テレビをつけると、不安に材木をくべるようで、
この頃、ワイドショー番組はまずは敬遠。
見るのは、日本テレビのニュース番組くらい(笑)。
こう不安材料があると、見るのはネットです。
ユーチューブで、数日前の鼎談などを見直すと、
何だか落ちついてきます(笑)。
それでも、不安になると、どうするか。今日は
安倍首相の緊急事態宣言延長会見の新聞記事を
あらためて読みかえしました(5月5日産経新聞)。
はい。テレビをつけるより考える時間を持てます。
そのさいごのほうに
「目に見えないウイルスに強い恐怖を感じる。
そうした不安な気持ちが他の人への差別や
誰かを排斥しようとする行動につながることを強く恐れる。
ウイルスよりももっと大きな悪影響を私たちの社会に与えかねない。」
うん。ここが気になったのでした。ということで、
平川祐弘訳『いいなづけ』の、第31・32章をひらく。
よく吟味照合されたペストの歴史が展開されています。
ここに、著者マンゾーニの指摘が、はさまれております。
たとえば
「人心が戦々兢々としている時によく起こることだが、
そうした時は話を聞いただけで見たような気になるものである。
こうした災難に遭うと人心はとげとげしくなり、
執拗に迫る危険を前にしていらだってくる。
それだけにいとも容易にそうした風説に飛びついた。
というのも怒れる人は常に懲罰を望むからであり、
これに関して才ある人が犀利な観察をしたように、
怒れる人は憎悪の根源を邪悪なる人間性に求めがちなものである。」
(第32章・単行本p661)
この第32章では、ペストの『塗り屋』という実際に起こった
状況を経緯に沿って記録されておりました。
その間に、その記録とともに、挿入された著者マンゾーニの
言葉が示唆的です。もう一ヶ所引用。
「俗世間が思いついた事を種にして
教育のある連中は自分にお誂え向きの考えを引き出した。
教育のある連中が思いついた事を種にして
俗世間は自己流で出来る解釈を付した。
そしてそうした事が合さって集団的発狂とでも呼ぶべき
途轍もない大混乱が発生したのである。」
(p675)
うん。テレビのワイドショー番組は一切見ないことにします。
さて、著者マンゾーニは、第31章の最後に、
その解決策を提示されておりました。
うん。そこも引用しておかなきゃね(笑)。
「なにしろペストなる語には余計なものが
次々に付加されてしまった。だが事の大小にかかわらず、
この種の歪んだ長い道程は、たいていの場合、
回避しようと思えばできることでもあったのである。
それは前々から言われている方法であるが、
話す前にまずよく観察し、よく聴き、比較し、考量する、
という手順をきちんと踏みさえすれば、それでよかったはずである。
だがしかしこの話すということにかけては
これはいかにも人間に独特な能力であって、
右に(注:上に)あげた他の能力すべてを合したよりも
ずっとたやすく出来てしまうことなのである。
・・・われわれ人間一般の咎ということなのだが・・・・
やはり多少大目に見てやらなければならぬものと思う。」
(第31章の文の最後。p656)