1か月だけ購読予定だった、読売新聞を、
5月も引き続き購読することに(笑)。
さて、今日は月曜日。読売歌壇・俳壇が掲載される日。
はい。読売歌壇・読売俳壇のたのしさを語りましょう。
まず、福田美蘭さんの題字デザイン・イラストがいい。
何か、ホッとした空間へと招かれた気持ちになります。
読売歌壇の栗木京子選。
そのはじまりの一首は
ディストピアの入口附近と若者も感じ始めて手洗いをする
長野市 宮崎雄
評】 ディストピアは理想とは反対の世界のこと。
新型ウイルスの感染拡大が深刻化し、高齢者に比べて
関心が薄かった若者にも危機意識が広がっている。
『入口附近(ふきん)』が鋭い。
もどって、5月の福田美蘭さんのイラストはですね。
各選者の名前の上に描かれた、かわいいイラスト。
その小さなイラストはきわめてシンプルです。
読売歌壇の選者の上には、
小池 光の上に、ランドセルのイラスト。
栗木京子の上に、柏餅のイラスト。
俵 万智の上に、筍のイラスト。
黒瀬珂瀾の上に、雀のイラスト。
というのが、何ともたのしい。・・・・
たしか、福田美蘭さんの一年のイラストは、
月々変わるのですが毎年定番のデザイン。
それらが、読売新聞の月曜日のお楽しみ。
さてさて、読売歌壇は、各選者が各10首を選ぶ。
最初の3首に、各選者の選評がついております。
栗木京子選の、10首目つまり最後の一首はというと、
気付きたり無人の家に燕来ず人居る処が安全なのか
山武市 川島隆
はい。これには選評は、ありません。
そういえば私に、中村草田男著『蕪村集』がありました。
ツバメということで、蕪村の俳句が思い浮かびます。
燕啼(ない)て夜蛇をうつ小家かな
この蕪村の句を、草田男は訳しております。
蕪村訳がなければ、私には理解不能(笑)。
では引用
「夜燕がけたたましく啼き立てる。
蛇がその巣に忍び込んだのである。
家人は起き出て、夜陰にもかかわらず
燈を掲げてこれを討っている。
その騒ぎ声や動作の逐一が、小家であるが故に
外からも手に取るようにうかがわれる。
・・・・・・・・
しかし、この句に詠われている情景は全然
蕪村の空想裡の所産であろう。
啼き立てるのは燕であり、討たれるのは蛇である。
つまり夜陰に人と燕とが共力して蛇と闘っているのである。
この一種の『気の昂ぶり』---
これがこの句を貫いている『いのち』である。
かかる刺激の強い情景を一句の中に創造してみて、
芸の世界でこの事を自身経験してみることが、
蕪村にとっては非常な歓びであったに相違ない。」
ここから、草田男は、正岡子規を登場させます。
これが、草田男の魅力なので引用してゆきます。
「明治時代の子規は、
『生活の意味』をひとすじに探求する人ではなく、
『生活の事実』を感覚的に情趣的にあらゆる方向において
味わい発展さすことに価値を置いていた人であった。
俳句の上でも
『進歩とは変化と多様の謂に他ならず』と宣言している。
したがって、子規にとっては、芭蕉が生活の上で消極者に見え
蕪村が積極者に見えたのである。・・・・・・・・・・
江戸末期の宗匠たちが、誤れる芭蕉崇拝の結果俳句を生活から
遊離した観念的な、晦渋と頽廃とに陥れてしまっていた、
その状態から俳句を救い出し、これに新時代の健康的な活力を
付与するために、子規がだれよりもまず蕪村に着目して、
その視覚的な具体的な作品と、積極的な生活態度とに
学ぼうとしたのは、その範囲に関する限りいかにも
正鵠を得たものであったと言わざるを得ない。」
はい。読売歌壇からひろがってゆく、たのしさ。
ところで、皆さんのGOOブログ写真映像を見せてもらってると、
活字から写真へと飛び上がるような楽しみが味わえるのでした。
歌壇・俳壇ときて、より視覚的な画壇・写壇もありのブログかな。