はじめに
葛飾区には、この地に伝わる民話や伝説を、古老や文化人から収集した「葛飾むかし話」があります。葛飾区児童部児童課でまとめたものです。
その民話や伝説の地を訪ね、むかし話と今の面影・物語にまつわることなどを探し求め訪ねて、物語をアタックしました。
お花と将軍様=むかし話
≪あらすじ≫ お花茶屋発、将軍鷹狩りお成り。徳川吉宗が腹痛を起こした。その時、名前がお花という娘の看病により、快気したとの言い伝えがある。
お花茶屋駅
お花茶屋駅前商店街
江戸時代、今のお花茶屋から亀有方面にかけては、沼や池が多く、徳川将軍家の猟場として毎年、秋から翌春にかけて、お鷹狩りが行われていました。
ある秋の暖かい日のことです。八代将軍吉宗公は、大勢の家来を連れて鷹狩りをしていました。
曳舟川親水公園の鷹狩り場面モニメント
と、急に、
「く、く、苦しい。」
と、将軍様は、お腹を抱えて苦しみだしました。
家来たちは驚いて
「上様(うえさま)」
「上様」
と、ただ立ち騒ぐだけで、どうしたらよいやらわかりません。
まもなく、家来の一人が、近くに茶店があることを見つけました。
茶店とは、お団子やお茶を出して、旅人を休ませるところです。
と、家来たちは、将軍様をいたわりながら、その茶店に急ぎました。
その当時、このあたりに近い四ツ木街道には、茶店が3軒ありましたが、将軍の行き着いたところは、そのうちの一軒で、新左エ門と言う茶店でした。
主人の新左エ門は、早速先祖から伝わる宝物の一つである銀の茶釜で沸かし、お花という美しい一人娘に薬を煎じさせました。お花の懸命な看病もあって、将軍様の病気はだんだん良くなり元気を取り戻しました。
そして「お花!お花はどこにいる!」
と、大きな声を出せるようになり、将軍様はもとより、家来たちも喜びました。
将軍様は、「お礼に心ばかりだが、店の名前を付けてやろう。新左エ門でなく、お花がいつも居る茶屋、”お花茶屋”とするがよい」と言い、帰っていきました。
吉宗公は、それからもお鷹狩りに来ると、必ずこの茶屋に立ち寄り、お花の入れてくれるお茶を楽しみました。
それからはお花の名前が日ごとに広まり、近くは隣村から、広くは江戸じゅうに広まりました。
今でもこの辺りは『お花茶屋』とよんでいます。(完)
葛飾区児童部児童課発行「葛飾むかし話」から出典