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「姉の日」に何を願う

2018年12月06日 | 雑記帳
 何気なく「歳時記」本を眺めていたら、12月6日は「姉の日」と書いてあった。なぜ、こんな日が制定されているのか不思議な気がしたので調べてみたら、漫画家の畑田国男という人が言い出したらしくて(このサイトより)兄弟姉妹全部にあるということだ。何を祝うのか願うのか知らないが、期日は以下のようだ。

 兄の日は6月6日で双子座の中間日
 弟の日は3月6日で兄の日の3ヶ月前
 姉の日は12月6日で聖ニコラウスの命日であり、妹の日の3ヶ月後
 妹の日は9月6日で乙女座の中間日



 「姉の日」の文字を見て思い出したのは、自分にも姉がいたということだ。しかし顔は知らないし、姉さんと呼んだこともない、幻のような存在としての姉だ。つまり幼くして亡くなった。その名前と命日がたしか12月4日だったことは覚えている。毎月4日に祭壇に手を合わせていた記憶がある。しばらく忘れていた。


 生年は昭和24、5年頃だったはずだ。死因や病名は聞かされていない。虚弱で生まれたとすれば、当時の状況であれば風邪をこじらせても無理のないことだったかもしれない。そう考えると、医学の進歩や経済、技術の発達は「命」にとってどれほど有難いことなのか、幼い孫を見て、改めてしみじみ感じたりする。


 ところが、その生まれくる命の数は年々少なくなっているのがこの国の現状だ。社会環境の変化が、結婚観の多様化や出生率の低下を招いたことは確かだろう。それは「兄弟姉妹」という語の持つ存在感さえ希薄にしている。生きたかった命さえ救えない時代を変えようとした人々の頑張りは、いったい何に捻じ曲げられたのか。