和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

声をかけられなければ。

2020-05-24 | 前書・後書。
「幸田露伴の世界」(思文閣出版・2009年)は
井波律子と井上章一の共編となっておりました。

「まえがき」が、井波律子。
「あとがき」は、井上章一。

この共同研究の「あとがき」の最後に、こうありました。

「研究会では、幹事役をおおせつかった。
しかし、私の司会は、全体を拡散する方向にしか、
はたらなかったと思う。・・・・・露伴論をかわしあい、
たがいにすこしずつかしこくなれた二年半が、今はなつかしい。
この機会をあたえてくれた井波律子氏に、
感謝の気持ちをそえて、筆をおく。」

はい。「あとがき」のはじまりを引用(笑)。

「研究会のはじまる前は、露伴の書いたものなど、
ほとんど読んだことがなかった。つきあえば、あじわいぶかい
人なんだろうなという予感が、なかったわけではない。いつかは、
目をとおしてみたいという心がまえも、どこかでいだいていた。

だが、露伴の書いたものには、漢籍や古典のうんちくが、
ちりばめられている。和漢の教養にくらい私などが、
たやすく読めはしないだろう。そんな先入観もあり、
ながらく敬遠しつづけてきた。
井波さんから声をかけられなければ、
そのままほったらかしつづけていたと思う。

とはいえ、私が露伴の研究会でとりあげたのは、
『頼朝』という史伝である。史学史的な興味でえらんだのだが、
・・・この本は、少年むきの読みものとして、書かれていた。
和漢籍の博引傍証は、ほかの本とくらべれば、
ひかえ目になっている。これならば、無学な私でも
とっつきやすかろうという判断も、私をこの本にむかわせた。

読んで思ったが、露伴のこころざしは意外に新しい。・・・
私だけが、そう感じたわけではない。・・・・

明治以後の、東京における知識や考え方を、うかがう。
いわゆる時代精神のありようを、つかみとる。そのためにも、
うってつけの人であろうと、今は考えだしている。・・・・」


はい。この「幸田露伴の世界」に、井上章一さんは、
「『平家』と京都に背をむけて」という題で書いており、
その文は、わたしを惹きつけました(笑)。
ちょっと長くなりそうなので、今回はさわり、
次回に、その内容を書いてみます。
コメント
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