すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

年の瀬読書、目を見開く

2018年12月23日 | 読書
 腰痛がなかなか治まらないので、寝転んで読書するかテレビを見るしかない。

 でも年の瀬になかなかいいフレーズに出逢えたので良しとしよう。


2018読了118
 『隠蔽捜査5.5 自覚』(今野 敏  新潮文庫)


 手元に未読小説が並んでいないので、シリーズ6の文庫本が届く前にと思って再読した。5.5はスピンオフで登場人物を主人公にした短編集だが、やはり格好いいのは竜崎伸也だ。展開もスピーディーで、ぐいぐい読ませる。

 それぞれの主人公の竜崎とのやりとりがなんとも言えずしっくり胸に入る。特に「検挙」の章は、典型的だ。警察上部からの検挙数・検挙率アップの通達に、現場は反感を抱き、数字を上げつつも実態が混乱する。

 困り果てた中間管理職が署長の竜崎に訴える。似たような事態は、警察現場でなくとも予想されるだろう。詳しく実状を聞いて判断する竜崎の言葉が痺れる。上部からの指示をこう斬り捨てた。

 「理念のない数字などに意味はない。」

 言ってみたい。


2018読了119
 『部首のはなし』(阿辻哲次  中公新書)


 漢和辞典を使っていて、字の成り立ちが辞典によって異なることは当然ながら知っていた。ただ、部首による分類や画数まで辞典によって違う例がこんなにあるとは思わなかった。

 この新書は、「部首索引を使いこなすには、習うより慣れろ、という格言に従うのが最適である」ということを理解しやすいように、部首についての興味深い話を紹介している。読み応えがあった。

 若干の知識はあったつもりだったが、さすが漢字研究の第一人者の持ちネタは多く、へええーと思うことがいくつもあった。特に「想像」が本来は「想象」と表現されたという『韓非子』の説は興味深かった。

 ゾウの生息範囲が南に移り、中国では実物を目にすることが出来なくなり、民衆は、土の中から出てきた死んだゾウの骨をたよりにどんな動物かあれこれ考えたのだと言う。

 「実際には見ることができない事物を脳裏に思い描くことを『想象』、つまり『象を想う』と人々は表現したという。」

 想像もしなかった。