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「わざわいは幸い」と夢で書く

2018年12月15日 | 雑記帳
 またぞろ夢を見た話を一つ。書道をしている。大きな紙に古典の臨書課題か。経験はないのだが…2枚もあり、なかなかうまく捗らず、どうしようと慌てている。校舎(?)のなかを廻ると他の人たちは楽しく遊んでいるようだ。戻って考えることは、どうにか切り抜けるアイデアはないか、紙を前に打開策を練っている。


 最近全く筆を持たないし、TVで見た書道パフォーマンスが印象深かったのか、それとも鶴瓶の番組で加山雄三が筆を持った場面が残ったのか…と翌朝考えていたら、例の「今年の漢字」が発表された。「災」とは!確かに理由は頷けるが、明るい象徴でないことはやはり残念だ。書かれた筆文字は少し柔らかい気がした。



 さて「」という字は「川(の異体字)」+「火」で出来ている。字源は「水災+火災」から出来上がったと考えられるが、別に「川をせき止めるせき+大火」という説もある。転じて「生活の進行をせき止めてじゃまをする物事」を指すようになったらしい。そうなると自然災害はもちろんだが、「わざわい」全般となる。


 「わざわい」は「」だけでなく、「」それに「」さらに「」という漢字がある。災は天災が意味の中心のようだが、禍は「落とし穴」が語源で、そのようなわざわいを指す。厄は「つかえて通せず困ること」。そして殃は、「人を押さえつけてじゃまをし、死なせることを示す」と、恐ろしいことが書いてあった。


 殃は別にしても災、禍、厄には救いもある。「わざわい」を使う諺や慣用句の多くは「わざわい転じて福となす」のように、人を振り返らせたり元気づけたりする詞である。端的なのは「わざわいは幸い」だろう。そもそも「わざ」とは「神のしわざの意」である。神に恥じる行為がなければ…そうだ、夢で筆を握ろう。