毎日新聞の毎日俳壇の下。酒井佐忠氏の「詩歌の森へ」が連載されております。その6月5日を何げなく見たら、『現代詩手帖』6月号、高良留美子さんの詩をとりあげておられ。それが気になっておりました。
その詩には、「わたし」とあり、それが何でも「津波を擬人化した『わたし』」という視点から出来ている詩なのだそうです。
詩のはじまりは
あの女(ひと)は ひとり
わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから
その声はいまも響いている
古新聞を読み直していて、あらためて、その箇所に気づいたというわけです。
産経新聞の「話の肖像画」。その4月20・21日は失敗学会理事長・畑村洋太郎氏へのインタビューでした。そこに、こんな箇所。
畑村】 だから災害の対策を立てるときは守る側で考えるのではなく、攻める側に立って考えなくてはならない。どこをどう攻撃したら福島第一原発の機能を奪えるのか。自分が地震や津波、山火事になって考えなくてはならない。そうするとすきだらけなのがよく分かってくる。
ちょうど、畑村さんの「攻める側に立って」出来上がった一篇の詩。とは、どんな詩なのか。一篇の詩を読むためには、1200円が必要でした。それは「現代詩手帖」6月号の値段。その雑誌が届きました。
詩のなかに、あの女(ひと)の言葉も引用されております。
「 ただいま津波が襲来しています
高台へ避難してください
海岸近くには
絶対に近付かないでください 」
改行をはぶいて24行の詩の言葉。その最後の2行は
わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが
いまもその声は わたしの底に響いている
え~と。雑誌「現代詩手帖」・1200円は、高い。
でもね。高良留美子の詩「その声はいまも」。
一篇の詩を、1200円で読めるならば、それは安い(笑)。
その詩には、「わたし」とあり、それが何でも「津波を擬人化した『わたし』」という視点から出来ている詩なのだそうです。
詩のはじまりは
あの女(ひと)は ひとり
わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから
その声はいまも響いている
古新聞を読み直していて、あらためて、その箇所に気づいたというわけです。
産経新聞の「話の肖像画」。その4月20・21日は失敗学会理事長・畑村洋太郎氏へのインタビューでした。そこに、こんな箇所。
畑村】 だから災害の対策を立てるときは守る側で考えるのではなく、攻める側に立って考えなくてはならない。どこをどう攻撃したら福島第一原発の機能を奪えるのか。自分が地震や津波、山火事になって考えなくてはならない。そうするとすきだらけなのがよく分かってくる。
ちょうど、畑村さんの「攻める側に立って」出来上がった一篇の詩。とは、どんな詩なのか。一篇の詩を読むためには、1200円が必要でした。それは「現代詩手帖」6月号の値段。その雑誌が届きました。
詩のなかに、あの女(ひと)の言葉も引用されております。
「 ただいま津波が襲来しています
高台へ避難してください
海岸近くには
絶対に近付かないでください 」
改行をはぶいて24行の詩の言葉。その最後の2行は
わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが
いまもその声は わたしの底に響いている
え~と。雑誌「現代詩手帖」・1200円は、高い。
でもね。高良留美子の詩「その声はいまも」。
一篇の詩を、1200円で読めるならば、それは安い(笑)。