産経新聞5月10日の読書欄「産経書房」。その「新仕事の周辺」に
コラムニスト小田嶋隆氏が登場しておりました。
うん。私の小田嶋さんのイメージは、切れ味鋭いコラムニスト。
という感じを持っております。
「このたびのコロナ禍で、国民が蟄居(ちっきょ)生活を
強いられてから、一カ月が経過している。・・・」
とはじまります。
まずは、まな板にご自身をのせて、こう語ります。
「われらコラムニストは、世界に対して二次的に
(つまり他人の仕事を通して)しか関わりを持っていない。
だからこそ、はじめからないない尽くしの書き手である
コラムニストは、ひと月やそこらの外出自粛要請では、
ダメージをうけないのだ。」
こうして、かえす刀で、バッサバッサと切り込んでゆきます。
そこを、引用してゆきます。
「取材先を失ったスポーツ紙は、瀕死だ。
一面は、慣れない政治ネタで空回りしているし、
後ろのほうは、有名人のツイッター発言を引用した
粗製乱造のコピペ記事で急場をしのいでいる。
雑誌もひどい。聞けば、女性誌は、4月からこっち、スタジオ、
ロケともに、モデルさんを起用したグラビア撮影ができず、
ファッションのページが作れない。
さらに、取材源である各種の商業施設や店舗の閉鎖を受けて、
タウン情報もスカスカになっている。
・・漫画雑誌も苦しい。さもあろう。そもそも漫画という奇跡は、
漫画家と先生と編集者とアシスタントの若者たちが密室に
閉じこもることで生じる『熱』をエンジンに制作されている。
テレワークでは熱が冷めてしまう。
テレビはさらに悲惨だ。というのも、
ワイドショーやひな壇バラエティーが、結局のところ
『三密』に依存した空騒ぎであったことを、
今回のコロナ禍が、逆方向から証明してしまっている形だからだ。
実際、蟄居テレビの画面は、スタジオに密集する
野良タレントの凝縮力を失った瞬間に、空虚さを露呈している。
・・・・・」
はい。バッサバッサと切ってゆくので、
こちらは、あっけに囚われながら引用しちゃいました。
こういう時、どういうわけか、
私に思い浮かぶのは、
徒然草の第229段。
「よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたく立たず。」
うん。小田嶋隆さんの、短いけれど
生きのいいコラムとなっております。
下手に真似すると怪我をしそうな切れ味。
私はこういして引用するのが関の山です。