柴又・山本亭内の通路を歩く
≪寅さん記念館への通り抜け道≫
カメラ部品で財を成し、その後葛飾区に移管された
山本亭の歴史
建築された年は不明であるが、大正末期から昭和初期に増改築を重ねて現在の姿になったとされている。
もともとこの土地は庄屋の鈴木家の土地で、1923年(大正12年)の関東大震災まで
鈴木家はこの場所で瓦工場を営んでいた。
潜り戸付近の案内板
現在の「山本亭」を構えた山本栄之助は、浅草でカメラの部品を製造する合資会社
山本工場の経営者で、住居も浅草小島町(現在の台東区小島付近)にあったが、
関東大震災で浅草が被害を受けたため、柴又に移転。この際に鈴木家の瓦工場跡を取得し移転した。
以後、山本家が住んでいたが、1988年3月14日に葛飾区の所有となり、1991年4月から一般公開された。
現在では伝統行事の披露会や、琴の演奏会など多彩に開催されている。
2003年7月28日に東京都歴史的建造物 に選定された。番号は62番。
2018年には「葛飾柴又の文化的景観」が重要文化的景観に選定されており、山本亭は景観の一翼を担う。
裏口から中に入る通路付近の一分を散策した。
白壁は帝釈天題経寺と右側奥の白壁作りが山本亭
山本亭裏入口、
寅さん記念館への通り抜け道。
通路竹垣と白壁の土蔵(右上)
竹垣と生垣の組み合わせ
庭には柿が熟していました。柿の木先100m江戸川土手
柿を食べにモズが来ていました。
青空に百舌が啄ばみ枝が揺れ (縄)
守り柿では多すぎし青い空(同上)
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