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ミュリエル・ジョリヴェ、2003、『移民と現代フランス:フランスは「住めば都」か』、集英社新書
サッカー・ワールドカップの決勝戦でフランスのキャプテン、ジダンの頭突きは印象に新しい。その引き金になったのがイタリアのマテラッツィによる暴言で、その内容はジダンの近い親族に関するものであったとやら、あるいは、民族差別的言動であったとやらかまびすしいが、FIFAの裁定が下ったものの、その実態は明らかにならなかったようだ。
ついでに各国のサッカーチームの編成について感想を述べておきたい。まず、各国の有力選手の多くはイタリアのセリエAとかイギリスのプレミアリーグとかそのほかの国々のプロリーグのクラブチームの有力選手でもあって、ワールドカップはその出身国ごとの再配分によって各国チームが編成されているようにみえる。
各国チームが編成される根拠は、国籍の有無なのだが、これが簡単ではない。ヨーロッパ諸国は数多くの移民を受け入れていて、多くの国は重複国籍を認めている。したがって、ワールドカップのための国別再配分は当然のことながら、単純な話にはならない。そうした典型がフランスのナショナルチームにある。
フランスは旧植民地宗主国でもあったから独立した旧植民地からの出稼ぎ労働者や移民を受け入れてきた。したがって、そうした国々の出身者が重複国籍を持っていてフランスのナショナルチームに入ることになる。たとえば、ジダンはマルセイユに居住するアルジェリア移民の二世で、フランス生まれのフランス育ちでフランス国籍を持っている。フランスの国籍条項は、血統主義のようだが、フランス生まれで11歳から18歳の間にフランスに居住しているとフランス国籍が与えられる。
フランス・ナショナルチームの現状に限らず、今回のワールドカップの決勝リーグは、多民族チーム同士のリーグでもあったわけだ。いや、サッカー・ワールドカップの伝統は、そうした多民族チームと「単一」民族チームの争いでもある。たとえば、ブラジルが勝利すれば、後者が勝利したことになり、フランスが勝利すれば前者が、イタリアはどっちだろうか。ま、実のところは「単一」とかぎ括弧をつけたように、歴史と地域のファクターを入れてしまうと、「単一民族」によって形成される近代国家システムという幻想は破綻しているわけではある。
さて、前置きはともかく、本書に戻ろう。
本書のもつ意義は二つあると思われる。それは、まず、重要なセールスポイントとしては、フランスで生まれ育っていて両親の出身国に対するアイデンティティよりもフランスに対するアイデンティティを強く持っている人々にたいするインタビューによって構成されているフランスの移民社会論であることである。そして、もうひとつは、女性に対して出身社会がもつ差別性が移民先のフランスにおいても現れがちであって、それもあってか、女性がフランス社会への同化要因となっていると言うことである。
くわえて、フランスにおける婚姻の半数が文化的背景をことにする両性に基づくものであること、こうした状況を考慮に入れると、フランスにおける移民に対する根強い差別性が持続しているにもかかわらず、移民の側の同化傾向の継続の中でフランス社会の民族的混交性および異質性はさらにましていくことになる。
くりかえしになるが、そういった現状にもかかわらず、フランス社会においては階層によらず、つまりは、多文化他民族状況を理性的に理解でき、偏見を克服しうる教養を身につけてている階層にあっても、根強い偏見が存在しており。多民族性がさらに進む現状と同時に、差別が克服困難である状況が維持されると言う点も見て取れる。
いずれにしても、フランスへの移民のインタビューの数々、大変興味深い。読むべし。
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2006-07-30 00:24:30 |
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今年三回目くらいの「あんしんキッチン」。箕面地ビールほか各種ビールがそろっている。
今日は研究会で大阪に来て終了後、最近お定まりの場所で、懇親会。研究会の仲間のお祝いとオーストラリアの知人の帰国のお別れをかねて。