和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

感動の研究者魂。

2011-06-07 | 短文紹介
「ウメサオタダオ展」特別展解説書が届く。
本代1890円。発送手数料400円。合計2290円。
ちょいと、別冊「太陽」のような作りの一冊。
写真を見てもたのしめるし、読んでもよし。
国立民族学博物館ミュージアム・ショップへ注文してあり、
昨日発送。今日届きました。

なにか、読むのがもったいない(笑)。
話題をかえて、梅棹忠夫著「行為と妄想 わたしの履歴書」(中公文庫)に
「大震災」(p320~322)という箇所があるので、ちょいと引用。


「1995年1月17日の朝、わたしは風邪をこじらせて、この日はやすむつもりだった。しかし、毎日の習慣で早朝の五時には目をさまして、ベッドのなかでラジオをきいていた。そのとき猛烈な衝撃がきた。地震だった。・・・室内のあちこちでガラスのわれる音がした。・・食器類は全滅にちかかった。テレビやラジオによると、地震の被害は阪神間から淡路島にまで広範囲におよんでいるらしかった。やがて博物館の状況がきこえてきた。博物館も相当の被害があったようである。展示場のおおきなガラスが何枚もわれたり、スプリンクラーがこわれて展示場と階下の展示準備室が水びたしになったという。梅棹資料室は業績棚をはじめ、あらゆる棚から書籍や資料類がとびだして足の踏み場もないありさまで、ガラス製の応接テーブルも書籍などの直撃をうけてガラスが飛びちっていたそうだ。四階の教官研究室でも書棚がたおれ、ずいぶんの被害だったらしい。・・・梅棹資料室も床に散乱した本や資料類を棚にもどすのに10日ほどかかった。その間、わたしは風邪がなおるまで出勤をとりやめて、しばらく家にいた。
1月20日、ひさしぶりに博物館に出かけた。ちょうどその日に藤田和夫から電話がかかってきた。かれは地質学者で、いわゆる大阪層群の専門家だった。家は芦屋にあったが、大阪の断層研究資料センターを主宰して、阪神平野における活断層の活動の危険性から大地震を予言していた。かれは電話口で、いきなり『おれの学説は完全に証明された』といった。わたしが『家はどうやった?』と聞くと、『家はつぶれた』という。わたしは、かれのはげしい研究者魂に感動した。」
コメント
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