すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

口実のXmasと書いた頃

2018年12月24日 | 教育ノート
 先月の小旅行、泊まったホテルにこんなものが飾られていて、思わずパチリと…。



 クリスマスはいつも学期末と重なり慌ただしかったが、それなりに浮き浮きとしていたのかもしれない。
 だらだらとそんな気分を綴ったこともあったなあ…


◆◇◆ 口実のクリスマス (2004/12/24) ◆◇◆


 すべて口実であることはわかっている。

 仏教と神道の国?が、クリスマスを祝う必要などないことは言い尽くされてきているが…

 人は、クリスマスを口実にして、ツリーを飾り、ケーキを買い、唄をうたい、プレゼントを贈る。

 クリスマスの日は「会いたい人に会いに行く」のだと思ってしまう。(by JR東海)
 輝くイルミネーションに吸いつけられるように、舗道や広場を寄り添って歩いたりする。
 しゃれた店で、見つめあったりする。


 愛情を消費行動で表す絶好の日とでも言えばいいか。
 はたまた商業活動が愛をテーマに展開する集大成と呼ぶべきか。
 そんな薄っぺらで、刹那的なことでいいのか!

 いいんです。

 と軽く腰を砕いてみたが
 自分には、クリスマスの甘い思い出などはない。
 わずかに中学、高校の頃、仲間たちとはしゃぎまわったことが、写真の断片のように残っているぐらいだろうか。

 家族が出来てからは、それなりの日ではあった。
 ツリーを飾り、ケーキを買い、プレゼントを夜中にそっと置き…
 娘たちが大きくなるにつけ少しずつその日の空気も薄まってはきているが、今年もまた、ケーキとローストチキンは準備している。


 ささやかな者にとっては、それが、ささやかな愛情表現だろう。
 もちろん自分で気づき、自分で築く愛情こそ価値が高いのだがクリスマスを口実にすることは、けして悪いことでもないだろう。

 そして、クリスマスの日の過ごし方は、その人の一年を結構象徴しているような気もする。

 しかし、明るい窓辺で団らんを過ごす家族にも、ワイングラスで乾杯する恋人たちにも、「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス」を送る者にも、神様は平等に、やさしく微笑んでくれると信じたい。


 アーメン
 (って、ウチは神道ですから)

 ◆◇◆◇◆◇◆


 今の家を建てた年だな。
 懐かしがっている雰囲気があるのは、娘たちがそれなりに成長した頃だったからか。
 さらに懐かしくなっている、二人きりのクリスマスイブ(笑)