銀閣寺を語る三冊三様。
アレックス・カー著「もうひとつの京都」(世界文化社・2016年)
竹山道雄著「京都の一級品 東山遍歴」(新潮社・1965年)
司馬遼太郎他「日本人と日本文化」(中公新書・1972年)
はい。はじまりはアレックス・カーの本から、
アレックスさんは1976年をきっかけに亀岡市に住み始めます。
「京都は世界的な観光地ですから友人がよくやってきます。
京都に住む人は来客を連れて、しょっちゅうお寺めぐりをする
ことになります。・・・
・・・・・・
大徳寺や銀閣寺は百回以上訪れて、ようやく
分かってきたような気がします。大徳寺の場合は、
写真を現像する暗室の中で現像液に浸された白い紙に
画像がジワーッと浮び上がってくるような感じでした。
銀閣寺の場合は、ある日突然
『ああ、そうだったのか!』と一瞬にして閃きました。」(p7~8)
2冊目は、竹山道雄です。
「青い空から粉雪が散って、つめたい日ざしの中に舞っていた。
比叡山には白いレースがかかっていて、大気の中に氷の塊が
流れているようだった。風が骨にまで沁みて、しびれるように寒かった。
こういう日の銀閣寺はじつに美しい。
はじめてここに緊密にまとまった構成があることを感じた。
平素は見物人が多くて雑踏しているので、
それで全体の統一が感じられなかったのだろう。
部分部分のみを見ると、ここはあまりに人工的に完成しているので、
かえって全体がばらばらに思えた。人影がなくひっそりしているときこそ、
あらゆる手法のアンサンブルとしてのひきしまった印象を刻印する。
もしあそこに雑多な石や木が入りこんで、それが動いて喋っていたら、
全体の構図は崩れてしまう。人間も同じわけで、
見物人が多いときには銀閣寺の真の姿は消える。
銀閣寺にむかってゆるい坂を登ってゆくときに、
いつも感じるのは正面の月待山のうつくしさである。
・・・・・・・
はじめて銀閣寺の門を入ってその道を歩いたときの
感銘は忘れがたい。垣は下が石で、その上が竹で、
その上に刈り込んだ灌木が、整然としている。
白砂に幾何学的な掃目がつけてある。これで
こちらの意識がある調子にととのえられる。」
(p241~242)
はい。まだまだ続くのですが、引用はここまで。
3冊目は、司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談集です。
司馬】・・・・実を言うと、私はきょうはじめて銀閣を見たわけです。
もっともかなり前に一度きて門前にいるお坊さんが商売商売して
いて不愉快だったものですから大げんかをいたしまして、それきりでした。
それで今夜はじめて見たら、たまたま状況がよくて、
三日月がかかっていまして、キーンさんが晴れ男なのかなにか
知らんけれども、さっきまでかかっていた雲がスッと晴れました。
そして月光といえば淡い月光のもとで見る銀閣というのは、
美といえば完璧な美みたいな感じがしました。・・・・・」(p48)
月夜の銀閣寺なんて、見ようとしても見れないだろうなあ。
けれども、そこでの一期一会の語らいなら簡単に読める。
しかも、後年になってドナルド・キーンさんは
『足利義政 日本美の発見』(中央公論新社・2003年)を
出すことになります。
ということで、三人三様の銀閣寺を、とりあげてみました。
はい。わたしは銀閣寺へ、一度も行ったことがありません。