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このブログ、開設当初から「近いところ」は、なるべくトピックスにとりあげないように意識してきた。日々変化するこの国の実情など至近距離の問題は、多数のメディアが得意とするところ、そこへさらに小さな一石を投じるつもりはなかった。
ただ、「近い問題」に関心がないわけではないし、新たな問題を見出すことも多い。それでも、歳を加え、多少人生の経験も積むようになるにつれて、少し距離を空けて、時には意図して距離をとって、世界を見てみたいと思うようになった。あまり近づきすぎると、見えるものも見えなくなってしまう。人類の将来を現時点で見通すことはきわめて難しいが、17世紀くらいまでタイムマシンで戻って、現在を見ると、「進歩」したと感じるのは武器の殺傷力くらいではないかと思うことすらある。戦争も疫病も、異常気象もなにひとつ無くなっていない。格差問題も改善どころか、拡大している。そして、経験したことのない真の危機はかなり近くにまで迫っている。次の世代はさらに厳しい状況に直面することを考えねばならない。もはや先延ばしにしたり、避けては通れない。
極端に分かれる見方
あまり近くで見たり、結論を下すと危ういと思うことは多々ある。ひとつの例を挙げてみよう。最近大きな書店、図書館などに出向いて気づくことのひとつに、中国についての出版物がかなり増えたことがある。ひとつの大きなコーナーを設けた書店もある。ひところと比べて驚くほど多数のタイトルが目につく。とりわけ日中関係が悪化してから、この問題に関わる書籍は驚くほど増えた。そのタイトルも刺激的となり、「没落する中国」から「中国が世界を支配する日」まで、極端な振幅がある。見る側にそれなりの蓄積、見識がないと、きわものを選んでしまいかねない。それを避けるための手段として、対象との間の距離の取り方は、ひとつの留意すべき条件と思う。
ウクライナ問題にしても、日本のメディアがあまり詳しく報じない間に、実態は急速に悪化した。もはや明らかな内戦状態である。プーチン大統領は、クリミヤの電撃的編入とは手法を変えて、ウクライナ東部については、じわじわと実効支配による組み入れを企図している。今のプーチン大統領にはロシア系民族の圧倒的支持を背景に、強面の外交で、譲る気はない。中国が外交的にロシアに近づいていることもあって、ロシアは孤立する不安が少なく、今こそソ連邦崩壊で失った領土を取り戻す絶好の時と考えているようだ。
ロシアがウクライナを手中に入れれば、ヨーロッパとロシアの距離は急速に縮まる。正確なニュース源は不明だが、ヒラリー・クリントン氏はウラディミール・プーチンのクリミヤ編入を1938年のアドルフ・ヒットラーのチェコスロヴァキア侵略に比したと伝えられる。当時、ヒットラーはズデーテンランドに住むドイツ人の保護を軍事的発動の理由に掲げた*1。
打つ手のないメルケル首相
ウクライナ問題をめぐっては、EUの基軸国、とりわけドイツのメルケル首相の打つ手が見えてこない。KGBの指揮官として東ドイツ時代、ドイツ語をしっかり身につけたプーチン大統領と、東ドイツ出身でロシア語堪能のメルケル首相は互いに十分手の内を知り尽くしているはずだ。ほとんど毎日電話していると伝えられる。
しかし、プーチン大統領は今回は強気で押している。時間をかけてもウクライナを編入すれば、EUとロシアの地政学的状況は大きく変わる。ロシア系住民の力を梃子に、ロシアは軍事的介入の可能性をちらつかせながら、ウクライナから東欧諸国に居住するロシア系民族を支援することで勢力版図の拡大を狙う。こうした軍事力を背後にしたロシアの版図拡大が続けば、EU拡大の夢は消え、ヨーロッパは西方へ向けて押し戻される形になる。
プーチン大統領の表情を見つめる厳しい顔のメルケル首相のイメージが掲載されているが、今回は一筋縄ではいかないという感じが両者の表情からうかがわれる*2。
ガス管が切り札となる
「ドイツ化するヨーロッパ」(Ulrich Beck)の指導者メルケル首相に、このところ迫力がないことには理由がある。日本ではあまり報道されていないが、ロシア側が強気の背景には、ロシアがヨーロッパに供給する天然ガス問題がある。
ロシアからヨーロッパ諸国にかけて、ガスプロム(GAZP 政府系天然ガス企業)の天然ガスの供給ラインが、いわば動脈のように流れている。ロシアからウクライナを通り、ヨーロッパを横断し、スロヴァキア、オーストリア、ドイツ、イタリアにかけて、延々とロシアのガス供給ラインは伸びている。
EU-28ヵ国のガス調達量に占めるロシア産の比率は、2012年時点で24%だが、リトアニア、エストニア、ラトビア、フィンランドは100%、ブルガリア、スロヴァキア、ハンガリーなどは80%台の高率だ。さらにオーストリア60%、ポーランド59%、チェッコ57%、ギリシャ56%、ドイツは37%と依存率が高い。ヨーロッパで、ロシア産のガスにほとんど依存していないのは、イギリス、スエーデン、スペイン、ポルトガル、アイルランド、クロアチア、オランダなどだ。フランスは自国に産出するガスと原子力に頼っている*3。
すでにプーチン大統領は、ドイツを含む18カ国首脳に、ウクライナが未払いの天然ガス料金を支払わなければ、ロシアは同国に対するガス供給を削減する可能性があり、結果としてウクライナ経由のロシア産ガスのヨーロッパへの供給も減少する恐れがあると警告している。すでにガスプロムはウクライナへのガス供給は、前払い条件にしており、価格も引き上げられた。
福島原発事故を契機に、再生可能エネルギーを主軸とする方向へ、エネルギー源転換過程*4にあるドイツだが、ロシア産天然ガスへの当面の依存は避けがたい。エネルギー源の短時日での転換は難しい。メルケル首相のプーチン大統領への電話も恐らく迫力に欠けることだろう。
さらに、ロシアの天然ガスへの依存が高い国は、どうするか。エネルギー源転換には長い時間がかかる。ドイツやフランス、オランダ、ベルギーなどは、国内にシェール・ガスの油層が存在することは、ほぼ確かめられている。しかし、技術開発、環境問題など、こうした代替エネルギーの選択には新たな難問が控えている。プーチン大統領の強気は、軍事力の示威ばかりではない。ガス送油管もきわめて強力な武器となっている。
かつてこの国日本にも、「石油の一滴は、血の一滴」というスローガンが躍っていた時代があった。この句の意味と環境を正確に語れる人たちも少なくなった。エネルギーの調達のあり方は、国の盛衰に大きく関わる。福島原発事故で流した血がどれだけのものか。簡単に原発再稼働の決定などあってはならない。この事故によって図らずも、これまで十分認知していなかった原発の裏面の一端を知った。使用後の核燃料廃棄物の処理を含め、問題は次の世代以降まで持ち越される重みを持っていることを熟思すべきだろう。
*1-2
"Which war to mention?" The Economist March 22nd 2014
*3
"Conscious uncoupling" The Economist April 5th 2014
*4
ドイツの総発電量に占めるエネルギー源としては、天然ガスは2013年暫定値で10.5%とさほど大きな比率ではない。しかし、脱原発に転換した同国の現在の原子力比率15.4%の今後の低下と併せると、ロシアを源とする天然ガス分を他の資源で直ちに代替することにはかなりの困難が伴う。安定的なエネルギー比率へ以降するまでの間、苦難の道が続く。プーチン大統領の攻めの外交はしばらく続くはずだ。
Arbeitsgemeinschaft Energiebilanzen e.V. 2013.12.12.