すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

何かをし過ぎる人よ、読め

2018年12月30日 | 読書
 読みかけの本はあるが、この一冊が最終読了か。おそらく今年一番多く手に取った作家吉田篤弘で締められることに満足だ。短編集で、連作」とあるのは、直接的な関わりが深くないからだろう。けれど、誰の人生もそうであるように、何かと何か、誰かと誰かはどこかでつながり、それぞれが大事なピースだ。


2018読了121
『台所のラジオ』(吉田篤弘 ハルキ文庫)


 自分が吉田作品に惹かれる訳が確かになった気がする。小説には当然ながら、複数の様々な性格を持った人間が登場する。その中でこの作家が愛すべき対象とする人物は、ある特徴を持っている。例えば「なぜ、速いことをよしとするのか理解できない」「若々しいものや瑞々しいものが苦手」と口にする人たちである。


 端的に括ると、常識的な価値と考えられていることに染まらずに生きている人たちと言えよう。それゆえ苦労している現実を持つ人もいるが、秘かな愉しみを見つけたり、傍からみれば意味のないようなことに没頭できていたりする。例えば、ひとつの食べ物を同じ手順で食べるといった行為を、こう説いてみせる。


 「云うまでもないが、快楽とは反復のことであろう。体に反復を与えることが快楽であり、体に反復を覚えることが快楽なのだ」…この思想は次の表現にもつながる。「流れたのは時間だけだ。嵩んだのは時間の重みだけだ。」だから、この短編集に登場する店、人、食べ物等には不動の魅力があり、揺らがず存在する。


 とかく、みんな動き過ぎ、走り過ぎ、喋り過ぎ、気にし過ぎ!と何かの漫才のようだが、経済優先の世の中に振り回されている。歳末に噛み締めたい一言が最終話に載っていた。「何かを見つけることだけが大事なのではなく、何も見つからないこともひとつの結論なのだ」…どんな一年だったか、振り返る夜にしたい。