田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大サスティナビリティ・フォーラム2010

2010-10-25 14:02:31 | 大学公開講座

 今日(10月25日)から「北海道大学サスティナビリティ・ウィーク2010」がスタートしたが、そのプレイベントとして開催された市民向けのフォーラムに参加してみた。

 先週末は4日連続で講演会やフォーラムなどに参加した。私の理解量の限界を超えるほどインプットしてしまったためにお腹いっぱいの感であるが、なんとか記憶に留めたいと思いレポートすることにする。それでは一昨日に続き第2弾です。

 サスティナビリティについては説明の要もないと思うが、一応触れておくと「持続可能な社会」という意味だそうである。開催の挨拶に立った本堂副学長によると「高度に発達した文明社会を調和の取れた形で持続していく」ために地球規模で各方面において研究・努力していくべきだとする思潮と捉えることができるだろうか。

              

 10月22日(金)北大学術交流会館で開催されたフォーラムは2部構成で行われた。
 今回のフォーラムの特徴はコメンテーターの一人に今年6月から北大の客員教授に赴任したテレビキャスターの佐藤のりゆき氏が登壇したことです。
 そして彼は彼の役割を十分に果たしていたように思われた。

 第1部の「北のコンパクトシティー ~持続可能な都市へ向けて~」については工学研究院の瀬戸口剛教授がレポーターを務めたが、主旨は「少子高齢化が進む現代社会において都市機能をコンパクトに構成し、高齢者にとって冬も過ごしやすい都市の在り方を構築したい。また大切なことは地域コミュニティを形成することである」とした。
 それに対して佐藤氏は番組での豊富な経験から、高齢男性の一人暮らしの問題を取り上げ、一人ぐらいのお爺ちゃんのため街づくりの必要性を訴えた。

 第2部の「すこやかに人間らしく生きるための死生観」については文学研究科の宇都宮輝夫教授がレポーターを務めた。
 この話題は私にとって難しかった。そもそも私は「死生観」などというものについて深く考えたことがない。そんな私にとって宇都宮教授の話は最初から最後までちんぷんかんぷんであった。 

 宇都宮教授が配布した資料から、教授が言おうとしたことを短くまとめてみると、宇都宮教授は「なすべきことをすべてなし、人生に何ら悔いるところない人が本当にいるのか。現実の私たちは、往々にして一時の快楽に目がくらんで、もっと大きな欲求充足を台無しにしたり、守るべき価値を無視したり」という経験がないかと指摘します。そして、「人間の人格は首尾一貫性があるというより、相互に矛盾する複数の下位人格からなる複合体と考えたほうが良い」と言い、そうした弱い人間が「すこやかに生きる」とは、「人は誕生から死に至るまで人生全体の見方こそ死生観と呼ばれてしかるべきなのだから、人はそのことを尺度として自らのあり方を規制し、秩序づけていくことがすこやかに生きることに繋がるのではないか」と説いた。

 ここまで理解するのに私は氏の資料を何度も何度も読み返さねばならなかった。
 このことに対する佐藤氏のコメントは「自分は95歳まで生きたい。するとその年齢では自らの主な目標はすでに達成していて、悔いなく死を迎えることが出来る」とした。そして95歳まで命を使うことを「使命」とし、そのことに命を懸け「懸命」に生き、そこまで命を宿すことを自らの「宿命」としたいと述べた。

 う~ん。簡単にまとめようとしたのだがまとめきれなかった。「すこやかに生き、すこやかに人生を終えたい」ものである。(しかし、そうは単純ではなさそうだ…)