時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「L字型」と「逆L字型」の危機に対する世界

2014年01月25日 | 特別トピックス

 


 

  先日、このブログで10 Billion(『100億人』)というタイトルの小著(ステファン・エモット)を題材に、世界人口のかつてない増加がもたらすであろう恐るべき結末についての議論を記した。今回はそのトピックスに関連した記事を記してみたい。実はエモットの小著に限らず、このまま無策でいると、地球上の人類の衰退・滅亡がさほど遠くないことを論じた書籍、論文はかなりの数に上る。

「逆L字」世界に向かって
 エモットばかりではないが、現在およそ72億人と推定される世界の人口がこのまま増加すると、世紀半ば、おそくも世紀末には100億人に達することが予想されている。その過程で資源の浪費量、電力などエネルギー不足、水不足、食料不足、異常気象、移民・難民の増大など、これまでになく対応がきわめて困難な事態が発生する。とりわけ、次世代以降の若い人々が危機を迎えるのだが、それらの深刻な問題に人々は無力・無関心で、十分な対応策を持っていないとエモットは論じた。

  その結論があまりに衝撃的であったがゆえに、刊行以来多くの議論を生んでいる。結論はほとんど絶望的ともいえるもので、「息子に銃の使い方を教えておく」という衝撃的な一文で終わっている。

 人間は誰もいやなことは考えたくない。とりわけ、自分の世代ではなく、子供や孫の世代に危機や苦難が持ち越されるという問題については、考えたくないのだ。多くの人は自分の時代だけ無事過ごせれば、子供や孫など後の世代については、積極的に自分の世代の責任も感じることなく、なんとかなるのではないかと楽観視してきた。いやなことは考えず、先にのばすという人間に生まれ備わった本性かもしれない。しかし、もし今の段階において、世界レベルで対応を考えて努力していれば、次世代以降が直面する恐ろしい苦難を、ある程度軽減できるとなれば、現世代も努力する意義と責任を感じる
だろう。

「逆L字」型の反転はきわめて困難
 当然ながら、エモットの提示は議論を分かりやすくすることもあって、直裁に過ぎた。小著で説明不足の点が多々みられる。そのため、多くの反論を招くことになった。しかし、エモットの小著は、現代の人間が熟慮すべき問題提起と少なくも管理人は考えている。

 議論は始まったばかりだが、たとえば世界は生活環境の悪化、多数の女性が家庭外で働くようになるなどの変化を反映して、子供を産まなくなるから、人口は80億人台にとどまるという見方も出ている。果たしてそうだろうか。エモットなどの破滅的推論を嫌い、ことさら楽観視しているかにみえる。日本ばかりを見ていると、他の国々も少子化に向かうと安易に思いがちだが、他の国々、とりわけ新興国では人口は減少どころか増加の道を進んでいる。

 世界の人口は先進国ではおおむね減少あるいは停滞気味だが、中国、インドを含め、そしてアフリカなど開発途上の国では増加し続けている。一人っ子政策をとってきた中国でも、高齢者比率が高まり、社会の活力がなくなることが問題となり、制限を緩和しようとしている。しかし、そのタイミングを誤ると、母数が大きいだけに、思わぬ誤算となりかねない。

 日本は世界全体の人口が増加を続ける中で、これまで経験したことのない大きな人口減少、高齢化が進む国であることを注意しておきたい。成長ばかりを追わず、優雅に幕引きをして高度な文化を保つ小国として生きる方向を探索することも必要ではないか。世界に破滅的危機が来るとしても、同時一元的に起きるとは思えない。弱小な部分から破綻が始まるとみるのが自然だろう。

 世界の人々が来たるべき危機の内容を十分察知しているとは思えない。代替エネルギーの開発、環境改善技術の開発などを進めれば、まだ救いの手はあるはずだなどの反論も生まれてはいる。しかし、大気汚染や異常気象などについても、新興国での根強い自動車購買意欲、電力や水不足の深刻さを見れば、大気汚染などの環境も急速に改善するとは期待しがたい。肝心の自動車メーカーや電力会社が、車や発電所の販売をめぐり激しく競争している。地球上は車で溢れかえっている。しかし、自動車がないと生活できない地域も多い。

 オリンピック招致を決めた日本では、東北大震災復興工事もあって、すでに建設労働者が大幅に不足している。このところ、急に外国人労働者を受け入れねば、関連工事が遅滞してしまうとの声が出ているのも、長年にわたり外国人問題を観察してきた者にとっては、余りにご都合主義だとの思いがする。新興国での人口増、ギリシャ、スペインのような経済不振の国々、あるいはシリア難民など、世界には居住と働き場所を求めて、本国から流出する人たちが急増している。受け入れる国があれば、そこをめがけて殺到する。移民・難民問題の性格も、急速に変質しつつある。

細部よりも大きな流れを把握する 
 基軸的な要因である世界の人口の伸びを、長い歴史的な時間軸上でグラフに描くと、すべて右上がりの増加、それにほぼ比例する形で、エネルギー、水、食料、大気汚染などの問題数値もほぼ対応して右上がりになり、急速に資源が不足する現象や深刻な問題が次世代以降に増大することを、エモットはかなり単純化して示した。細部について異論が生まれることは先刻承知の上で、警告をしたのが同著の眼目なのだ。

 エモットが指摘した問題状況を、管理人は「逆L字型」の世界と名づけ、そこに生きることを強いられている次の世代のために、早急に対応策を考えねばならないことを記した。

懸念される「L字」型の経済停滞
 たまたま、1月24日付けの『朝日新聞』「2014年の世界経済」(1月24日付)というオピニオン特集を読む機会があった。その中に、カウシィク・バス氏(世界銀行・上級副総裁)の『L字形の低迷、挑戦恐れるな』と題された記事が掲載されている。ここで使われている「L字」型とは、上に記した「逆L字」型の問題とは重なる部分もあるが、やや別の次元の問題の指摘である。

 バス氏の指摘する問題は、世界経済に浸透している別の不安に関連する。それは世界のリーダー国や地域での経済成長が停滞し続ける、いわば「L字形」の低迷である。要するに、アルファベットの文字にたとえるならば、もはや楽観的な「V字形」や「U字形」の経済回復を望めなくなり、過去の高成長の時代(L字の縦の部分)が終わり、長い停滞(
「L字」の横線の部分)が継続することへの懸念と今後への警鐘である。これは「逆L字」の問題とほぼ平行して発生する、比較的中期の経済停滞の問題といえる。

 バス氏は、2013年について、アメリカ、日本などは長い停滞、大震災の痛手から立ち直り、少しずつ改善していると見る。しかし、楽観はできない。他方、欧州は失業率の上昇、改善の兆しがないなど、さらに状況が悪化していることを問題としている。

 そして先進諸国の景気減速・停滞が、今後長期化する可能性を論じている。こうした考えの人々を悲観論者と退けることはできない。すでに事態はこの局面にあるからだ。この閉塞状況を打開し、長期停滞の束縛から脱出する方途を考えねばならない。

 バス氏は新しい分析的な思考の必要を説く。世界大恐慌の際に政策の重要で画期的な成功をもたらしたような革新的思考である。現在はいわば袋小路から脱却する創造的思考が経済専門家の間で欠如しているとしている。しかし、バス氏自身のそれ以上の提案はない。

グローバルな対応の模索
 このふたつの「L字」「逆L字」の議論を読みながら、管理人が痛感しているのは、経済学、政治学、あるいは工学、医学などの伝統的科学が、今日展開しているグローバルな課題(イッシュー)に対応できる体制になっていないことにある。いくつかの例をあげれば、医学の発達は、病苦に悩む人々の苦痛を改善し、人々の寿命を延ばすことに多大な寄与をしてきた。天文学、宇宙物理学の発達は、これまで夢であった宇宙へ人間を送り、そこに滞在させることに成功している。経済学も専門化し、部分的問題へは処方箋を提示できるが、かつての政治経済学が持っていたような包括的視点を欠くようになった。議論は著しく専門化の度を加え、細分化し、このままの状況では、合成の誤謬を生みかねない。
皮肉なことに、こうした専門化した分野ごとの科学の発達の結果は、そのままでは地球全体の問題改善にはつながらないことだ。

 今日、世界における重要問題は、もはや一国の力量をもってしては解決しえないものが圧倒的に多い。急速に展開するグローバル・イッシューへ対応する上で、専門化が過ぎた諸科学の新たな再編、グローバル政策ともいうべき総合アプローチの構築が焦眉の急務と考えているが、日暮れて道遠しの感が強い。人間は未来のことを考えるのは得意でなく、破綻するまでは同じ路線に乗っていたいようだ。



カウシィク・バス「L字形の低迷、挑戦恐れるな」『朝日新聞』2014年1月14日朝刊

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