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喋る前に食べ味わえ

2018年12月25日 | 雑記帳
 『部首のはなし』を読んでいたら「膾炙(かいしゃ)」という語があった。「人口に膾炙する」…見聞きしたことはあるが、実際に使ったことのない慣用句だ。広く世間に知られているという意味だろう。解説によると、「膾」とは「なます」という読み方があるが、生肉の刺身を表している。「炙」はあぶった肉のことである。


 「膾炙」とは「おいしい料理の代表」で、いつの時代も喜んで賞味されるということから、世間に幅広く知れわたることを「人口に膾炙する」というようになったそうだ。あくまでよい意味でもてはやされる慣用句で、その点は留意したい。今年も残すところわずか。そんな作品、人物、出来事等はいくらあったか。


 冬季五輪やサッカーWカップ、それから大リーグの大谷選手、それからノーベル賞受賞の本庶氏など当てはまるだろう。個人的に印象深いのは、8月に行方不明の幼児を発見した尾畠春夫さんだ。ボランティア精神の塊のような姿勢であった。まさに人口に膾炙したが、群がる報道は本人にとって迷惑千万だったのではないか。


 本県に関わることで言えば秋田犬と金足農は挙げてもいいだろう。戌年でもあるしザギトワ選手絡みが話題を呼んだ。金足農については言うまでもない。ただ、これもまた「人口に膾炙する」ため深く関わった報道には、行き過ぎた面があった。有名税などという言葉もあるが、もはや、便乗商法とそう違いがない。


 「人口」という言葉は、「人の口・うわさ」を意味する。従って、そもそも「膾炙」と組み合わせられたことを考えると、口の「食べる」「話す」という二つの機能の順位は決まっている。食べ味わう前に喋り始めるのが、最近のヒトの悪い傾向だ。世の中に多くの膾炙があふれ、美味と思わなくなっているのだろうか。