和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

上中下。

2011-06-06 | 短文紹介
昨日は、古新聞の整理。
というか、野田正彰氏の短期連載(3回・上中下)が終わったのでまとめて読もうと、古新聞を探しておりました。5月27日(中)と6月3日(下)はあったのですが、とうとう(上)を探し出せませんでした(笑)。
うん。こういうこともある。
(下)には、こんな箇所

「そもそも復興の基本方針は政府が迅速に出すべき仕事であり、超党派を偽装してマスコミの視点を幻惑させる復興構想会議なるものは有害無益でしかない。」

この連載は、産経新聞ですので、こんな、さりげない指摘も、朝日・毎日での原稿ならば、細心の注意でもって、没になるか、書き直しを指示されるんじゃないかなあ、などと、いらぬ心配。さかのぼって(上・中)を読んでみたいと思ったわけです。連載の題名は「悲哀に寄り添う」。
(中)は、こうはじまっておりました。
「震災から一カ月後、福島から宮城の沿岸を北上したとき、奥尻島、阪神、台湾などの震災のときと違って、悲しみが抑えられている、隠されているという印象を持った。」

そしてテレビ。
「NHKの女性キャスターが30分ほどの番組で、何度も『家をなくし、職をなくした被災者の方がた』を枕詞に使い、『家族を亡くした』と言わないのを奇異に感じた。ここでも、死別の悲哀は避けられていた。」

うん。被災地へと行かれた方にとっては、その臭いも消え、貴重なポイントは捨象され漂白されたりと、粗ばかりが目につくのだろうなあ。

さて、見つからなかった(上)には、どのような文が書かれていたのか。
とりあえず、探したのだから、ここまで。
そのうち、ひょっこりと読めたりするセレンディピティに期待。

ああ、そういえば、この頃の私は、本も後半から読み始め、ときどき、読みとばす章があったりします。というか、こういう風だと、読み終わっても、どこか未読の箇所が残っているのじゃないかという、不安定な感じが残ります。そうすると、どうしても、最初から最後まで順に読んだ時よりも、もう一度本をめくる確率が高くなる(笑)。
コメント
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