和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

むすむすと(無言で)。

2011-06-08 | 古典
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)を、はじめて読みました。
東日本大災害がおこらなければ、読まなかったかもしれません。
感銘しました。それが何なのか?
とりあえず、最近の新聞の紹介記事を探してみました。

○産経新聞4月8日「吉村昭『三陸海岸大津波』の先見」
 これは文春文庫の解説を書いていた高山文彦氏の文。

○日経新聞夕刊5月11日「ベストセラーの裏側」に文庫の写真入で紹介されておりました。すこし引用。
「3・11直後から、版元には書店から注文が集まった。しかし『社内で検討して、派手な宣伝は控えることにした』と文芸春秋の村上和宏文庫編集局長は話す。災害の便乗商法はすべきでないという判断だ。吉村の妻で作家の津村節子にも同意を得たという。それでも注文は止まらなかった。・・・徹底した調査を淡々とした筆致で記述し、そこに地域住民への深い思いをにじませている。そんな吉村の『記録文学』への信頼感が震災後、一層高まっているようだ。・・・」

○朝日新聞5月8日「ニュースの本棚」。矢守克也氏が何冊かの本を紹介しながらの「巨大災害と人間」というテーマで書いておりました。その何冊かとりあげられた一冊での紹介。
「『三陸海岸大津波』、特に『明治二十九年の津波』を一読すると、今回の大津波と見まごう記述に満ちあふれていることに気づかされる。海抜50メートル近くまで津波が遡上した可能性、地震から30分間の行動が生死を分けたこと・・・。」

○朝日新聞5月15日「売れてる本」。佐々木敦氏がよく内容を掬い取って紹介の労をひきうけていると思えました。私は文庫の読後、この紹介文が一番よく響きました。ではそこから

「・・・『まえがき』にあるように、『津波の研究家ではなく、単なる一旅行者にすぎない』という吉村氏が大津波のことを調べ、実際に災禍に遭遇した人々から話を聞くうちに、『一つの地方史として残しておきたい気持ち』になって著されたものである。資料と証言という『記録』に先立つ『事実』の集積を駆使しながら、他の吉村作品と同じく、筆致はあくまでも淡々としており、これみよがしな深刻さや、扇情的な生々しさからは程遠い。当事者ではなく研究者でもない。そればかりか、ここにあるのは、いわゆるジャーナリスト的な視線とも違う。ひたすら『事実』だけが語られていながら、かといって単に客観的な『記録』とは異なる、(誤解を畏れずに敢えて書くと)絶妙な距離感の、要するに『小説』的としか呼びようがないような印象が、本書にはある。・・・これは『記録=文学』なのだ。」


○産経新聞5月23日「吉村昭著『三陸海岸大津波』40年経てベストセラーに」(磨井慎吾)。そのはじまりだけ
「歴史小説の大家として知られる吉村昭さん(1927~2006)が約40年前に刊行した作品『三陸海岸大津波』(文春文庫)が、東日本大震災の発生以降、ベストセラーとなっている。文芸春秋によると、3月11日以降、15万部を増刷。妻で作家の津村節子さん(82)は、増刷分の印税を全額被災地に寄付している。『三陸海岸大津波』は昭和45(1970)年、中公新書で刊行された。明治29(1896)年、昭和8(1933)年、昭和35(1960)年の3度にわたり東北を襲った大津波を、丹念な現地取材でつづった記録文学だ。過去の惨禍を冷静なリアリズムの筆致で描き出し、『津波は、自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している』と説く警告の書でもある。・・・」


○産経新聞5月25・26日「話の肖像画」に「吉村昭と三陸海岸」と題して、津村節子氏へのインタビュー(上下)が掲載。


さて、私が文庫を読み印象深い箇所はというと「昭和八年の津波 子供の眼」。そこでの子供の作文でした。牧野アイ(尋常六年)の作文には「表へ出て見ますと、町の人々が何も言わないでむすむすと(無言で)山の方へ行くので・・」(p130)とありました。

この文庫を指摘した言葉に「筆致はあくまで淡々とした」記録文学とあります。「むすむすと」行く人々に、そのまま沁みこむだけの力をそなえ、それだけの懐の深さをたたえた文庫一冊。派手な宣伝は控えられているだけに、読みそびれる可能性があるので、この機会に、お薦めいたします。

インド洋大津波の際に、テレビの映像を見て驚きをあげていた私ですが、東日本大震災の前には、その映像をきれいに忘れておりました。今回の東日本大震災の津波に呑み込まれる映像が、そのままに吉村昭著「三陸海岸大津波」への理解を深め、この大津波で語られない深い箇所へとどく道筋を示しておられると思えるのでした。

ちなみに、小長谷有紀著「梅棹忠夫のことば」(河出書房新社)のp8にある
梅棹氏の言葉は、こうでした。

「現地で、実物をみながら本をよむ。わたしはまえから、これはひじょうにいい勉強法だとおもっている。本にかいてあることは、よくあたまにはいるし、同時に自分の経験する事物の意味を、本でたしかめることができる。」

1100年に一度といわれる東日本大津波を、同時代に経験し、それを後世に伝えるには、たとえ現地にはいけなくとも、文庫を読みながらでも「よくあたまにはいる」ということがあるのでした。そういえば、この梅棹忠夫の言葉は、「ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた」(勉誠出版)のp56でも繰り返されえいるのでした。
コメント
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