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つめたい世界地図の海の色

2018年12月22日 | 雑記帳
 冬至。太陽が最も南に遠ざかる日、北極圏では一日中太陽が見えない時季である。ここで暮らす者にとっては太陽が復活してくる日として祝ってもいいが、南半球では逆になるわけだし、常にそんなことが繰り返されて、この地球は廻っているわけだ。世界地図や地球儀をそんなふうにぼんやりと眺める時間も貴重だ。


 井上陽水の初期の曲に「つめたい部屋の世界地図」がある。孤独を抱えた青年が自分の部屋で船出を妄想する、と言ったらあんまりか。そうしたセンチメンタルな歌なのだが、中にこんな詞がある。「やさしさがこわれた 海の色はたとえようもなく悲しい」。孤独感を重ねたその情景にふと、かの「辺野古」を浮かべた。


 昨日の朝刊にロシアの大統領が、沖縄に関わることで「『日本の主権がどの程度の水準にあるのか分からない』と批判した」と載っていた。外交・防衛は、言うなれば「やさしさ」とは対極にあるかもしれない。しかし、国々を隔てるのは海であり、陸地に暮らす大多数の民の感情によって海の色は変わっていくものだ。


 ソ連時代のシルクロードを旅した某女史が、小さな村で買い求めた世界地図。当たり前だけれどソ連が中心になっている。日本は、と見ると台湾を細長くしたような島の形で、北海道や九州などはなかった。そして通訳を介してロシア文字の地名を読んでもらうと、三沢、横須賀、岩国、佐世保、長崎、広島とあった。


 つまり米軍基地被爆地のみで東京さえ記されていなかったという。冷戦時代の頃だからと思いたいが。報道を読んでもロシアとの平和条約締結の条件は、結局のところあまり変わらない気がしてくる。どこかの小さな村で売られている新しい地図には、沖縄に加え国後、択捉そして山口、秋田と記されるのだろうか。