時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家が見た17世紀ヨーロッパ階層社会(6):ジャック・カロの世界

2013年05月01日 | ジャック・カロの世界

 

「貴族の目に映ったフィレンツェ」

フィレンツェ、ドゥオモ広場の光景(クリックすると拡大)
Plazza del Duomo, Florence 

  予想外のことが次々に起こり、思考の糸が度々切れてしまう。今回のボストン・テロ事件なども、ジャーナリズムに任せておけばよいのだが、そこにはまったく書かれることがないような個人的な体験などが次々と浮かび上がり、頭脳のどこかで断たれていた糸が再びつながったような思いがして、例のごとくメモ代わりにと記してしまう。

 さて、再びタイムマシンを駆動させて、17世紀のロレーヌ、ナンシーへ戻ることにしたい。このごろはマシンも操縦者も歳をとって、エンジンの始動もおそくなった。

カロ、故郷ナンシーへ戻る
  ナンシーでは
主人公のジャック・カロもイタリアから戻ったところだ。メディチ家のトスカーナ大公コジモII世が1621年に若くして世を去り、唯一最重要なパトロンを失ったカロにとっては、生まれ育ったが、愛憎に充ちた地でもあるナンシーへ戻る以外に選択の道はなくなった。13年ぶりの帰郷であった。

 カロは親が強く望んだ道を選ばずにナンシーを離れ、イタリアで銅版画家になることを選んだ。それだけに戻ってきたこの地で、生きるためには銅販画家としてしっかりと自立した姿を示す必要があった。とりわけ宮廷都市であったナンシーで自立するには、カロがトスカーナ大公の支援を受けたように、ロレーヌ公の後ろ盾を得ることが必要であった。ひとたびは親に反抗し、宮仕えの道を断り、故郷を捨てたようなカロにとって、当初はさまざまな葛藤があったことだろう。

 しかし、すでにイタリアでは立派な成果を上げていたカロは、故郷のナンシーにおいても短時日の間にその才能を十二分に発揮し、名声を確立する。しかし、画才だけではなかなか生きることが難しかった時代、カロも名家の娘と結婚することで社会的地位、名誉を獲得するという選択をしている。1623年、ナンシーの富裕な名家の娘カトリーヌ・クッティンガーと結婚している。これによって、カロの名前はナンシーに広く知られるようになり、社会的地位も急速に上昇した。個人や宗教関係、そして宮廷からの版画の注文が来るようになった。

 結婚を機に画業も隆盛の道をたどるという姿は、この時代にはかなり見られたことであった。あのジョルジュ・ド・ラ・トゥールもそうであった。しかし、カロもラ・トゥールも結婚以前に立派に一人前の画家に成長し自立してていた。ただ、この時代の慣習としては、修業の時期を終えたらできるだけ早く結婚するということになっていた。

 カロはラ・トゥールよりも恵まれていたところもあった。カロの生家は貴族としては2代目で、とりたてて名家というわけではなかったが、ロレーヌ公とのつながりを維持していた。カロがナンシーへ戻ってしばらく、反目していた父親との間にもなんらかの折り合いがついたのだろう。

貴族になったカロ 
 
ナンシーにおけるカロの画業生活はこの後、急速に隆盛をきわめる。ロレーヌ公宮廷に集う貴族たち、名士などとの社会的つながりは広がり、恵まれた生活が訪れた。カロは43歳という若さで1635年に世を去ったが、1630年頃の作品には、"Jacob. Caoolt Nobilis Lotaring" (Jacques Callot Lorrainese Noble) 「ジャック・カロ、ロレーヌ貴族)などの署名が記されている。

 カロを含めて、ロレーヌ公の宮殿に集まった貴族の男女、プリンス、プリンセスたちが、どんな生活をしていたのかは、文献では必ずしもよく分からない点もある。写真、動画などまったく存在しなかった時代であったから、唯一当時のイメージを具象化して見るには、絵画に頼るしかなかった。その中で、版画は複数のプリントが可能で、多くの人たちの目に触れる機会を与えるという意味で、当時もそして記録として見る今日でもきわめて重要な意味を持っている。

 さて、このシリーズで焦点を当てようとしている『プリンセスと貧民たち』というテーマは、カロという名版画家が描き出した17世紀社会の階層の実態を、その作品から推定してみようという試みである。前回に続き、当時のナンシーの宮廷社会で noble (高貴な人たち、貴族)と呼ばれていた人々のイメージをいくつかお見せしたい。下に掲げたイメージをクリックすると拡大)。

 

 この時期のカロの作品には、人物の表情などにコミカルな印象を与えるものがかなりある。これはカロがイタリア時代、年齢では20歳代、祝祭や演劇などの情景を描いた作品がきわめて多いことに遠因があると思われる。フィレンツェ時代、トスカーナ大公の宮廷画家にまでなっていたカロは、同地に受け継がれ、頻繁に上演もされていた宮廷祝祭の光景を多数作品に残している。たとえば、「コンメディア・デッラルテ」といわれる即興劇を描いたシリーズには、仮面をつけたり、奇怪な服装をした人物が多数登場する。

 こうした人物の中に、当時の貴族階層と思われる人々も、混じって描かれている。当時、ヨーロッパ世界で最も豊かで華美をきわめたローマ、フィレンツェなどの宮廷社会の姿を想像することができる。

 その後、ナンシーに戻ったカロの作品は、イタリア時代と違って急速に現実味を深める。その点はフィレンツェとナンシーの文化格差を反映するものでもあるが、人物の表情などにイタリア的なものを感じるイメージも多い。恐らく現実の宮廷人たちはいつもこうした表情をしていたのではないだろう。作品の販路を拡大するためには、それなりの創意工夫もあったに違いない。顧客開拓に宮廷人が好みそうなファッショナブルな衣装や顔かたちがあったのだろう。宮廷人の世界も、さまざまな駆け引き、策略などで充ちていた。ラ・トゥールの『いかさま師』や『女占い師』などに描かれた華麗な衣装の裏側に働いていた油断もならない現実の厳しさなどにもその一端が示されている。

 興味深いのは、こうした宮廷人や貴族たちの衣装であり、少なくもこれらは当時の流行を伝えるものだろう。そして、さらに探索したいことは、ファッショナブルな衣装をまとった彼らの生活、そして心のうちである。

続く




アラダイス・ニコル(浜名恵美訳)『ハーレクインの世界 復権するコンメディア・デッラルテ』岩波書店、1989年。

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