すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

素人審査員のCM評価

2014年12月21日 | 雑記帳
 録画していた「あきたふるさと手作りCM大賞」を見た。毎年楽しみにしている。我が羽後町も参加しているが,成績がふるわず「なぜ私に依頼がこないのか(笑)」と一人勝手に思っている。ところが今年は「審査員特別賞」を見事に受賞。製作者は本校保護者であった。素晴らしい。番組には児童も参加していた。


 そちらの出来栄えの評価はともかく,今年は「最優秀賞」が秀でていた。審査委員長の若松節朗映画監督の講評でもあっさり決まった旨が話されていた。見終わって「上手い」と感じたのは,正直これ一つだけ。映像のよさ,構成力が優れているし,ナレーションも合格。これは東北大会でも期待できるのではないか。


 個人的に惜しいと思ったのは仙北市。「〇〇の木の下で」という題をつけたシチュエーションがいい。難点はモデルの表情とナレーションか。このあたりは学生作品の限界だろうか。とかなり評論家っぽく言ってみました。四季を映すのはありがちだが,テーマを絞り込めば十分ストーリーが出来るという証明だ。


 もう一つ。大潟村が入賞しなかったのは何故かわからない。水準としてはかなり高いと思う。ただ,テーマの「つなぐ」は平凡ゆえに,字体の安直さは大きな減点か。それがあったとしても,モノクロ画面を取り合わせたセンスは,結構なレベルと思うのだが,昨年が最優秀だったので,その辺りの配慮もあったのか。


 限られた短時間でのアピールは難しいものだ。インパクトの強さをどこに持ってくるか。そう考えると,多くが使う総花的にぱっぱっと切り換える手法とともに,じっくりと中心場面を際立たせる手法もあるような気がする。これにはきっといい「役者」が重要なんだろうな,と頼まれもしないのに構想している。

制服を着ながらもがき続ける

2014年12月20日 | 雑記帳
 久しぶりに『文藝春秋』誌を買った。
 行きつけの書店でたった一冊だけ残っていた。
 ねらいは、「高倉健 最期の手記」だった。手に取ると表紙には「戦後70年記念特大号・完全保存版」と赤字で記されている。
 ずいぶんとボリュームがあるから、ずいぶんと読み応えがありそうだ。


 まずは健さんの手記。
 亡くなる4日前に完成し編集部へ届けられたという。

 「諸行無常」で始まり「合掌」で終わる、その遺稿は淡々と映画人生を振り返るものだったが、文章の持つリズム感はインタビュー等で見せる朴訥な面とはまた違う印象がある。
 数日前、録っておいたNHK特集でその姿を見たばかりなので、よけいにその差異を感じる。
 しかし、表面上はどうあれ、俳優高倉健としての本音は、この文章に尽きることだろう。

 僕は、志があって俳優になった訳ではない。思いもよらない変化をかいくぐりながら、出逢った方々からの想いに応えようと、ひたすらにもがき続けてきた。


 6ページ分になった遺稿に続き、沢木耕太郎が20ページにわたって「深い海の底に~高倉さんの死」と題して書いている。

 出逢いのきっかけ、親しくなっていく経緯、少しのすれ違い、そして果たせなかった願い…沢木の筆力によって、そのつかず離れずの視点からの高倉健がよく伝わってくる。

 二人で映画づくりへの道を探るうちに、沢木が気づいたことがあった。
 高倉には「制服への強いこだわり」があるようだと書いている。その点が理解できない沢木とは、結局映画化が実現しなかった。
 しかし「制服への強いこだわり」というのは、もしかすれば任侠路線の頃から現在に至るまで貫かれているのではないか、と想像できる。

 それは、高倉本人自身も「自分を変えた一本」として挙げている『八甲田山』にも強く現れているだろう。『鉄道員』もまさしくそうではないか。

 制服は、整然さや強さの象徴でもあるが、同時に一面では自分を縛っている。
 その理不尽さと対峙する人間性に、高倉健の魅力が発揮されてきたように思う。

歳末読書②~デッドボールすれすれ

2014年12月19日 | 読書
 「2014読了」135冊目 ★★★

 『結婚失格』(枡野浩一 講談社文庫)


 「書評小説」…そんなカテゴリーはないだろう。しかし、章ごと(月別)に必ず一冊が取り上げられ、長短、深浅はあるにしろ著者の考えや思いが述べられている。こういうスタイルは新鮮だった。小説なんて書けるとは思わないが、書評を取り込み形を成していくことに刺激を受けた。あとがきを読むと、そもそもの依頼が書評だったことにも虚を衝かれた。


 内容は、離婚を扱った「ほぼ私小説」。最初はなんとなく著者に共感?同情?しながら読み進めていたが、途中からなんか違うと思い始めた。そこのところを解説の町田智浩が実にうまく表現している。曰く「『正しさ』と愛は関係ない。人はむしろ正しくないものを愛してしまう」…この真実になかなか気づけず、足掻く様子は滑稽でもある。「痛い」がぴったりだ。


 ライバル視?されている穂村弘が、寄稿している。ネット上の乱暴な批判にもいちいち反論していく枡野を、こう評する。「彼は捨て身の正直であり続けることができる」。自分の客観視を得意とする穂村は、その性格、行動を見事に読み切って、遠ざかりながらも、妬んでいる節もある。わかりやすい。要は、デッドボールすれすれの球を楽しめるかということ。


 町田智浩の解説が実に素晴らしく、何度も読み返した。太宰の「人間失格」とこの「結婚失格」を比較しながら進める論は、「正しくなさ」の受け止めという、文学や芸術の役割を考えさせてくれる。「居場所さがし」のようなことがもてはやされる世の中だけれど、実は何度か居場所や自分そのものを捨てるという経験がないと、手に入れられないものは案外多い。

歳末読書①~ぴったりフレーズ

2014年12月18日 | 読書
 「2014読了」133冊目 ★★

 『PK』(伊坂幸太郎 講談社文庫)

 大森望が解説に書いているが、まさに「騙し絵的な趣向の一冊」。表題作の「PK」、そして「超人」、「密使」という三作で構成されている。つながりはあるのだけれど、単純ではなく、その意味がおぼろげにわかるのは「密使」でということになるが、それも振り返って考えてみないと、少しごちゃごちゃになる。タイムトラベルの新解釈ともいうべきだろうか。


 「PK」が単純にペナルティーキックだけではないなと予想していたが、本文ではわからず、解説子が謎解きをしてくれた。PKは「psychokinesis」サイコキネシス(念力、念動力)の略だという。なるほど。読者に伝えたい願いは「憶病は伝染する。そして勇気も伝染する」というアドラーの言葉として紹介される。伊坂作品にはぴったりのフレーズでもある。



 「2014読了」134冊目 ★★★

 『打たれ強く生きる』(城山三郎  新潮文庫)


 昭和期の執筆である。しかし、いいものはいい。
 ビジネスマンのみならず、仕事人の励みとなる珠玉の言葉が、いくつもいくつも紹介されている。
 今回のベスト3をメモしておく。


 劇団四季の浅利慶太が、劇団の入団者へきまって言う掟。

 「この世界は不平等と思え」


 ニューヨークの精神科医石塚幸雄が、著者に語った「生き残りの条件」

 「インティマシ―」(家族とか親しい人たちとのつき合い)
 「セルフ」(自分自身だけの世界~信仰、読書、思索、個人的趣味など)
 「アチーブメント」(仕事、目標や段階のある趣味など)



 そして、著者が時間について語ったことの一つ。

 人生の持ち時間は限られている。その中で、時間を忘れるほどの陶酔をどれほど多く持ったかで、人生の価値が決まるような気がする

奢りや高ぶりを冷ました方がいい

2014年12月17日 | 雑記帳
 暴風雪といえば、いくつか思い出すことがある。もう三十数年前の初任の学校で、1月末に厳しい日があった。私は当時、冬季だけ校舎に隣接して建てられた教員住宅に泊っていたのだが、わずか百メートル足らずの距離を15分もかけて住宅にたどり着いたのだった。車通勤の職員の多くは学校を出られなかった。


 その日のことを作文に書いた子がいた。私が夕食をお世話になっている家の息子であった。雪深い山間部に暮らしていても初めての体験だったようで、吹雪で息の出来ないつらさ、家へ着いたときの安堵感がよく書き込まれていた。「自然の厳しさに対峙するとき、人は心を動かす」という当たり前のことが心に響いた。


 それから約20年、再びその小規模校へ勤めた。ある年の二月初旬、6年生5名を車に乗せて、隣市の大規模校へ交流しようと出かけた。その時も酷かった。ようやく到着して三十数名の学級に加えてもらい合同授業をした。私も国語の一コマを持ち、楽しかった。朝はあんなに激しかった風雪が、帰りは穏やかだった。


 山間部の学校勤務が多く、当時はスキー全盛期だった。スキー授業のときも何度か猛吹雪にあった。今だと止めるのかもしれないが、昔は大変と思いつつ、なんとかやり抜いたものだ。栗駒で滑ったとき、子どもたちと共にコースを見失い、どんどん深くなる雪に心細くなったことがある。視界何メートルだったのか。


 結局、事故にならなかったので、こんなふうに述懐できる。今回の暴風雪も大きな被害がないことを祈りたい。雪であれ噴火であれ地震であれ、私たち人間は、結局のところ自然に支配される存在であることを時々思い知った方がいい。身を守りつつ、窓の外を見つめて、日頃のおごりや高ぶりを少し冷ました方がいい。

適度な不明さのある賀状

2014年12月16日 | 雑記帳
 そんなに熱心に取り組むわけではないが、年賀状づくりには毎年少し悩む。オリジナル一辺倒というわけでもない。しかし職についてから印刷を他にお願いしたのは、わずか2回。上の娘が1歳のとき、そして学校に入る年に姉妹で撮ったとき、どちらも写真店に頼んだ記憶がある。あとは自前でそれなりに作ってきた。


 職についた頃はプリンターなどなかったので、こっそり印刷機を使わせてもらったり(もう時効ですよね)、その後は、例のプリントごっこを使った多色刷りができるので絵を描いてみたり…忙しいわりに結構やったものだ。何か気のきいた言葉を書き添える形にしたことが自分の特徴だろうか。その頻度は多いと思う。


 パソコンを使うようになってからは写真入りが多い。腕前はたいしたことがないのに、いっぱい使いたくて、一昨年などは十数枚も無理やりにはめて構成した。かなり過剰な自己満足だとわかっている。たった一人でも、それが家族でも誉めてもらうと嬉しいこの単純さよ!それゆえに?デザインに大胆さがない(自評)。


 何でもかんでも詰め込み過ぎ。まるで研究会などで授業をしたときの悪癖がそのまま出ているようだ。イメージやメッセージを絞り込みすっきりと、と思うのだが、作り始めているうちにあれもこれも、となる。この余白がサミシイ、となる。これはやはり貧乏人の発想だろうなと思う。それでは受け手に響かない。


 で今年は…と数日前から考えて、今年は折句を久々に使おうと決めた。それを中心にあとはごくシンプルに構成したい。休日、ソフトや今までのデータなど見ながら取りかかってみると、やはりいろいろ入れ込みたくなる。そこをじっと我慢、我慢で、極力抑え目のデザインに仕上げてみた。インクの一色が妙に減る。


 素案が出来たので、連名差出人である家人へ見せる。「いい」と評価したが、肝心の折句を読むのに難儀する。あまり使われない書体だからだ。読みやすくするかと考えるが、もしかしたらこの読みにくさ、わかりにくさがなかなかよろしいのではないか。適度な不明さが人を引きつけるのは、授業の基本でもあった。

どう反応すればいいのか…

2014年12月15日 | 雑記帳
 タレントのベッキーの本名がレベッカだった,とネットで騒がれて?いたが,どう反応すればいいのか。ハーフだろうから普通といえば普通。しかし本名というからには,礼子とかみどりとか希恵とか(別に他意はない例)日本名だからこそインパクトがある。それをレベッカと言われても,ソウデッカという感じだ。


 今年の漢字は「税」。子どもからも予想として挙がるような字だったなあ。「税」といったら,消費税しかないわけだから,あまりに重ねる意味のない,従って漢字の特性を生かしきれない選択だった。ちなみに「禾」は収穫物のこと,「兌」(ダ)には「ぬけでる・ひきとる」の意味の他に「よろこぶ」もあるのだけれど…。


 週末に長時間モノマネ番組をやっていた。「汐留組」とか「お台場グループ」とか使い,長らく日テレとフジで出演タレントが棲み分けていたことを楽屋ネタのように話していた。マンネリを打破する一つの手ではあるが,結局廃れてきた証拠。だからどうだという気になる。人を喜ばす工夫とは別にあるのではないか。


 昨夕,選挙の投票率の速報が出され,4時か5時現在,我が秋田県が二十数パーセントで全国最下位だったことに驚いた。結局,今朝の新聞で期日前投票がこれも二十数パーセントで逆に全国一高かったため,そんなに悪くはなかったようだ。投票率は高いが宜しいと思うが,期日前が高い理由は…何か秘密があるな。

冬になると沁みてくる歌声

2014年12月14日 | 雑記帳
 何故か自分でもわからないが、BSのドラマ「キャロリング~クリスマスの奇跡」という番組を見続けている。ストーリーも特別ではないし、出演者の演技ははっきり言って下手だし…ただ主題歌で広瀬香美の声が聞こえてきた時、「ああ冬だなあ」としみじみ思った。そういった雰囲気を醸し出す歌声はあるものだ。


 車に乗ると通勤時間がほとんどないので音楽も聴けずじまいの毎日である。わずかに出張などがあった場合に、ふらっと聴こうと思いカーオーディオをつける。で、先日ああ聴きたいと浮かんだのは『嘆きの雪』という曲。小谷美紗子の強さは独特だ。夏にはけして聴こうと思わなかったが、寒くなると沁みてくる。


 もう一人、冬向けといえば平原綾香だ。この頃、アルバムを買っていないが、デビューから数作は全部買ってある。そのなかでも2枚目の『BLESSING 祝福』が最高である。冬、吹雪の中を運転していてこの曲ほどマッチするのは、めったにない。と極めて個人的な見方(聴き方)を披露した。全部、女性歌手か。


 女性ボーカル好きとはそんなに意識したことがなかった。しかし、今年後半に買ったのは竹内まりやだけだし、先週久々に注文したのは『昭和の歌』だし…これは泉谷しげるとのデュエットとなっているが、実質は女性ボーカルによるカバー集だ。聴いてみるとこれがなかなかいい。妙齢の方々が多いようですが。


 やはり大竹しのぶ『黒の舟唄』がいい。夏木マリが憂歌団の『胸が痛い』を歌っている。実に渋い。彼女のキャラクター(どんな?)にぴったりと合っている。『ヨイトマケの唄』に参加している佐々木秀実は知らなかったが,すごく魅力を感じた。そうしたらなんと,男性!シャンソン歌手。CDをさっそく注文した。

理性や感情より大事なこと

2014年12月13日 | 雑記帳
 アフガニスタンで長い間医療活動や人道支援を続けている中村哲氏のインタビュー記事を読んだ。

 昆虫への個人的な興味からパキスタンへ赴任、そして隣国のアフガニスタンへ…一括りに30年というけれど、私たちには想像もできない出来事の連続だったに違いない。

 そこから何を学ぶか、なんて簡単に文に起こせない気もする。
 しかし、こうしたいわば人生の達人とも言うべき方々の言葉は、私たちの些細な日常の暮らし方にも、大きなヒントを与えてくれる。

 本当に大きな視野で物事を対している人間だけが持つ、独特のエネルギーというか、パッションというか、そうした強靭さを感じるからだろうか。

 今回、目にとまった言葉はこれだ。

 文化や宗教の違いをうんぬんするより、相手に合わせて「何か」を実現する。そのほうがずっと価値が高いと思います


  生命に携わる職業ゆえに、その優先順位ははっきりしているはずだが、その前に「人」ありき、ということが伝わってくる。
 医療の妨げになる習慣や風習があって、それを自分たちの価値観で退けることの独善性をしっかり見つめている。
 もしかすれば、患者にとっては「命」を超える問題であり、それをまず理解する心がないと踏み込めない現実があるのだ。

 そういう場面をいくつもいくつも経験したことだろう。

 瑣末な自分の現実に照らし合わせたとき、「違い」を理解する心、そしてすり合わせられる範囲で実現できることを増やす努力、それらの積み重ねで、いくばくかのつながりが出来ていく…ということを教えられる。

 さらに言えば、自分の理性や感情ではなく、肝心なのは「何かを実現する」ことだ、という明確な目的論であることがわかる。

 次の言葉も噛みしめたい。

 見慣れないものがすべて劣であり、嫌いなものだとは限りません。そこにあるのは見慣れたものとの「違い」だけ。コミュニケーションは、その「違い」をありのままに受け止めることから始まるのだと思います。

 30年の重みが載っている言葉である。
 受信から始まるコミュニケーションという意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきだろう。

我が読書との交際宣言

2014年12月12日 | 読書
 「2014読了」132冊目 ★★★★

 『多読術』(松岡正剛 ちくまプリマー新書)


 数年前だったが、ネットで著者の「千夜千冊」というサイトを見たとき、いやあ世の中には凄い人がいるものだと圧倒された記憶がある。私程度の読書などは百分の一いや千分の一にも及ばないと感じさせられた。
 そして今、この新書を読むにつけ、その「読書の巨人」ぶりに改めて畏れ入るばかりである。

 著者がこの本で繰り返し使っている言葉は「編集」である。
 例えば、この一文は要約の大きな一部を占めるだろう。

 読書は「自己編集」であって、かつ「相互編集」なのです


 こういう切り口は新鮮であった。
 その手法として「マーキング読書法」などの紹介もあるし、「読み方」に関しても実に多様な提案がある。
 それは、提案が多様であることと同時に、多様さを提案していることなのである。
 「○読」という熟語の形で示したことばが25個。「感読」「耽読」・・・「乱読」「吟読」・・・・・・そして「熟読」「逆読」まで、こんなふうに縦横無尽に読めるということは、やはり意識的でなければならない。

 自分の読み方にもいくつかのパターンはあるが、その数種類から抜け出せないのは、読書ジャンルの偏りも一因だろう。
 かといって、苦手な古典や外国文学に手を伸ばすには遅すぎる。

 せめて興味の湧く分野においては、一言語れる存在になりたいものだ。そんなふうに考えると、実際の本の選び方に節操もないし、量的にもまだまだだなあと思う。

 著者はこうも書いている。

 読書は交際である


 「交際」などと聞くと、どこかドキドキしてしまうのは世代的なことかもしれないが、そのドキドキ感を求めて、本を手にするのではないだろうか。

 年間100冊以上を広言してから16年目。多くの方と交際させていただいた。
 この後も新しい人との出会いを求めつつ、やはりつきあいの深い人とも交友を温めるのだろうか。

 「あとがき」に、いい本の評価について記していることが面白い。
 その程度を知ると、今のペースぐらいが自分にはちょうどいいのかもしれない。

 著者三割、読者三割、制作販売三割、のこり偶然が一割という相場だろう。


 まだ読み終えていない文庫等がたくさんあるのに、また昨日も『PK』(伊坂幸太郎)と『マスカレードイブ』(東野圭吾)を買ってしまった。