すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

詩情を糸状の私情で詠む

2014年12月11日 | 読書
 「2014読了」131冊目 ★★

 『ハッピーロンリーウォーリーソング』(枡野浩一 角川文庫)


 自らの歌作だけでなく「ドラえもん短歌」の編集などでも知られている枡野のデビュー歌集だそうである。
 歌壇などの位置づけは知らないが、素人からみると、まあよくもこんな日常語を五七五七七として成り立たせるものだと感じる。
 そこに「詩情」があるやなしや、と問われれば、今の世の中だからこれもあり、というのが自分の結論か。

 こんな歌がある。

 詩人にはならないという約束を交わす二十歳の聖なる儀式

 なるほど。これが成人式を表すならば、三十数年前、式に参加せず同級会の準備をしていた私などは約束を交わせなかったので、今もって詩に憧れたりするのだろうか、と遠くを見つめざるを得ない。


 そこはさておき、歌集全体としては、あまりに「普通」、それゆえあまりにフィットするので、思わずパクリたくなりました。
 枡野の歌と、自分のパクリ歌を並べて三つばかりメモしてみました。
 楽しく読めたことは確かです。はいっ。


 真夜中の電話に出ると「もうぼくをさがさないで」とウォーリーの声(枡)

 真夜中の電話に出ると「もうぼくをとめるのむり」と某総理の声(沼)


 無駄だろう?意味ないだろう?馬鹿だろう?今さらだろう?でもやるんだよ!(枡)

 無駄だろう?意味ないだろう?だからだろ、今やっておけば、かてるんだよ!(沼)


 もっともなご意見ですがそのことをあなた様には言われたくない(枡)

 もっともなご意見ですがあなたの目わたしの方には向けられてない(沼)


 なんだか、世相にもの申した辛口時評のようになってしまいましたな。

冬に蔵すのは,何のためか

2014年12月10日 | 雑記帳
 全校集会で「冬」のことを話そうとして、漢和辞典を使い少し調べた。語源、字源は以前調べた通りなのだが、ちょっとずれて熟語に目がいった。そこが紙辞書のいいところである。児童用(チャレンジ小学漢字辞典)だと、次の7つの熟語があった。「冬季」「冬期」「冬至」「冬眠」「冬将軍」「冬物」「冬山」。


 これが大人用(学研漢和大辞典)だと、当然ながら16に増える。しかし上の言葉以外だと、意味を問われてもぱっと答えられない語がかなり多く,ちょっと驚いた。自分があやふやと思った語を列挙してみる。「冬月」「冬日之温」「冬冬」「冬官」「冬狩」「冬扇夏炉」「冬営」「冬温夏清」「冬裘」「冬節」「冬蔵」である。


 児童用にあった熟語以外で知っていた熟語は「冬瓜」「冬日」ぐらいだった。上に挙げたものでは「冬狩」の意味は想像通りだったが、他はかなり予想と反していた。例えば「冬月」は「トウゲツ」と読み、「月」のことではなく冬の時節を表す。「冬冬」は「トウトウ」であり、門などをたたく音の形容とされているのだ。


 四字熟語はある程度想像通りだ。特に「冬扇夏炉」は楽しい。意味は「時節に合わない無用なもののたとえ」である。つまり冬の扇と、夏の火鉢。「冬日之温」とは、冬の日光の温かさから「君主の温愛が日光のように温かい」喩えだそうだ。組織にいる者からすると、二つは対照的であり、自分を振り返させられる。


 「冬」の字義は「作物をしまいこみたくわえる季節」。「春には生じ、夏には長じ、秋には収め、冬には蔵す」という言葉もある。何事を蔵すか…月並みだけれど、体重ばかり蔵すでは笑えない。蔵すのは,新しい春に芽ぶかせる準備である。もしくは,不測の事態が起きたときに底力を出すため,この二つしかない。

些細なものの怖さを眺めてみる

2014年12月09日 | 読書
 「2014読了」130冊目 ★★

 『家族解散』(糸井重里  新潮文庫)


 この本の存在は知らなかった。
 古本屋の100円文庫コーナーで背表紙を見つけ,そのままカゴにほおりこんだ。

 小説,しかも昭和期の作である。
 かなりシュールな感じがして,誰かのに似ているなあと思いつつ読み終えたら,「解説 高橋源一郎」とあって,そうそう,以前初めて高橋源一郎を読んだときの印象に近いことを思いだした。

 その解説で高橋が書いていることが興味深い。
 それは,すべての「家族」小説のパターン解説であり,いわゆる「文学的」であることの安心感である。
 そこで書かれたパターンの内容は新しくはないだろうが,個人的には納得させられるものだった。

 つまりは,「些細なもの」の登場によって,揺さぶられる日常の部分が,個人内でどの程度拡張していくのか,そんなことではないかな。

 しかし『家族解散』の主題などは,私にはちんぷんかんぷんだ。

 ただ,なぜか気持ちよさを感じる文章が,糸井の場合は「詩片」といっていいと思うが,いくつか見つけられた。
 そこに勝手にシンパシーを感じている自分には,おそらくその文章に近いことが「些細なもの」になっていくだろう。
 自分にとっての些細なものを感ずる部分を引用しておく。

 ポテトチップスの空袋が,何度も踏まれ,何度も雨にうたれ,まるで生まれた時からゴミだった,みたいな姿で明彦の目の前にある。

 国語の教師が,自分の文章をプリントにして試験問題にした。その問題文に,答えるのではなく,感心なんかしてしまったのは,明子ひとりだけだったかもしれない。たぶん明子にだけ感動される文章を書いてしまった教師は,半年後に自殺してしまった。

 ヒロコちゃんには,「身ひとつ」の他には何もない。身がひとつ,今日生きていくために必要なものが,少しだけあって,それ以上何も欲しがってはいないのだと,小倉さんは思っていました。



 書き出すと,改めてこれらの「家族」は,解散に向かうための道に入り込もうとしているなあ,と感じてしまう。

 もちろん,読者(自分か)が同じように解散や崩壊に向かうかどうか,それはまた別の話。

石で遊んでいた頃

2014年12月08日 | 雑記帳
 ある朝,いつものように校門付近に向かうと,野球場入口に,バレーボール大の大きな石がある。そこらには転がっていないので,誰かがここまで運んだのか。子どもだろう。いい石見つけたと思ったのだろうか。そういえば昔は,少し変わった石があれば意味もなく,動かしたり,持ったり,投げたりしたものだ。


 石が一つの遊び道具だった幼い頃があった。自宅裏は川だったので,よけいに懐かしいのか。形状や堅さ,柔らかさなど,日常的に触れているからたくさん情報をもっていた。学生になった頃,つげ義春の漫画「無能の人」で,「石を売る」場面が出てきて衝撃を受けたことがあった。映画は竹中直人主演,監督だったな。


 献本された同人誌に,昔の「石遊び」のことに触れた部分があり,そうそうと頷く文章があった。「石選びは勝敗に左右することだったので家の周りや川辺に行って真剣に探していた」そうだ,いい石を見つけた時は嬉しかったものだ。大事な「武器」になる。そして大切な「宝物」になっていく。そんな時代があった。


 たぶん中学校で講師をした時だ。詩作の授業で比喩の例として思いつきで「石の心」という言葉を出した。たぶん「堅い」「閉ざす」「無反応」のようなイメージで出したのだろうが,今考えると単純すぎる。出来れば各個人の持つ石との接点,出会いといった形で創作できないだろうか。妄想のようなことを考える。

感情年齢を言いふらす

2014年12月07日 | 読書
 「2014読了」129冊目 ★★

 『人は「感情」から老化する』(和田秀樹 祥伝社新書)


 思うことと行動のギャップが広がってくることが老化、というような考えをしばらく前から持っていた。
 どちらかと言えば、老化は行動に表れるのだと。
 だから、なんとなく体力、気力だよなあと大雑把に括っていた。

 この著が、気力の一部?要素?と言っていいだろう「感情」を取り上げて書いていることを読み、納得した。

 高齢者、老年医学を専門とする精神科医である著者は、数多い臨床例から「感情の老化」があらゆる老化の大本、最大の元凶と言い切っている。

 ではどうすればいいか。
 自らに言い聞かせるためにまとめてみれば、原因とされる三つの原因を取り除く、または取り除かないまでも遅らせるということになるだろうか。

 原因は次の三つ。

 ①前頭葉の老化
 ②動脈硬化
 ③セロトニン(神経伝達物質)の減少


 対策は「前頭葉を使いつづける」「健康管理を徹底する」「食生活に留意する」となろうか。

 あまりに平凡、あまりに漠然としている。
 
 これを具体的に砕いてみると、こうなるか。

 ①好奇心維持
 ②体重減少
 ③適度な肉食


 ③は大丈夫だが、②は結構難しい。①が一番の課題となってくるのだろうか。

 アイデアや提言は、この本の中にたくさんあふれている。

 突き詰めて言えば、上の三点を満たす「思考習慣」「行動習慣」と言えるだろう。
 自分には出来ているのか。


 巻頭にあった30項目の『「感情老化」度テスト』をやってみて、採点してみた。
 総点が実際の年齢より上の人は要注意!だそうだ。

 なっ、なんと47歳。

 10歳以上も若いなんて…えっ、予想外。

 しかし今までは良かったが、この後どうなるのか、ちょっと不安になってきた…とこう思うのが、感情の老化。

 血管年齢は高いけれど、感情年齢は40代だぞ!と言いふらすぐらいでなければいけない。それが前頭葉を刺激する。

 しかしまた、それをいつまでも言い続けているとすれば、老化である。

由無し事を書き散らす

2014年12月06日 | 雑記帳
 あの髪形は消えたのか…ユニークな髪形の子が登校してきた。都市部では当たり前になりつつあるようだ。その是非はともかく、昔の幼児の髪型を思い出す。「チンケ(っこ)」と呼ばれ、後ろを刈り上げながら、一部を残す。おまじないとは思うが,勝手に飛び出したりしないように大人が掴んでもいたような気もする。


 その英語は知らなかった…「3+2=5」を英語で言えるか。「スリープラスツーイコールファイブ」でよくないか。ところがそれは違う。「Three plus two equals five」だそうだ。equalsとなる。しかし「s」をつけようがつけまいが、通ずるだろうと思ってしまう。要は単語の数なのかと中学生みたいなことを考える。


 あの夢は何だったか…プールで泳いでいる。室内プールのようだ。実に温かい。仰向けになってぷっかり浮いている。あれっ、水着をつけていないではないか。これはどうしたらいい。周りの人に見つからないように、どんなふうに上がったらいいものか、思案している…これは心に何かやましいことがある証拠だろうな。


 そのネタは使えるのか…締め切りはまだだけれど、ここ一ヶ月以内に仕上げねばならない原稿が結構ある。数えたら、確実に7つ。書くことはおっくうではないが、それにしてもネタがそれだけあるのか…集材、選材モードで見直してみなければ…などと格好つけたが、こんなふうに書き散らしながら収めるんだろうな。

出でよ!しんがりのリーダー

2014年12月05日 | 雑記帳
 講談社の『本』12月号の平田オリザ氏の連載を読んでいたら、今まで出逢ったことのない言葉を見つけ、考えさせられた。

 しんがりのリーダーシップ


 平田を大阪大学に呼んだ、鷲田清一前総長が「逆方向のリーダーシップ」もあるのではないか、ということで名づけたらしい。
 つまり、人を引っ張ったり、説得したりする力とは異なる能力だ。

 それを次のように説明している。

 「しんがりのリーダーシップ」とは、逃げ遅れた奴はいないか、けが人はいないか、忘れ物はないかを見て回り、最後には「ここはオレが防ぐから、お前たちは早く逃げろ」と仁王立ちで踏ん張る、そういった能力だ。


 ふと、最近訃報がもたらされた、あの大物俳優の姿が重なる。
 映像だけでなく、実生活の様々なエピソードにも当てはまっているのではなかったか。

 それにしてもそんなリーダーがいなくなった。
 某巨大政党にも昔はそんなリーダーが確かにいたのではないか。
 今は皆無とは言わないが、その資質を持った方々が埋もれている気がする。


 「しんがりにはあの人がいてくれる」と思えることは、きっと力につながる。
 安心して取り組める、思いきって頑張れる…そういう仕事の向きを保障できる。

 この、おそらくは多くの人には評価されない難役は、目指したから出来るわけではないけれど、そして今までそんなふうに努めてきたかどうか全く自信はないけれど、これからの時代に、自分たちの世代が担う一つの役割ではないかという気がした。

 責任はそうやってとるべきなのかな、としきりに頭の中を声が駆け巡る。

12月号から読み拾う言葉

2014年12月04日 | 読書
 『図書』…徳永進医師の連載は、命の現場が描かれていていつも読み入ってしまう。今月号で響いた言葉「大体のことは『思い』と『思いがけない』で進む。『思いがけない』が事を大きく決めていく気がする。」延命治療をしないと約束していても、その場でひっくりかえったりする。また、尊く貫かれる意志もある。


 『波』…立川談志の書評を書いた和田尚久氏が、談志を「矛盾のかたまりのような人だった」と評した。その説明に深く納得させられる。「いつもぶれている人だった。文脈に左右され、みずからを裏切る言動が、しかし、その瞬間に於いては、真実の強さを持っている」徹底的に頑固であることは、かくも美しい。


 『本』…高島俊男氏の連載「漢字雑談」は「外来語」がテーマだ。今まで気づかなかった問いがたくさんあった。「外来語という前はなんといっていたか」「どこまでが外来語の範囲か」「どうして中国から入ってきた語は外来語でないのか」…ある程度の答えは出ているが、あまりに増殖しすぎてぼやけているのが、正体だ。


 『ちくま』…斎藤美奈子氏の書評はいつも興味深い。今回のテーマは「女子」。自分の印象では10年ほど前に、ラジオ番組でそんな使われ方をしていたことを思い出す。その中心が「40代女子」と知って、結局はアラフォーと同じように、購買意欲を促すための名づけが大きいと納得する。何事も経済、経済なのか。

一年生の「今年の漢字」の声

2014年12月03日 | 雑記帳
 子どもの表現は、大人の世界の反映だなあと、今さらながら思ってしまう。
 また、そしてそれは時々大人にとって忘れかけていたことを思い出させてくれる。


 本校では漢字検定協会の主催する「今年の漢字」に、団体応募を続けているようで、今年もその取組みが校内掲示されていた。
 掲示している様子は簡単なスナップにして、学校ブログへ載せておいたが、掲示された作品を改めて読むと、とても面白い。


 極めて個人的な視点で拾い集めて、評してみよう。

 まずは「金」を取り上げた子がいる。
 普通だと「金メダル」とか華やかなことをイメージしそうだが、そうではなくて「理由」にはこう書かれてあった。

 「金」…今年1年は、特に消費税が上がったと思います。だから「金」という字をかきました。(5年女子)

 小さい学年の子も同じように書く。

 「八」…しょうひぜいが8パーセントになったから。

 子どもたちも苦しんでいるんです。


 全学年見てくると、やはり一年生は圧倒的に面白い。脈絡の意外性というか、端的というか…

 「足」…あしのくつが21.5だからです。
 
 「木」…木はどんどん大きくなります。
 
 「口」…口を大きくできました。



 漢字に目をつけた興味深いものもある。

 「土」…つちていうかんじは、四年生でならう、さむらいというかんじににてるから。
 (おそらく「士」だろう)


 もちろん、現場教員にとって嬉しくなる取り上げ方もある。

 「人」…がっこうにはいって、たくさんのせんせいやおともだちにであうことができたからです。
 
 「学」…学校にはいって、字やけいさんを学び、山のふん火などのしんさいがあって、いのちのまもりかたをまなばなければいけないと思ったから。



 えらいぞお。

 同時に心配性な子もいる。

 「子」…だんだん子どもがへってきているから。


 そうかあ、気にしてくれたか。一方それに対する希望的観測もある。

 「女」…おんなのひとがしごとをがんばっているからこどもをうむ。


 なるほど。これからのウーマンはそうでなくてはいけない。
 男よ!しっかりしろ!と自戒の気持ちになっていたら,圧巻の作品を見つけた。

 「男」…がんばったからです。

 よくぞ書いてくれました。

題名の半分に偽りありだけど

2014年12月02日 | 読書
 「2014読了」128冊目 ★

 『山中伸弥先生に、人生とips細胞について聞いてみた』(山中伸弥 講談社)

 「やさしい語り口で、中学生から読める」と大きく本の帯に書かれている。
 これなら理科オンチ、科学オンチの自分でも大丈夫かなあと思ったが、全般を通して(特に後半部は)、一定の知識がないとちょっとつらくなる部分もあった。

 本で紹介されているエピソードは、ノーベル賞受賞時にいろいろと報道されていたものも多く、必ずしも順調に来たわけでないことは知っていた。題名にある「人生」はほとんどそこで言い尽くされているようであり、どうしてもIPS細胞発見前史のようになってしまうのは致し方ないか。

 第2部のインタビューの冒頭は興味深かった、
 アメリカから帰った後、なかなか成果を出せずに苦しみ、自己啓発の本などを読みこみ、次のように自分を納得させたこと。

 「高く飛ぶためには思いっきり低くかがむ必要があるのです」

 それから「研究の継続性」に悩んでいたときに、利根川進先生に励まされた一言。

 「面白かったら自由にやったらええんやないか」



 「2014読了」129冊目 ★

 『ビートたけし童話集 路に落ちていた月』(ビートたけし  祥伝社黄金文庫)

 ビートたけしが、ふつうの童話を書くわけがないだろっと思いながら、ページをめくったら、これは、いわゆるネタ本のようなものだとわかった。
 たけしワールドであることは確かだ。

 まあ、単なるダジャレめいたものはないが、パロディ、ブラックジョーク等の類だ。

 思わずニヤリとしたのは…
 信長・秀吉・家康の「鳴かぬなら」の句に続いて、こうおとす。

 長嶋さんは「鳴かぬなら、自分が鳴きますホトトギス」と言った。

 思わずわらってしまったのは…
 自殺の名所で、あまりに有名になったので増え続け、そこに張り込んでいた新米のお巡りさんが、一人の女が飛び込もうとするのを、急いで捕まえて、思わずこう放ったという。

 「お前だろ、ここで毎日自殺してんのは」