鶏もも肉とタマネギのソテー
そら豆とベーコンのパスタ:3日連続だなあ、そら豆の料理!
ベビーリーフとトマトのサラダ
宮崎賢太郎、2018、『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』、KADOKAWA
5月4日、以下に引用する「ハフポスト」だけでなく、日本のマスコミは、ユネスコの世界文化遺産に潜伏キリシタン関連遺産への「登録」が勧告されたと伝えていた。たまたまであったが、連休明けに発注していた本書が届いたので、じつにアップツーデートな「読書」のスタートとはなった。たまたまではあるが、6月9-10日と雲仙に一泊旅行することになっている。大学1年のときの仲間と雲仙に住む仲間を訪ね雲仙の旅館で40数年ぶりの再会を果たすつもりだ。また、大学4年の時、原城跡のある南有馬と本渡(大学1年からの友人の実家に本人を訪ねた)にでかけて、はじめてのフィールドワーク体験をした。こんどの雲仙旅行では、仲間より数時間早く現地に入って一人であちこち回るつもりで計画中であった。だから、色々偶然が重なっているのだ。
本書は、戦国期に日本に伝えられたカトリックの受容の過程から、禁教・弾圧から250年間の潜伏期をへて、幕末・明治以降の復活期までの信徒たちの信仰について、「潜伏キリシタン」と「カクレキリシタン」をキーワードに土着化したカトリックを詳細に描き、日本における(あるいは、世界における)キリスト教の受容の行く末について「土着化」が重要ポイントであると指摘する、大変意欲的な著作である。
カトリックの受容期は、キリシタン領主たちは、おそらくその多くは宗教的動機ではないそれぞれの動機で改宗し、領民を集団改宗させて仏教寺院や神社を破壊したことからはじまった。その後、禁教と弾圧が進み、司祭や伝道士がすべて殉教したあと、宗教指導者もなく口伝で「おらしょ」を伝えてきた読み書きのできない庶民たち、そして、幕府の施策によってすべての家が寺院の檀家となることが強制され、結果として、表向きは仏教徒(檀家としての)として「隠れ」、「オラショ」の言葉の意味や信仰実態を理解することなくキリシタンたちは潜伏した。幕末になって、幕府による欧米各国との和親条約の成立とともに居留地に教会が建てられ、長崎の大浦天主堂で浦上の「潜伏キリシタン」は劇的に「発見」される。著者は、この「発見」の実態を司祭の自作自演として記す。このことは、彼らにカトリック信仰を教育せねばならぬという教会側の布教方針につながり、土着化の否定、潜伏キリシタンの救済へと走らせる。そして、このことが、カトリックを含む日本への普及の低さ(人口の1パーセント未満)にもつながる。一方、土着化して巫俗(シャマニズム)を受け入れた韓国プロテスタントは韓国人口の30パーセントという信者数を誇るのと比べてみてもよい。
2018-05-12 13:22:31 |
読書 |
| Trackback ( 0 )