍であり、人口密度は1・6倍。日本の閉鎖性、陰湿さも1・6倍になったとみるべき。こちら東京では年間2000本のアダルトビデオ(AV)が製作されているそうです。私なんかだと、「年2000本も供給したら単価が下がるな。年間10本なら、単価10万円で売れるのにな。いつの時代でもいる、露出狂で借金漬けの女とやくざが勝手にホテルで撮って売って、生活再建できるのに」と思ってしまいます。
また、白人の国民は少なく、有色人種の国民が99%を占める構成は変わりませんから、白人の脳と比べて明らかに小さい日本人の脳では、千里眼を持ち得ません。
先月29日付朝日の投稿欄では、千葉県の18歳女性高校生が、「いよいよ総選挙だ。18歳になったばかりの私には初の選挙」としていましたが、「投票権を与えたのなら、それが行使しやすい条件を整えるべきではないだろうか」と主張しました。その前日、28日付読売では、新潟県の無職の団塊の世代男性が「私たち有権者は、立候補者をよく見て、議員としてふさわしい人を選ばなければならない責任がある」とし、「選挙期間中、じっくりと考え、正しい選択をしなければならない」としました。私は「じっくり考えて」も何も生まれないし、「正しい選択」は勝ち馬に乗ることになるのではないかと考えます。30日付朝日では、20歳の静岡県の男性大学生が「黙って口を開けていれば自分の好みの政党が現れるとでも思っているのか、我々有権者が政治家を、政党を育て、国民の声を国会に届けるという考えをどうしてもてないのか」としています。
我が党の党員・サポーター仲間では、「年6000円の党費は払えないので、年2000円のサポーターにしかなれない」と嘆く人もいます。我が党は、党員でもサポーターでも、権利は全く同じなんです。党員だけ機関紙(月2回)が無料で郵送されてくるという「特権」しかありません。すなわち、応能負担が可能にしているだけで、サポーター費2000円おおむね、党本部に1000円弱、総支部に500円強
の貢献をしていることになります。では、野党を叩くあなたは、きょねん二大政党にいくら貢献したのか?
野党を叩いて溜飲を下げ、話を聞いてくれない。にやにやしながら、スマホで、野党の悪口を掲示板に書き込む。日本人の陰湿さは何も変わらないのであって、この先の、未来は大政翼賛会と同様の未来しかないのです。ABCD包囲網で日本が封じ込められているのではなく、米中露日韓包囲網で北朝鮮が封じ込められているという国際環境しか違わないのです。ただ、後者の方が、長引くかもしれませんね。
このエントリー記事の本文は以上で、後は過去記事のコピペで、このエントリーは終わります。
[当ブログ内エントリーから全文引用はじめ]
[写真]雨の靖国神社大鳥居(第1鳥居)、2012年12月15日(土)午後、筆者撮影。
きょうは靖国神社に昇殿参拝してきました。筆者の昇殿参拝は1998年1月1日以来14年ぶりでした。ですから、1998年4月の我が党立党以来初めてということになりました。
政権交代ある二大政党政治をめざしてきて、最大のピンチ、存亡の危機が迫ってきて、何をしたらいいのか分からないのですが、とにかく心残りがないようにと考え、今自分がすべきことを判断し、行動しました。
先月、おじ(父方だけど苗字が違い血縁関係はない)が大往生しました。おじは、農学校を出た後、80年前の関東大震災・昭和・世界恐慌のころ、どういうゆかりか分かりませんが、大阪府警の巡査をしていたことがあるそうです。そこで応召。日本領中国大陸に渡り陸軍憲兵隊に。15年戦争は、太平洋戦争になり、昭和21年10月に復員しました。この間、おじは砲弾が太ももに入り、傷痍軍人となりました。外地にいたこともあり、恩給生活ということもあり、公に奉じようという意識が強かったようで、長野県更埴市議会議長(千曲市に合併)をつとめました。おじが靖国の神霊にあたるのか、あるいは先月亡くなったばかりで招魂されているのかはよく分からないのですが。靖国神社はお願いするところではなく、お誓いするところだという考えが私にはあり、二大政党政治を守り抜く決意で、国家の存続をお誓いしようというのがきょうのイチバンの趣旨でした。ちなみに、英国では野党第1党は「女王陛下の反対党」と呼ばれています。先の大戦では日本でいう衆議院本会議場が敵国に焼かれるところまで追い込まれましたが、チャーチル首相(保守党党首)が国を守り抜きました。しかし勝利直後に解散に打って出て、見え見えの策略を国民に見抜かれ、下野してしまいました。しかし、英雄だけに、再び保守党は政権交代を果たし、第2次チャーチル内閣が発足。英国での首相返り咲きはこれが最後となりますが、この内閣で、エリザベス女王陛下の戴冠式を迎えたのは、みなさんよくご存じの通り。
しかし、この靖国神社は、247万柱の多くを死に追いやった、松岡洋右元外相、東条英機元首相らが合祀されてしまっています。彼らは英霊を死に追いやった悪人であり、これはいびつなことです。
新しい参集殿で申込み、神様の前に出ました。ひんやりとおごそかな気持ち。まず松岡を心から排除しようとしましたが、そもそも松岡の顔を知らないので、思い浮かびません。その一方で、心の底から英霊にお誓いするわけですが、顔を知りませんので、現在祀られているかどうか分かりませんが、おじの生前の顔を想像させていただきました。やがて玉串を捧げました。2礼2拍手1礼。しかし、おじの顔を思い浮かべながらも、東条、板垣らは排除するという心の葛藤はけっこう疲れて、最後には東条の顔だらけになって、泣いてしまいました。東条が憎い、東条が憎い、東条が憎い。
とはいえ、民主党「100」で、バックアップ政党として、二大政党政治をしっかりと続けて、この国、みたまをお守りするという決意は、私の心の中で、お誓い申し上げることができたと私は認識しています。
[写真]参拝前に第2鳥居の前で筆者。
冒頭に書いたとおり、筆者の昇殿参拝は1998年1月1日午後以来14年ぶりでした。その前年の8月15日にも拝殿参拝しています。1998年4月の民主党立党以来初めての参拝となりました。なぜこれだけご無沙汰してしまったかというと、1998年秋から3年半、横浜支局に異動・転居していたことと、その後東京本社でも多忙を極めて、イラク戦争開戦当日(2003年3月20日)から2年半にわたり編集局長付き休職となり、郵政選挙の1週間後に休職期間満了退職。 その後も療養し、このブログを立ち上がるまで回復したのが2007年8月4日(逆転の夏のあとの最初の臨時国会召集日)でした。
その前年2006年7月に昭和天皇が松岡洋右や、その他A級戦犯(東条英機ら)が合祀されたことに怒り、靖国神社にご親拝(参拝)されなくなったとの「富田メモ」が日経新聞で報道され、新聞協会賞を受賞しました。私は初めは半信半疑でしたが、どうやらその通りで、きょう、展示施設「遊就館」のなかに、「昭和50年を最後に現在まで天皇陛下のご親拝は行われていない」とハッキリ書いてありました。それなのに、昭和天皇の親拝風景の絵や、天皇・皇后両陛下の東宮時代の昭和44年の参拝、東宮殿下の皇太孫時代の写真などが展示されていました。しかし平成になってからも、「靖国神社遷座祭」に陛下がご出席になられていますが、ご親拝はなく、やはり昭和天皇を利用し、多くの日本人を死に追いやった、松岡・東条らA級戦犯の合祀を問題視しているのだと考えます。
繰り返しますが、東条は英霊を死に追いやった人殺しです。ところが、展示施設「遊就館」のご遺影のパネル番号22の10列の7段目に「東條英機命 昭和23年12月23日 東京都巣鴨拘置所で法務死」とあるではないですか。他は「戦死」「戦病死」「公務死」はありますが、「法務死」は他に戦後の東南アジア各国であるようですが、日本国内で法務死。また、ご遺影にはないようですが、松岡はA級戦犯ですが、病死です。なお、パネル番号20の5列の8段目には日露戦争の英雄「軍神広瀬」こと広瀬武夫中佐のお写真がありました。
これについては第163回特別国会の野田佳彦・衆議院議員の質問主意書で「昭和二十七年五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈について変更が通達された。これによって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなった。さらに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部が改正され、戦犯としての拘留逮捕者を「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給することとなった。これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが、現在の政府の見解はどうか」などと質問。
自民党の小泉内閣は「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と断言。すなわち、東京裁判(極東国際軍事裁判)における戦犯は日本国内法における犯罪者ではないことになります。そのうえで小泉内閣は「お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない」と答弁しています。すなわち、東条らは国内法における犯罪者でなく、その名誉を回復している措置もとられていません。そして、戦死もしていません。ですから、靖国神社に祀られていることは、私はあり得ないと考えます。答弁書は「靖国神社の行う合祀は、宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としては、合祀についていかなる問題があるのかお答えする立場にない」としています。
なお、野田さんが民主党代表になった当日のエントリーでもこのことは書いています。
[当ブログ内から引用はじめ]
2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。
郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。
そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。
これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。
すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。
[当ブログ内から引用おわり]
またマスコミ報道を受けて、菅内閣から野田内閣の引き継ぎのエントリーでも次のように書いています。
[当ブログ内から引用はじめ]
野田新内閣でもさっそく、人材潰しらしき動きが始まっており、産経新聞社が全閣僚に、2005年10月の野田さんの「戦争犯罪人は国内法上は存在しない」という質問主意書について質問しました。これを読んでいる産経新聞の記者は、日本が1956年に国際連合に加盟したとき、ニューヨークの国連本部前のポールに日本国旗を掲げた外相が重光葵だということを確認すべきです。
[画像]目で見る議会制度百年(衆議院など編)から、1956年の国際連合に加盟し国際社会に復帰したときの外相(日本政府代表)の重光葵(右上の写真で日本国旗を見上げる人物)。
1945年、ポツダム宣言を受諾し、東京湾内の米戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書にサインしたのが、重光葵です。そして、吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約(多国間条約)で独立を回復し、その条約の第11条にもとづき、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そしてサンフランシスコ講和条約のすべてを受け入れた上で、国際連合に復帰したのが1956年。そしてその外相が重光葵でした。そして彼はA級戦犯として服役し、仮釈放されました。1956年の時点では「仮釈放」の扱いはどうなっていたかは分かりません。しかし、仮に日本の国内法上戦争犯罪人として有罪となり服役し仮釈放された人物を晴れの国連(国産連合)デビューに送り出したとはヘンテコな話です。また国連(Unitad Nations)としても許せないことだったでしょう。
[画像]岡田外相のかわりに、国連パキスタン洪水緊急会合で、国連総会上で演説(日本語)する外務副大臣時代の藤村修さん。
それでもちゃんとわが国は国連の一員で居続けています。
これは2011年4月28日(木)、平成23年度第1次補正予算(案)で代表質問で答弁する菅首相。東日本大震災ということで、4月中に異例の補正予算提出ということになりました。こうした未曾有の国難でも、本会議場での振る舞いは堂々としていました。
これは2011年6月1日(水)の参院本会議です。さきほども言及したように、サミットに2年連続で出席した首相は、小泉純一郎さん以来となりましたが、そのサミットから帰国後に、参議院から求められてのサミット報告(演説)とそれに対する各党代表質問で演壇に立ったシーンです。ちなみに、翌6月2日には、衆本でも同じ議題が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が提出した「菅内閣不信任決議案」が慣例にもとづき、緊急上程され、延期されたまま、衆本で議題になることはありませんでした。ですから、後世の歴史家が「3・11」後、最初の主要な多国間会議だった2011年フランスG8サミットについて調べるときは、参議院の議事録だけを参照することになります。
代表選のときは「政治はうんざり」という人がまた増えてしまったようですが、野田演説から組閣にかけて、じゃっかん「もう一度だけ政治に期待しよう」という人が増えてきたように思えます。3党合意をしっかり守れば、3次補正、当初予算、そして来年度(4kの政策検証)まで参議院でも法案は通せます。3党合意は未来に向けての合意であり、またロケットブースターが巧妙に入っているすぐれたものです。
[当ブログ内から引用おわり]
軍恩連盟全国協議会の会旗がことし3月22日に奉納されており、展示されています。軍恩連盟は昨年末に解散しました。これを考えると、私の推測としては、太政官布告(現代でいう霞が関官僚が執筆した政令)でできた靖国神社と軍事恩給などの「利権」を守る上で、A級戦犯を合祀しようという圧力が宗教法人内にあり、それを、監督官庁である厚生省はおさえられないばかりか、むしろ推進したのではないか。そして、日本遺族会の支援を受ける自民党50年政権がそれを見て見ぬふりをしてきたのではないか。すなわち、自民党政権におけるシロアリが、昭和天皇を怒らせ、参拝しにくい奇々怪々な神社になってしまったのではないでしょうか。厚生族議員の安倍晋三さんにそのシロアリ退治ができるでしょうか。
おなじく厚生族議員の岡田克也副総理はことし8月10日の記者会見で筆者の質問に次のように答えています。
[記者会見録から引用はじめ]
記者
フリーランスの宮崎ですが、先程の靖国神社参拝に関して、A級戦犯が合祀されているから参拝しないということでした。これは昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示したとされる富田元宮内庁長官の富田メモというものの信憑性が正しいと思われていらっしゃるのでしょうか。また、このA級戦犯7人以外の英霊に何かゆかりのある方の参拝についてはどう思われますか。
岡田副総理
私が申し上げているのは、やはりA級戦犯というのは、これは何回もいろいろな場で申し上げているのですが、東京裁判そのものの問題がないわけではないけれども、しかし、日本が自ら戦後を総括していない以上、やはり東京裁判というものを尊重するという考え方に立たざるを得ないと。その東京裁判の結果、A級戦犯というふうに断じられた方々が祭られている、神として祭られているということについて、そこに閣僚が行くということは、私は望ましくないというふうに考えております。
これは2005年でしたか、小泉さんと党首討論の議事録を見ていただければよく出ているというふうに思います。小泉総理と全く意見は、ある意味では一致したのですが。永久に戦犯が戦犯であると、戦争犯罪人であるということは一致したので。
[引用おわり]
海外に間違ったメッセージを与えることになりかねない靖国神社。もっとスッキリした形にならないものでしょうか。
ただ、頭で考えてスッキリせず、参拝中も、「松岡、東条は排除」と考えていて疲れましたが、この夏、羽田雄一郎国土交通大臣と松原仁国家公安委員長の旧内務省系の閣僚2人が参拝したことが背中を押してくれました。
とにもかくにも、日本を守り抜きたいとの気持ち。
雨の靖国で、再確認することができました。
日本を、守り抜く。
そのためには、100以上の勢力が2つ以上、しっかりとチェックしあうことがスタートです。
[当ブログ内エントリーから全文引用おわり]
(C)2017年、宮崎信行。