和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

理不尽の輝き。

2020-05-17 | 産経新聞
産経新聞5月17日。はい今日の2面に、
曽野綾子さんの連載「小さな親切大きなお世話」。

はい。なんていいましょうか(笑)
こういうのは、普通の記事の延長で読んではいけないので、
曽野お婆さんの世間話。おばあちゃんの知恵袋
を読ませてもらっているという発想が大切ですね。
長谷川町子さんのマンガ「意地悪ばあさん」みたいにして
私は読んでおります。そうすると、ちょうどよく、
しっくりと智恵が身につくような気がします。
発想のスパンが違っていて、こういうことを
身近では誰も語ってくれない。

ということで、最後の行を引用することに

「私の子供時代の暮らしを思い出してみると、
そうした人の暮らしの経緯を知るのは、
親たちの話を聞いている時だった。
当時は客間もリビングダイニングもない。
私の家では、家族も親しい客も、冬ならば
皆居間の炬燵に集まっていた。そこでは
私は宿題をする振りをしながら、
知人の小母さんの知り合いの男がお妾さんの『始末』を
する話などを実に熱心に聞いていた。
だからそこは、子供を大人にする最高の教室だった。

今、大人たちは、あまり話をしない。
従って子供がそれとなく大人の世界を
立ち聞きする場所も機会もなくなった。・・・・
私には子供が薄っぺらな大人になる理由だと思える。」

はい。あとは最後まで引用してしまいます。


「『理不尽』という言葉がある。
『道理に適わないことを、強引に行う』ことだという。

人生では理を尽くした方がいい場合が多いが、
時には理不尽に立ち向かう勇気も要る。理不尽でないと、
その不都合な『時』を突破できないこともあるのだが、

理不尽の輝きを口にする人など、
昨今ではめったにいなくなった。」

はい。曽野綾子さんは1931年9月生まれ。
「理不尽の輝きを口にする」年齢なのでした。
その曽野さんの、意地悪ばあさん談義。

果たして「薄っぺらな大人」の私には、
死ぬまでその輝きを口にできるのかどうか、
そんなことを考えさせてくれる文章なのでした。

はい。読売新聞の読売歌壇もいいのですが、
産経新聞の、こういう文章を読めるのもいい。

え~と。黒沢明の映画『まあだだよ』を
とりあげようとしたんです。その前置きが長くなりました。
このつづきは、次回のブログで。

ちなみに、黒澤明は1910年(明治43年)生まれ。
遺作映画『まあだだよ』は1993年。
亡くなったのは1998年。88歳でした。
思えば、曽野綾子さんは、黒澤明の年齢を超えていらっしゃる。


コメント (2)
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