日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

文化的遺産・山本亭

2020年12月04日 | 総  建物、公共施設

 

柴又・山本亭内の通路を歩く

≪寅さん記念館への通り抜け道≫

カメラ部品で財を成し、その後葛飾区に移管された

 

 

 

山本亭の歴史

建築された年は不明であるが、大正末期から昭和初期に増改築を重ねて現在の姿になったとされている

もともとこの土地は庄屋の鈴木家の土地で、1923年(大正12年)の関東大震災まで
鈴木家はこの場所で瓦工場を営んでいた


潜り戸付近の案内板

現在の「山本亭」を構えた山本栄之助は、浅草でカメラの部品を製造する合資会社

山本工場の経営者で、住居も浅草小島町(現在の台東区小島付近)にあったが

関東大震災で浅草が被害を受けたため、柴又に移転。この際に鈴木家の瓦工場跡を取得し移転した。

以後、山本家が住んでいたが、1988年3月14日に葛飾区の所有となり、1991年4月から一般公開された。

現在では伝統行事の披露会や、琴の演奏会など多彩に開催されている。

2003年7月28日に東京都歴史的建造物 に選定された。番号は62番

2018年には「葛飾柴又の文化的景観」が重要文化的景観に選定されており、山本亭は景観の一翼を担う

裏口から中に入る通路付近の一分を散策した。

 

 
 白壁は帝釈天題経寺と右側奥の白壁作りが山本亭

 
       山本亭裏入口、
寅さん記念館への通り抜け道。

 

       

 
 通路竹垣と白壁の土蔵(右上)  


  竹垣と生垣の組み合わせ

 


  庭には柿が熟していました。柿の木先100m江戸川土手


  柿を食べにモズが来ていました。

 

青空に百舌が啄ばみ枝が揺れ (縄)

 守り柿では多すぎし青い空(同上)

 

 

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お越し有難うございます。

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船着き場

2020年07月04日 | 総  建物、公共施設

葛飾区北沼公園船着き場
 災害や非常時に水上交通により物資の運送に使われる

 

 

 

この付近は散歩コースでいつも散策に利用する道路です。

此の船着き場が出来たのは相当前ですが、太陽光による照明装置が設置されたので以前と違い目立つようになりまた。

災害は24時間いつどこに発生するか分からない。そんな関係から夜間でも船着き場が利用できるように整備したのでしょう。

 


 葛飾区内の河川に6ヶ所有ります。

 


 奥戸新橋西詰めに設置された案内板

 



 防災エリアマップ、
防災拠点(避難場所)が明示されている。


 北沼公園船着き場の看板


 船着き場、
もしもの時非常災害の時、緊急物資の搬入し防災拠点に運ばれ被災者の元へ・・。


 新設された、太陽光の照明

 


 太陽光の照明装置

 

『災害は忘れたころにやって来る』
今朝6日の7時のニュースを見ていましたら、梅雨前線の活発化により、熊本・鹿児島県地方に大きな水害が発生していた。
被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

都市社会においては暴風,豪雨,豪雪,洪水,高潮,地震,津波等々
何が起こるか分からない。備えあれば患いなし。

 

 

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閘門橋 その3 総集編

2020年06月05日 | 総  建物、公共施設

youtubeで・・・これですべてがわかる

 

 

葛飾区登録文化財、土木学会選奨土木遺産

 


閘門橋石のベンチ


 

水は高きから低きへ流れる

流れ流れて行く末はどこへ

天に上がりて雲となり

またまた地上へ落下する

閘門橋をせき止めて

大きな大きな池と成す

多くの田畑や生き物を潤す

 

 

水元・閘門橋がバッチリ 分かる

 

 

shut

 

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閘門橋 その2

2020年06月04日 | 総  建物、公共施設

入り組んでいるので「簡易閘門橋マップ・目次」を作りました

 

 

名称閘門橋

所在地東京都葛飾区竣工年1909(明治42)年選奨年2013年に平成25年度選奨。

閘門橋は、明治時代に建造された.

都内に現存する数少ないレンガアーチ橋であり、上流側と下流側でアーチの門数が異なる。

非常に珍しい構造の橋梁だけでなく、樋門としても貴重な土木遺産であります。

 


現在は歩道橋

 珍しい橋なので説明が分かるように名称を付した。 



煉瓦作りのベンチ

 



閘門橋銘板

橋の竣工銘板には明治42年と刻まれている。地元の水利組合によって造られた、
都内に現存する数少ないレンガアーチ橋である。

現地の説明板によると「閘門」とは、水位、水量等の調節用の堰のことで、
古利根川の逆流を防ぎ、水田の水源確保などのために造られたものという。

上流側と下流側でアーチの数が異なる珍しい構造の橋梁である。

 

 

                    
   東京側の石のモニメント       埼玉側石モニメント

 


 56号線にせり出し踊り場


 せり出し踊り場とと56号線(右)


 水門を操作するモニメント

 


水元小合溜井か流れ出た水量
 水門を操作するモニメント


 レンガ作りの閘門橋           ベンチ ↑

 


 水元小合溜井にせり出し踊り場部分


 小合溜井から中川方向への水流の勢い

 


 水元小合溜井方向を見る

 

 

 

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東京(水元) ⇔ 埼玉(三郷)に架かるレンガの橋

2020年06月01日 | 総  建物、公共施設



閘門歩道橋・水元の閘門橋 その1

 

                  1、運河・放水路などで水量を調節するための水門。

                  2、水位の高低差の大きい運河や河川などで、船舶を通過させるために水をせき止めておく装置。

閘門には1・2の方式がありますが水元閘門橋は、1の水量を調節するためのものです。

 此処の水元閘門橋は、古利根川と小合川(現・中川と大場川、小合溜)の水害防止目的で造られたレンガ造アーチ橋。


 

 



閘門橋(葛飾区登録有形文化財)(西水元6丁目)
 

 東京都内ではここだけにあるレンガでつくられたアーチ橋です。

レンガは金町煉瓦会社のもの。小菅煉瓦工場とともに、文明開化以降そこかしこに造られたレンガ造建築を支えた。

そんな歴史あるレンガで造られた橋は、現在、生活の往来を支えている。

古利根川と大場川の洪水を防ぐ目的で、当時の最新の技術を取り入れてつくられ、

水の量を水門で調整していました。
 
 西側のアーチ構造は5門あり、水をせき止める板を上げ下げする溝があります。

東側のアーチ構造は3門で、手すりが石でできています。

橋の上は歩道になっていて、歩いて通ることができます。

 

クリック拡大します ↓

              
全体図           閘門橋銘板          閘門歩道橋

 

以前にも紹介いたしましたがまたこの閘門橋を検証してみたいと思います。

レンガ作りですが、当時葛飾に2つのレンガ工場がありました。

これらも併せて、違った面から検証してみたいと思います。

内容を数回に分けてUP致します。


≪ 次回は『金町煉瓦工場・小管煉瓦工場&閘門橋につい』てです。≫

 

 

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一之江名主、庭園&屋敷林,NO5(完)

2020年03月29日 | 総  建物、公共施設

主屋の周辺の様子
屋敷林の雑木林・庭園・池・堀



竹林、池、鳥居(祠)等などとにかく主屋の周りは広い広い、

動物でも出てくるように鬱蒼としていた。

一之江名主の由来についてはNO1  に記す。

 


 主屋の曲がり部分


 屋根に向かって放水銃、もしもの時にここから水が出ます。反対側にもう1基。


 屋敷の神 


 竹  林


 石灯篭


心の形取った池が…


 屋敷林を取り囲むように堀が

現在の主屋は安永年間(1772年から1780年)の再建ですが、

屋敷林や堀をめぐらした屋敷構えは、創建当初のようすを伝えています。古い建物です。

 

 

 

           茅葺の居間に入りてもの思い
                   古のこと浮かんでは消え(縄)

 

 

 

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一之江名主屋敷の内部 ,NO4

2020年03月13日 | 総  建物、公共施設

名主屋敷内部の様子
重厚な作り、床や柱は黒く輝きて


 

平成元年~4年の間に大掛かりな改修を行いました。

経年劣化のため不同沈下や劣化の損傷の修復、屋敷林の景観の整備など、

茅葺に至っては全面改修をしました。

囲炉裏の年間の日常使用に改めました。

 


 平成18年に全面葺き替え(静岡県御殿場のススキ)を実施。
葺き替えにはなんと5000束、約30tもの茅を使用したそうです。


「台所とカマド」


土間の大黒柱。
伝統的な日本の民家建築で,土間と床上との境目の中央にある柱をいう。 けやき材などを使った最も太い柱で,念入りに磨き上げることが多い。

 


  「板の間」。「イロリ」が復元され「自在鉤」、「火棚(ほだな)」を設置。毎日、囲炉裏で薪を燻しています。
板の間の黒光りが印象的です。


 太陽の光が差し込んでいます。
普通囲炉裏近くまで差し込みは珍しい。
天戸、障子を全面的に開け放し、風通しを良く、
家屋全体の乾燥に努めているのでしょう。

天上の横柱の頑丈な材料!目を見張るばかり。

 



「槍掛け」飛び道具
玄関上に掛かっていました。


 水場、台所


 カマド 薪で煮炊きするカマド


土間の「マス(穀物の収納庫)」。
主屋(曲がり家)は、住まい部分と土間部分に分けられますが、土間は脱穀などの農作業をしたり、用具の置き場に使っていました。


 3月3日の雛祭りの節句でした。7段飾りです。

 

 

 

締めています

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一之江、名主屋敷,NO3

2020年03月11日 | 総  建物、公共施設

重厚な茅葺屋根、広い屋敷林のある家

(江戸川区春江町2-21-20)


 

江戸時代の村役人,町役人。郷村では村落の長として村政を統括。

組頭,百姓代と合せて村方三役と呼ばれ,郡奉行や代官の支配を受けた。

名主の呼称は主として関東で行われ,関西では庄屋と称した。

初期には土豪的農民の世襲が多かったが,中期以降は一代限りとなり,惣百姓の入札,推薦によることが多くなった。

ほかに町方で町奉行の支配を受けて町政を担当する名主や牢名主などがあった。

(ブリタニカ百科から出典)

 長屋門、主屋については前に紹介しました。

 


① 
外縁を配し天戸、廊下の作り屋根の厚さ


② 
中廊下と言うのか?


③ 
↑ の画像を反対方向から見る。


④ 

厠・川屋・雪隠・東司・後架…いくつ読める?いろいろあるトイレの 呼び方。

(WC)は廊下続きで離れて外に…。


⑤ 

裏のお勝手口入口です。裏の屋敷林が続きます。

 


⑥ 

西方向から座敷を通して囲炉裏を見る

 囲炉裏の天井、大きなカギがありますが自在鉤(竃)を掛けます。
煙で燻っています。






 囲炉裏に赤々と火が燃えて、煙が・・・・






 鍵の手の曲がった屋根、曲り屋のポイント部分。



名主家概略図


名主住宅の鳥瞰図、屋敷林が広いです。


主屋の見取り図



主屋の間取り図

 

この屋敷は、江戸時代の初めに一之江新田を開発した田島家の住所です。

田島家は元禄年間(1688~1704)以降、一之江新田の名主を務めた。

年貢の取り立て、法令の周知、陽の用心などすべてを取り仕切った。

↑で述べたように町内の権限を一手に握っていた。

             (内部の様子についは次回に続きます)

お近くの方は一見に値します。




※参考資料

曲り家
(まがりや)は、伝統的家屋(民家)の建築様式のひとつである。

曲家、曲屋、曲り屋、曲がり屋、曲り家、曲がり家などの表記も用いられる。
広義には、長方形平面の直屋(すごや)に対して、L字形平面の家屋をいう

母屋や馬屋がL字形に一体化していることから、「曲り家」と呼ばれる。

こうした伝統的家屋は全国各地に分布しているが、
「狭義」とされ、また最も広く知られているのが「南部曲り家」である

 



 

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一之江名主屋敷➡煙がたなびき囲炉裏のある、茅葺屋根 NO1

2020年03月09日 | 総  建物、公共施設

都指定史跡

一 之 江 名 主 屋 敷
(江戸川区春江町2-21-20)
かって椿と呼ばれた郷に、江戸時代そのままゆかしき佇まいの古民家。


 

一之江名主屋敷は、江戸時代のはじめにこの地で新田を開いた田島家の屋敷です。

一之江新田の名主を代々つとめてきました。

現在の主屋は安永年間(1772年から1780年)の再建ですが、屋敷林や堀をめぐらした屋敷構えは、

創建当初のようすを伝えています。

敷地内や主屋の公開、また、季節に応じた様々な催しをおこなっています.

 

 
入り口の石柱と案内板


 長屋門

 
花弁の大きな椿


 長屋門から主屋を見る


 長屋門
左右に物置なような倉庫があります。


修理復元等の修理

    ① 平成元年(1989)~平成5年の間に解体修理。

② 平成10年、景観整備事業を実施する。

    ③ 平成18年(2006)主屋茅葺屋根前面葺き替え

 

詳細について追々UP掲載いたします。

 

 

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高級建築材を使った抹香亭の建築

2020年03月06日 | 総  建物、公共施設

田澤家の高級住宅の作り。

結構な御普請でございます。

家は総体檜造りで、天井は薩摩の鶉木目。左右の壁は砂摺りで・・・・・
こんなくだりで始まる落語を聞いたことが有るかと思います。

抹香亭はそんな作りでした。

 

 


 抹香亭の門戸


 抹香亭の玄関口

 


 玄関上がり端の板
玄関上がり端は、玄関の段差の上の床の仕上げ材の端部を隠し、住まいの顔となる玄関をきれいに見せる。
80cm強の欅1枚板です。木目が素晴らしい。


 玄関上がり端横板、欅板。節穴を2つあしらった見事な作り。

 


 玄関の天井、編みとでも杉板を材料の網代編み。


 欄間が細い建材をあしらって見事な出来栄え。


 縁側の廊下(内縁)
此の外に外縁 ↓ があります。


 外縁(濡れ縁)
の作り
30CMほどの1枚板を使った贅沢な外縁。
竹2本を挟み雨水を少しでも早く乾かそうという工夫が


裏に回ると欅の木が植栽されていた。


玄関の上がり框は欅の1枚板。

これが何と0、8m板には驚いた。これだけの板を製材して作り出すのには、
立木時に直径にして1m以上なければこのような板を製材することは出来ない。

1m以上の立木を作り出すには150年の年数を要する。人間が1代を30年とすれば
5代前にさかのぼった人が植えたことになる。

やっとその近似値(直径1m)に到達するかの瀬戸際であろう。
欅はスギやヒノキと違って成長率が極めて遅く、その分年輪が細かく板にして実に美しい仕上がりです。

 

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