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個性から適性を見抜く

2018年12月12日 | 読書
 よく言われるように、同級会などを開くと「優等生」はただの人となり、「はみだしっ子」だった者がいっぱしの社長になっていたりする例がある。
 受け持った子の中にも「この子はどんな環境でも生き抜いていく」と思わせられた者が何人もいた。



Volume.132
 「最近、脳科学では脳の個性と適性が研究されています。そして、『勉強ができる』というのは、企業の経営者としては欠点なのかもしれないという説が出てきています。」

 先日読了した本に、茂木健一郎が書いていた文である。


 「勉強ができる子」は国語も算数も理科も…全部自分でやってしまうが、「社長の役割」を考えたときに、それとマッチするのか、ということである。人にやらせる、任せるを中心的役割とすると、かえって「勉強ができず」にあれこれ画策する方が、経営者として適性があるのではないか。

 夏休み最終日、できる子は課題を全部自分で完成しゆっくりしているが、できない子は誰に頼もうか、写させてもらおうかとかいろいろ作戦を練っている。
 その時に実現可能にするために、頼む人の適性なども見極めている。もし断られた場合は…と頭を巡らしている。
 そんなふうに考えると、経営に求められる資質を鍛えているとも言えそうだ。


 やや極論めいているが、この知見には、学校における授業はもちろん、宿題ひとつとっても様々に考えるべきことがあることを教えてくれる。
 それをやらせる側が、いったい何をねらって、どんな能力を育てようとしているのか、そしてそのやり方をどれほどの幅を持って評価できるか。

 近視眼的教育に陥らないために、時々振り返ってみたいことだ。