『平成』から『令和』への改元は、日本社会に回顧を伴う大きな感慨と一抹の明るさをもたらしたかに見える。『平成』の時代は幸い日本の国土での戦争は免れたが、多くの災害(天災・人災)に襲われ、多大な被害を被った地域も多く、新時代へ続く地域の衰退、厳しい人口減など活力の減衰が既に始まっている。少し日が経って見れば、現在そして來るべき未来が到底手放しで明るいものではないことに気づくことになるだろう。
忘れられてはいけない問題
改元で政治経済あるいは社会面の深刻な現実が変わるわけではない。例をあげれば、「平成」の時代で最大かつ深刻な東北被災地の復興、とりわけ核燃料廃棄物の処理は半世紀近い未来まで続き、いつ終結するともわからない。かつてチェルノブイリの近くまで行ったことがあるが、福島の現場を見るとそれを上回る暗澹たる気持ちになる。そればかりか、改元直前の政治的諸課題が後退し「拉致」や「国民統計」をめぐる問題など、顛末がどうなったのか、甚だ危うい状態にある。
今はメディアの報道の大きな部分を占める東京五輪も、長い歴史の上では文字通り一瞬の花火のごときものだろう。他方、人口減少に伴う深刻な労働力不足は、既にいたるところに厳しい問題を生み出している。「外国人材」導入の名の下に検討不足の施策が打ち出されているが、拙速で政策間の整合性がなく、実現可能性に大きな疑問符がつく。助走距離のないままに幅跳びを迫られるようなものだ。
生まれる新たな下層社会
「外国人労働者」ではなく、「外国人材」という馴染みの薄い言葉が使われ始めてから日は浅いが、入国してくるのは労働者という人間であることはかねてから幾度となく強調されてきた自明なことである。しかも、日本人が就労しようとしなくなった分野に限って受け入れられる以上、その労働条件が劣悪なことは、多くの事例が示してきた。福島原発の処理作業まで、当初から外国人労働者を導入するまでになっていることは現実がいかに深刻であることを物語っている。国内労働者の下に外国人労働者を含む低賃金労働者層が作り出されることは目に見えている。
既に公式には受け入れの門は開かれてしまっているが、人材の給源の適否、受け入れ方法、訓練、日本語および人間としての生活に必要な対応など、すべてにわたって準備不足が目立つ。留学生に認められるアルバイト時間を大幅に逸脱し、学生なのか労働者なのかわからなくなっている「留学生」も多い。日本の教育の内容と誠実さが問われている。
日本で働く外国人研修生などの中には、過酷な労働環境に耐えかねて失踪する者の増加などが、以前から指摘されているが、改善されるどころか、増加するばかりだ。人間が入ってくれば、犯罪も増加する。海外に拠点を移し、遠距離から高齢者などを餌食とする詐欺なども多数報じられるようになった。犯罪の手口は日に日に巧妙になっている。「一人暮らし」が住民の3割にも及ぶ現実を直視すべきだ。
グローバルな変化
他方、世界の移民・難民の状況は、近年大きな転機を迎えている。移民・難民を希望する人数は増え、彼らが稼ぎ出す外貨送金の額も傾向的に増加しているが、その人流を妨げる障壁も次第に高まっている。トランプ政権の下では、内外の批判を受け、現在は一時的に停止しているが、ホンジュラスからメキシコ経由で不法入国した難民申請の親子を引き離し、親だけを国外退去させるなどの非人道的とも言える対応もとられた。想像を絶する苦難のキャラヴァンを続けても、難民として認定されるのは15%未満と言われる。
物理的な壁でも防げない
アメリカ南部のアメリカ・メキシコ国境はトランプ大統領の強権の下に既に物理的な壁が建造されつつある。こうした壁は確かに実態をよく知らない一般人には移民・難民の流れを阻止するに有効な手段と目に映るかもしれない。しかし、観光査証などで入国して、査証目的と異なった活動に従事することは広範に行われている。
ヨーロッパもシリア難民の増大などで、国論を引き裂く大問題となったが、今は小康状態といえる。しかし、夏の訪れとともに、地中海などをボートに満載されて、アフリカからヨーロッパへ辿り着こうとする移民・難民も増加するだろう。
既に世界で自分の生まれた国以外の地に住む人口は2億5千万人近くに達している。一般的には、これまでの経験を通して世界の多くの国々が移民入国の増加に反対し、同時に自国の優れた人材が他国へ移住することにも反対する傾向が見出されている。この傾向は細部に入るほどに複雑、流動的であり、地政学的な要因が強くなる。日本の周辺には、人口が大きく、政治的にも難題を抱える国々が多く、出入国管理、共生政策は周到な検討が必要になる。外国人受け入れは日本の命運を定める一端を担っているともいえる。『令和』の時代は、その語感とは異なる苦難な道となることは避けがたい。五輪後の世界をしっかりと見つめることが必要だ。