時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

北京に秋天は戻るか:科学の可能性と限界?

2013年11月14日 | 午後のティールーム

 

 

「17世紀の危機」がすでにグローバルな
ものであったとするG.Parker の新著

 

 

  ステフアン・エモットのあまりに衝撃的な小著『100億人』10 BILLIONは、日本ではほとんど報じられていないが、多大な反響を生み出した。論旨は非常に単純なのだが、その結論は読んだ人の度肝を抜くものであった(前回ブログ記事注記

反転減少の可能性少ない世界の人口
 世界の人口の増減は、日本の少子化対策がさしたる効果を生んでいないように、ひとたびはずみがつき、モメンタムが働き出すと、方向転換はきわめて困難となる。日本のように、人口減少と高齢化が急速に進行し、国としての潜在活力が減退する国がある一方、世界の人口はアジア、アフリカなどの新興国を中心に増加を続け、今世紀末には100億人近くなると推定されている。世界の人口は現在ですでに72億人に近い。このまま進めば、2050年には90億近く、2100年には100億人近くに達すると予想されている(Emmott,2013,p.11)。この予測については異論は少なく、ほとんど避けがたいとみられている。国毎に増減の差異はあるが、世界全体の人口は反転減少に転じる可能性は少ない。2050年といえば、次の世代が必ず迎える時だ。 

 エモットの結論がきわめて衝撃的で、悲劇的なものであるだけに、同感する者も多い反面、当然、批判も多い。管理人は幸い人類苦難の日?を見ることはないから、この問題への緊迫感は高くないのだが、現在50歳代以下の若い世代は、地球と人類の将来についてもっと真剣に対すべきだろう。エモットの予想は、講演原稿が土台になっているので簡潔でそれだけに迫力がある。確かに議論が単純化され、直情的なところがあるが、世界の実態をみると、やはりと思う点も多い。

科学はどれだけ力になるか 
 最も衝撃であったことは、地球温暖化、大気汚染、エネルギー不足、食料不足、水不足、北極・南極の氷山の消失速度熱帯雨林の減少、緑地の激減、森林火災、生物の種の減少(生物多様化の衰退)、
自動車文明が生む膨大な浪費と自然の破壊や資源浪費、貧富の拡大、貧窮者の増加など、いずれもグローバルで深刻な問題であることだ。そして、しばしばこれらが契機となって、民族・国家間の対立、反目、紛争、戦争などを生み出す。人口増加といかなる因果関係があるかは、にわかに定めがたい。しかし、人口増加はこれらの問題のいずれについても解決を困難にする。人口が絶対的に多くなれば、自国内に留まれない人々も当然増えてくる。そして、最も憂慮すべき、問題の解決にとって、科学が無力だという結論が厳しく迫ってくる。

 
 エモットの著書は文庫版(ペンギン・ブック)に楽に収まってしまうきわめて短いものだ。それだけに、直裁で説得力がある反面、科学者たちからの反論も多数提示されている。その多くは、エモットの個々の指摘が、データの根拠、推論の仕方などで誤謬に充ちていて、過度に悲観的、厭世的だと反論している。


食料不足問題ひとつ解決できない現実
 たとえば、将来さらに増加する人口に対応する食料の需要と供給がバランスするかという点について、食糧問題の専門家の間でも、議論は続いてきた。現実には世界にはその日の食料すら得られない、飢餓のどん底にいる人々が多数存在する反面、富裕層を中心に高価で贅沢な食材が浪費され、多くの食品が捨てられている。ある科学者は、食料不足は事実誤認であり、配分システムが十分機能していないからだと反論している。しかし、それではどうすべきかという説得的な政策提言はない。ここに挙げたようなグローバルな諸問題について、真実がどこにあるのか、正確に把握できている人は、きわめて少ない。

 エモットをめぐるいくつかの議論を追いながら感じることは、科学が専門化、細分化しすぎて、全地球的な問題への対応ができなくなっていることだ。個々の領域では科学はめざましい発展をとげたが、原発廃炉、核燃料処理の問題ひとつをとっても、議論は混沌としていて、多くの人々が現実的なものとして納得しうる回答や対応は得られていない。

 最近中国に深刻な問題をもたらしている大気汚染(P.M.2.5)についても、主たる原因は人口増加に伴う発電所や家庭での大量の石炭(製品)消費、自動車の急速な普及に伴う大量の排気ガスなどが複合した結果とされているようだが、これとても十分には解明されていない。仮にこの推論が正しいとしても、石炭を他の熱源に転換するにはきわめて長い時間を要する。自動車数の規制にしても同様だ。自動車業界、消費者の受け取り方ひとつとっても議論百出だろう。理論から現実へ近づくほど、解決策は困難を増す。

グローバル・イシューに新たなアプローチを
 そして、エモットの推論をめぐり議論についても、科学者の反論はほとんど自らの専門範囲に限られていて、現代の地球が直面している深刻な諸問題のわずかな部分への回答になっているにすぎない。科学の専門化については、しばらく前から相関科学などの形での対応が図られてきたが、現代の複雑化した問題への有効な対応とはなり得ていない。グローバル・イシュー(地球規模の重要課題)に対する新たな観点からの諸科学の再編、創造が必要と思われる。しかし、それまで地球は、実態をこれ以上悪化させることなく、支えきれるだろうか。それこそ「杞憂」であれば幸いなのだが。




中国で杞の国の人が、天地が崩れて落ちるのを憂えたという故事に基づく。将来についてあれこれと無用の心配をすること。取り越し苦労(『広辞苑』第六版)

コメント
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