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改革はいつもズレ、ユレル

2018年12月14日 | 教育ノート
 BSプレミアムの『アナザーストーリーズ』のテーマが「ゆとり教育」とあったので視聴した。冒頭のナレーションが低く語りだしたのは「今から16年前、学校が変わった」。つまり2002年の学習指導要領改訂を指しているが、現場感覚ではそれ以前を指している。「ゆとり教育」の範囲は、一般的定義より前だと思う。



 それはさておき、取り上げられたのは三つの視点だ。一つは長野の伊那小学校。いわゆる「総合学習」を全国に知らしめた屈指の伝統校だ。現役時代に訪問したかったが叶わなかった学校の一つだ。次は元文部官僚寺脇研。いうまでもなく「ゆとり教育」の立役者。そしてもう一つが学習塾日能研の代表高木幹夫だった。


 「教師たちがみた教育改革の光と影」と題された1部は伊那小を中心に描かれた。理想を持って長い年月取り組んだ学校であり、国の動きがどうであれ揺らぐ部分は少なかったと思う。しかし注目度が高まるほど、教師たちにとってはある意味の枷が強まるのが現実であり、それをどう乗り切ったか現在に興味がわく。


 寺脇の著作も読んでいるし、その動向もある程度把握していた。しかし2002年現場に少なからず影響を及ぼした「学びのすすめ」という、いわば「ゆとり教育」をある面で縛った文書を寺脇本人が書いたのには驚いた。それがぎりぎりの妥協だったという苦渋も滲ませた。しかし教育の潮流を揺さぶったことは確かだ。


 高木の主張は明快で、受験という枠を越え教育に関する公的機関の限界を見据えていたように思う。伊那小教諭が語った「『ゆとり』とは『ゆっくり』やることではなく『とことん』やること」という一言は、冠する名前はどうあれ、公教育における理想実現の難しさを物語る。現場はいつもダブルバインドに悩んでいる。