和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

しばらくは。

2011-06-18 | 詩歌
朝日の古新聞をもらってきました。
その5月30日・6月6日の歌壇。
6月6日永田和宏選の最初の一首

『しばらくはぼんやりしてればいい』と言ふ
          友の言葉がありがたかった
      仙台市 武藤敏子

選評】 一首目、ガンバレの大合唱の中、ぼんやりしておいでという心遣いが嬉しい。頑張るべきは支援する側にこそあろう。

同じ「仙台市 武藤敏子」さんの一首が
佐佐木幸綱選(5月30日)の一首目にあるのでした。

はるばるとカップ麺来たるハングルもタイ語も読めぬが湯を入れて待つ

選評】 第一首、はじめて手にする韓国製、タイ製のカップ麺。救援物質にたよる被災地の食生活の空気が読める。

ちなみに、「仙台市 村岡美知子」さんの歌が、お二人の選者から選ばれていました。
永田和宏選(5月30日)の第一首目に

何丁目の何番地などわからない瓦礫の街の潮風沁みる

選評】一首目、道路、建物があってこそ番地が意味を持つ。ため息のような悔しさが。

馬場あき子選(5月30日)の第一首目にも、村岡さんの歌

ガレキには捜索済の紙目立ち浜風に揺れる花束のあり

選評】 第一首の「捜索済」の札は的確な方法であろうが、情景は悲しく心に沁みる。



ところで、長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)を読んでいたら、

窪田空穂の一首を引用し、つぎにご自分の一首をあげておられる。
そんな箇所がありました。
その窪田空穂(うつぼ)氏の一首

死ねる子を箱にをさめて親の名をねんごろに書きて路に捨ててあり

そのあとに長谷川櫂の一首

大震災廃墟の東京をさまよひて歌を残しぬ窪田の空穂


さてっと「窪田空穂全集第二巻 歌集Ⅱ」に、震災の歌が読めます。私が今日の最初に引用した一首『しばらくはぼんやりしてればいい・・・・』を読んで、すぐに思い浮かべたのが、空穂でした。
窪田空穂の「甥きたる」(p53)三首のなかの一首。


十夜(とよ)十日考へてのみゐたる甥
      ばらつく建てむといひ出せりけり

何か、ぼんやりしていた甥が、ある日「言い出す」場面なのでしょうか。
 ちなみに、空穂のその前の二首をならべれば


この家に落ちつきてゐればわが家も
      ある心地すると甥のつぶやく

平気にも舞ふ蝶かなとさびしげに
      庭見る甥のつぶやきにけり
コメント
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