和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

その声はいまも。

2011-06-10 | 詩歌
毎日新聞の毎日俳壇の下。酒井佐忠氏の「詩歌の森へ」が連載されております。その6月5日を何げなく見たら、『現代詩手帖』6月号、高良留美子さんの詩をとりあげておられ。それが気になっておりました。
その詩には、「わたし」とあり、それが何でも「津波を擬人化した『わたし』」という視点から出来ている詩なのだそうです。
詩のはじまりは

あの女(ひと)は ひとり
わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから
その声はいまも響いている

古新聞を読み直していて、あらためて、その箇所に気づいたというわけです。
産経新聞の「話の肖像画」。その4月20・21日は失敗学会理事長・畑村洋太郎氏へのインタビューでした。そこに、こんな箇所。

畑村】 だから災害の対策を立てるときは守る側で考えるのではなく、攻める側に立って考えなくてはならない。どこをどう攻撃したら福島第一原発の機能を奪えるのか。自分が地震や津波、山火事になって考えなくてはならない。そうするとすきだらけなのがよく分かってくる。


ちょうど、畑村さんの「攻める側に立って」出来上がった一篇の詩。とは、どんな詩なのか。一篇の詩を読むためには、1200円が必要でした。それは「現代詩手帖」6月号の値段。その雑誌が届きました。

詩のなかに、あの女(ひと)の言葉も引用されております。

「 ただいま津波が襲来しています
  高台へ避難してください
  海岸近くには
  絶対に近付かないでください  」

改行をはぶいて24行の詩の言葉。その最後の2行は

わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが
  いまもその声は わたしの底に響いている  


え~と。雑誌「現代詩手帖」・1200円は、高い。
でもね。高良留美子の詩「その声はいまも」。
一篇の詩を、1200円で読めるならば、それは安い(笑)。

コメント
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