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「変わりたい」と言っているうちは

2018年12月13日 | 読書
 「子どもの頃からずっと、『変わりたい』と思いながら生きてきました」と前書きに記されている。同感の思いを抱く人は少なくないかもしれない。そしてまた現実を皆知っている。著者も「思う以上に堅牢な」自分を語り、またこう書く。「『変わりたい』などと言っているうちは、まだまだ。何も変わりはしないのです。



2018読了114
 『閉じる幸せ』(残間理江子  岩波新書)



 変わるために選ぶべき行動して「閉じる」を挙げた。自身が母親の介護を通して考えたことを皮切りに、多彩な交友や仕事上めぐり会った方々の例を紹介しつつ、「閉じる」ことを提案し、その素晴らしさを書いている。後ろ向きの表現とも言えるが、本筋は「閉じることで得たエネルギー」の活かし方とも言えよう。


 第一章「閉じるは、いろいろ」で7人が紹介されているが、結局したいことが明確かどうかにかかっている。考えてみればそれなしの「閉じる」は死に近いのではないか。仕事に邁進する中でも消えない思い、また偶然の出逢いにより芽吹く考え…それらを絶やさずに持ち続けるには、やはり意志の強さが求められる。


 第二章「閉じるは、わが身の棚卸し」。ここでは著者の「閉じ方」への試みが書かれる。苦笑したのは「備蓄女」という表現。それはわが身にもそっくり当てはまる。「『足りないこと』『乏しいこと』に対する潜在的恐怖心」という自己分析もぴたりである。「いつの日か」という発想を閉じるだけでも、かなり変われるか。


 今までも「捨てる」や「断捨離」をキーワードにした出版物は流行り、人々はモノの処理だけでなく、暮らしのスリム化や精選的な生き方に憧れているとわかる。「閉じる」もそれらに通ずる。端的に言えば「欲望とのつきあい方」。欲望に飼い慣らされている自覚は、何かを閉じれば一層強く持てるのは確かなようだ。