幸田文の文章をはじめて知ったは、
学校の副読本かなにかに、『水』という短文があり、
それが、あとあとまで印象に残っておりました。
父親に、掃除・雑巾がけの仕方を教わる内容。
幸田文の晩年の本、『木』『崩れ』は鮮やかで、
ほかと比べるものがないような気がしました。
これはいったい何だろうと思いながら、
新潮日本文学アルバム「幸田文」(1995年)
青木玉対談集「祖父のこと母のこと」(小沢書店・1997年)
「幸田文の世界」(翰林書房・1998年)
と古本で少し買っていたことがあります。
その際に、
「幸田露伴の世界」(思文閣出版・2009年)
こちらも古本で、買ってあったのですが、そのまま未読でした。
この「幸田露伴の世界」が、無事読み頃をむかえたようです(笑)。
「幸田露伴の世界」は、井波律子・井上章一共編とあるのでした。
井波律子つながりです。
思い浮かぶのは、産経抄5月19日の井波律子追悼文でした。
その最後を、あらためて引用。
「メディア史家の佐藤卓己さんが日本経済新聞への寄稿で、
井波さんを『心の師』と呼んでいた。二人が所属していた
国際日本文化研究センターから佐藤さんの京都大学への
異動が決まったとき、意外な言葉を受け取った。
『がっかりしたわ』。大学の看板などなくても
自分の名前で書ける人だと思っていたというのだ。
井波さんこそ、その通りの人だった。」
はい。国際日本文化研究センターの井波律子さんは、
それから、どうしたのか?
それを「幸田露伴の世界」が、教えてくれていました。
「まえがき」は井波さんでした。そのはじまりはこうです。
「本書は2006年4月から2008年3月まで、2年間にわたり、
国際日本文化研究センター(日文研)において行った
共同研究『幸田露伴の世界』の成果をまとめた論文集である。
・・・・・
個人的なことだが、私は一時期、かなり身を入れて
『露伴全集』を読んでいたことがあり、機会があれば
共同研究のテーマにしたいと考えていた。しかし、
なかなか決心がつかないまま、歳月が経過し、
3年後に定年をひかえた一昨年、ようやく
上記の共同研究をはじめることにした。・・・・」
このあとの『露伴を語る』という章のはじめに
『幸田露伴 -- その生涯と中国文学』と題して
井波律子さんの29頁の文があるのでした。
はい。今回はじめて読みました(笑)。
肩書という気負いがなく、淡々とわかりやすく
露伴の核心に迫ってゆきます。
この29頁は短いのですが、引用すると長くなる。
井波さんの文は、次回のブログで紹介してみます。