私は、ワープロがない時代に育ちましたから、
ワープロで自由に活字が打てるという恩恵を、
もろにうけたような気がしております。
はい。字が下手だったせいで、人前に出せるような
文字を書くには、時間ばかりかかっておりました。
それが、文字への恥ずかしさを、ちっとも考えずに、
活字を打ちこめるという気軽さ、楽しさ(笑)。
そうこうしているうちに、ワープロからパソコンとなり、
いつのまにか、ネット社会になっておりました。
コロナ禍の後の社会に、テレワークでの会議が、
というよりも、座談ができるという予測は、
わたしには、ワープロが普及した場合のことから
類推することが出来そうな気がします。
さてっと、月刊Hanada7月号の平川祐弘氏の連載に、
ご自身の著書「日本語は生きのびるか」(河出ブックス)
を注で紹介なさっておられた。はい。たしかあったなあと、
本棚を探してくる。さっそく、パラパラとめくっていると、
会議についての箇所がありました。
こちらで紹介されている会議は切実感があります。
ちょっと文の流れがあるので、その前から引用。
「(この日本の平等主義は国内に限られたもので、
平等主義の主張者も日本人の収入が全人類の人々の
平均収入と平等でなければならない、とはさすがに
言わないようである)・・・・・
日本人が国内的平等をいくら重んじたところで
言語の国際的不平等に勝てるはずはない。・・・・」
はい。このような推移で書かれたあとに『会議』が
ありました。
「自由・平等を世界の諸国並みに理解していないからこそ、
わが国は今日のような自閉的状況に陥ったと見るべきであろう。
同じデモクラシーの原理に立脚するといいながら
西洋の大学にはなぜ日本の大学ほど形式的な会議は多くないのか
ーーそうした現場の相違を日本の西洋研究者はなぜ直視しないのか。
Publish or perish
『論文を活字にして発表するか、さもなくばポストを失うか』という
大学人としての国際場裡での生存競争の原理を尊重し、
その競争に勝ち抜くためには、
形式的な会議のための会議などに出席している閑な時間は、
本来大学人にはあり得ないはずである。」(p194~195)
月刊Hanada7月号の連載で、平川氏は大学紛争中の
会議をとりあげておりました。こちらも引用することに
「1968年から69年にかけての東大教授会の動向と
学生自治会の動向・・・・
だが、助手の動静は存外報じられておらず、
ほとんど活字になっていない。
紛争に際しては年少気鋭の助手たちがたちまち騒ぎだした。
助手といっても様々で、教授会メンバーに昇格する保証のない
助手もいる。私もそんな一人だが、違いは私だけ一回り年をくって
いたことだ。助手の立場は煉獄にいる様に似て、
フラストレーションが溜りやすい。引火性が高い、
不安定な地位であってみれば、あれよあれよという間に
医学部の若手の主張に同調し騒ぎだした。
・・・・・・
・・全共闘派に同調する助手が議事を巧みに進める。
さまざまな提案を何度も投票するうちに百人ほど集まった
教養学部の助手は闘争派の側に次々と靡き、しまいに
賛成と反対は99対1となってしまった。
まだ夏休み前だったが、その日はさすがに憮然として
帰宅した。この先どうなるか、と胃が痛んだ。皆が流され、
自分だけは流されないという座標軸を持つことは容易でない。
・・・・・・・・
私と同じような反対派はいたろうが、そうした人はしまいに
助手会そのものに主席しなくなったのに相違ない。
時間の無駄であり、ただでさえ多過ぎる形式的な会議に
これ以上参加を強制されてはたまらない。」(p359~360)
はい。テレワークの会議になれば
『ただでさえ多過ぎる形式的な会議』に
参加しなくても、自宅ですむかもしれない。
なんてことを、たまたま読んでいた
平川祐弘氏の文を借用しながら、
あれこれ思い描く。
そういえば、文化人放送局の
怒れるスリーメンでは、
高橋洋一氏が自宅からの参加で
椅子の背もたれにマッサージ器を
おいているらしく、体を揺らしながら
他の方の話を聞いている姿がありました(笑)。